まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【絶望の累積】及川恒平の抒情歌・・失敗した《出発(たびだち)》の後の膨大な負の時間/J-POP論・POP詩の宇宙

2018-04-10 12:00:11 | J-POP論/POP詩の宇宙

1970年代の前半に【及川恒平】という作詞家がいた。吉田拓郎の盟友で、多くの歌詞を提供したように記憶している。1971年のヤマハ主催の合歓の郷ポピュラーソングコンテスト(略してポプコン)と世界歌謡祭のグランプリ曲『出発(たびだち)の歌』の作詞家として知られる。彼はもともと小室等&六文銭というフォーク・グループのメンバーであった。小室と言えば(1980~90年代の小室哲哉とは無関係)、60年代末のカウンターカルチャー運動の中の反戦フォーク・ソングの世界規模の巨大ブームの中で、関東に於けるカリスマ的な存在だった。所謂関西フォークの流れに対して、こちらは『雨が空から降れば』などの抒情的な歌唱で占められていた。それでも、当時の若者たちの心情の一面を良くも悪くも象徴していた。フォーククルセダーズが『悲しくてやりきれない』に代表される抒情性に対して『イムジン河』というあからさまな反戦歌を世に送り出したように、小室の背景には1960年前後の米国のビートジェネレーション(詩人アレン・ギンズバーグが代表。諏訪優訳詩集がある)の圧倒的な影響を受けたピート・シーガー、ウッディ・ガスリー等の存在があった。関西フォークの全てだったボブ・ディランに先行する反攻(=ビート)する世代のイデオローグの一人だった。彼等の反抗のベースには、深い人間愛と戦争の歴史に対する忌避の魂が脈打っていた。しかし、それらの想いは1969年を境にことごとく敗北し、消滅していった。その後、彼等はどこでどうしていたのだろうか。・・・《続く》

 

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小室等&六文銭 『出発(たびだち)の歌』 2009 LIVE 歌詞(字幕)~1970年代フォークLIVE集(60年代末から72年頃まで)

https://youtu.be/mj-u0d-eqFc?t=42

高田渡さんが若い!1971年中津川フォークジャンボリーの岡林信康のバックを務めた「はっぴいえんど」の細野晴臣のヒッピールックが凛々しい。関西の西岡恭三(ディランⅡ)の『春一番』が超貴重!・・泉谷しげるの『春夏秋冬』のアドリブ(語り入り)が凄まじい!!

 

 


【定型性の喪失】ラジオ体操の白い輪の中で・・伝統も前衛も「座」さえ無い《空無感》に溺れかけている/句作の壁・人生の壁~新俳句入門*特別編

2018-04-10 05:45:12 | 新俳句入門

春三番わたしはどこにも見当たらぬ   まほろば  最新作  即興

昨夜は近所を歩いた後、すぐに帰宅し爆睡した。先ほど目が醒めたが、6時半からのラジオ体操に出るつもりだ。このところ生活上の異変続きで、あまり気分良く俳句を作れていない。同人参加の結社を離れ、新たに2結社に投句しているが、どちらもパッとしない。同人誌の方は選句は無く、そのまま掲載されるので目標のようなものは曖昧模糊としている。代表の俳句理論とのコラボに徹するにしても、自分の考えを纏め切れていない。次号に代表の新句集の評を書く予定だが、ここで思いの丈を発散するしかない。その結果、居場所が無くなっても仕方がないくらいの覚悟も出来かねている。それと、俳句とは【座の文芸】という意味を思い知らされている。馬鹿の見本のような有名伝統結社の幹部に不思議な魅力を感じてしまうのもやりきれない。だからと言って、今さら凡俗な句会に熱中する気にもなれない。最初の俳句入門時に【ポスト前衛俳句】のリーダーとして神格化していた坪内稔典の魅力も無くなり、団塊の世代の傲慢とも受け取れる【モーロク俳句】への不快感がつのるばかりだ。・・・《続く》

 

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西岡恭三 『春一番』 録音年不詳(1971年頃)

https://youtu.be/cXuLg297f70?t=64