まほろば俳句日記

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【俳句をどう書くか】坪内稔典・・《俗なるもの》の消滅と再生/私の作句信条を読む(2)~新俳句入門

2018-12-14 06:13:19 | 新俳句入門

今夜は風が無い分【夜歩き】が少しだけ出来た。気温は昨夜と同じ4度程度。いつもなら、その延長で新作を何句か作るのだが、とてもそれどころではなかった。聖と俗という言葉がある。2018年という時点で【高齢単身者】の仲間入りが近づいている《わたし》にとって、日常生活の中で何らかの想いを17音(数律)の【定型】にのせて言語化することは、もはや《俗》の延長上にはあり得ない。だからといって、句を作ることが《俗》なるものと対立する何ものかとしての《聖》なるものに転換出来るような内的な契機はもはやどこにも見当たらない。あるとすれば、結社(主宰)誌なり総合(俳壇)誌に投句(稿)して、より上位つまり表現の質の向上を求める一連の行為の【功利性】であろう。身近かな句会なり大会に出ることも全く同じことである。

「俳句界」10月号の特集『私の作句信条』の各人の主張に対する感想に移る。まず一人目の【坪内稔典】だが、【俳句の特性を活かす】とあり、俳句が蓄積してきた特性として定型、季語、俗語の3つを上げ、その中の【俗語】はまだ十分に活かされていないとする。そして、今日の俳句の主流は【文語】と【歴史的仮名遣い】であり続け、この2つは【俗語】に背を向けているとする。また、この俗語は【日常語】と言ってもいいとしている。確かにその通りであるが、この俗語の忌避は、似非共同体としての【結社】やその集合体である【俳壇】が文語・歴史的仮名遣いという《非日常》を独占し、個々人の表現(言語)過程を収奪するためのカムフラージュと認識すべきだろう。このような状況は、明治期の高濱虚子ら文芸官僚による上からの【近代俳句】の制度(結社)化によって始まった。それが、戦前・戦後の2段階の現代化を経て、1980年代以降の【ポストモダン】の進展により、新たな状況が生まれている。それは坪内が言うように俳句形式そのものから必然的に生まれたのではなく、俳句の外部としての新世紀の《日常性》から自然発生的に生み出された。・・・《続く》

 

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