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まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【中心から辺境へ】草原が耳から流出する片足立ち 古田嘉彦/極メタ俳句の系譜(2)

2017-10-18 01:21:57 | エッセー・評論

気化拒み拘束 密林へも脱出不可   古田嘉彦  「吟遊」75号より*表題句も

草原が〈耳から流出する〉と聴いて、視覚より聴覚の優位によって何ものかが顕現することと読める。実際は、どこまでも不可知の領域に属する。作者の、この一瞬の言語表出の体験は『片足立ち』によってもたらされた。この時、草原はもはやこの涯の時空さえ一瞬ごとのメタファーとする儚きものと化す。作者は、いまも『片足立ち』のままどこへも向かわず、地球の中心から辺境へ向けて直立しているのだと思った。

中心から辺境へ 黒い夏野を仁王立ち   まほろば

 


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【俳句の此岸】ゼロからの出発・ゼロへの回帰/私とは誰か~プレおたく世代の現在(34)

2017-10-12 03:19:10 | エッセー・評論

1980年代の始まりは、実にアッケラカンとしたものだった。とりたてて何かが大きく変わったわけでもなく、70年代末を跨いでも、私は依然として20歳代であることに変わりはなかった。現在あるものは、1972年という時点ですでに出揃っていたと、確か大塚英司か誰かが語っていたように、見た目には革命的に変わったものはなかったと言える。しかし、その時代を担う人間の心と出で立ちがどこか根本的に変わってしまった。第一に、60年代末のあのとてつもなく巨大に見えた変革の嵐がにわか雨程度にしか感じられなくなっていた。第二に、そうした人間の内部に取り込まれた【空無感】をあざ笑うかのように、次々と未知の個性らしきものを持ったモノたちが人々の感覚やファッションを席巻していった。ある時、日本のパンク・ニューウェイブシーンの先駆けとなった『東京ロッカーズ』の一マネージャーに【パンクってどういう意味か】と単刀直入に聞いてみたことがある。そのマネージャー氏の言うには、パンクとは【パンク!】と手振りで示してくれた。全てが破壊され、その後には何も無い道が続いているとでも解釈する他なかった。1980年を挟む特筆されるべき数年間、トップを走っていた彼らの道のりの何とわたしのそれと重なっていたことか。年齢もさほど違わない両者の違いは、1970年への拘りしかなかった。当然のことながら、彼らには、1970年などというものは元々どこにも存在しなかったのだ。ただ彼らの目の前には、戦後世界の《50年代・60年代・70年代》が横並びにただ無機質に存在しているだけで、喪ったものは何もなかった。そうなると、人間というものは強い。目に映るモノ感じるモノすべてが、自分の肉体に取り込まれ、何かを語り始める。ゼロからの出発である。・・・《続く》

「プラスティック メモリーズ」の画像検索結果

アニメ『プラスティック・メモリーズ』より

 


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ポストモダンと定型言語の消滅/坪内稔典を読む(4)

2017-10-06 22:19:07 | エッセー・評論

坪内による三鬼の〈モダニズム〉批判から、40年もの年月が過ぎ去った。世紀末を挟んで、すでに21世紀も10年代後半に入ったが、現在もこの批判は有効であろうか。答えは否である。そのいちばんの理由は、批判すべき〈モダニズム〉の温床となり、政治・社会・文化の全メカニズムを支え続けた資本制(生産力)の高度化が、1970年代に沸点に達し、明けて80年代初頭に至って勃興した【ポストモダン】に取って替わられたことである。

ポストモダンの内実は、次の二点に要約される。第一に、生産優位(労働価値)の経済から、量から質への《消費》の高度化の進展である。第二に、この《消費》の多様性を生み出す《情報》の高度化である。人々は自らの肉体感覚に裏打ちされた主体的な価値判断より、多種多様なマスメディアによって日夜、一方的に与えられる選択肢から、より合理的で迅速な商品の選択を要求されるようになった。謂わば《情報》と《消費》の寡頭制である。人間の全領域を席巻していった巨大な時代の変化の渦中で、日本近代にあっては本質的に没主体の架空の肉体言語に過ぎない【定型言語】などひとたまりもなかった。

1970年代は、私の20歳代とピタリと重なる。青春期が終った後の倦怠感を一掃するかのように始まったこのなし崩しの〈変容〉は、あまりにも根底的で容赦の無いものであった。・・・《続く》

「パルコ」の画像検索結果


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【そのまた極悪】月よりも大きなものに母の尻 キタロー/極メタ俳句の系譜(1)

2017-09-23 08:48:45 | エッセー・評論

*YAHOOより転載/朝カフェ&ちびブラス付

吐く息にぼた餅二個の香りかな   キタロー(ヤフーブログ『四苦八苦純情可憐俳句』)
ヤフーブログのキタローさんが、長い長い自己再発見の旅から勇躍帰って来た。ぼた餅を口いっぱいに頬張り、エクセレント妻や流通センターの娘を足蹴にしながら、相変わらずの毒ガス俳句を撒き散らしている。毒ガスの存在意義は、一にも二にも読者の感動の抑制能力にある。掲句の【ぼた餅の香り】など、その最たるものであろう。・・おっと、9月いっぱいは当ブログは休止中である。所属結社誌の【俳句時評】の2回目は、締切の9月15日を軽くオーバーして、ついに後半部に突入した。主宰や先輩同人や自称前衛俳人のベタさかげんを宣告するのが楽しみである。・・・《続く》 
 
極悪の極悪そのまた極悪秋意かな   まほろば
 
 
カフェ・ミュージック
 
梅津和時ちびぶらす NHKSPのBGMでお馴染み!
 
「梅津和時ちびブラス」の画像検索結果

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【俳句の此岸】80年代の空無感に浸り始める/私とは誰か~プレおたく世代の現在(33)

2017-09-22 06:31:06 | エッセー・評論

私の1970年代の底無しの《絶望》を救ったのは、他ならぬ80年代の【ファッション原理主義】であった。遅ればせながら、80年代の《空無感》に参入する勇気を与えてくれた。ファッションの生息する【境界域】からの、精神への浸透(構成)力である。

1980年代とはいったい何だったのか?少なくとも前半は、何も無い《空洞》であった。70年代の中央線文化(関西フォークの在京拠点)の中心地【吉祥寺】に舞い戻り、79年の大学中退を受けて通信制大学への編入学など、モラトアリアム(現代のニートに近似)は続いた。時代は、元祖新人類の登場と【三無主義】の急進展による空虚感一色に染まっていった。60年代ロック(ニューロック)の延長戦としての70年代ロックは前半までで見事に消滅し、80年代に入ると70年代末に狂い咲いた【パンク・ニューウェイブ】がテクノとファッションに集約化され、街のアチコチで鳴り響いていた。70年後半に若者文化の突然変異態のように『宇宙戦艦ヤマト』ブームが起こったが、80年代のまだ未分化の【サブカルチャー】の前兆に止まっていた。ただ「テクノポップ」を中心とするニューウェイブ音楽は、ファッションにも飛び火し、あたかも70年代文化の進化形のように自己主張し始めた。前時代の自己回復の主体実存》の無効性は、これらを担った【元祖おたく】や【ポストモダン】の先駆けによって、いよいよ確実なものになっていった。私は、遅ればせながら【三無主義】の空無感に浸り始めていた。そんな私にとって、一つだけ魅力的だったのは、DCブランド・キャラクターズと呼ばれた一群の先鋭的なファッション・クリエイターの手による【超ファッション】であった。その中のアンチ機能主義的なダブダボ・ジャケットで身を包むことで、いくぶんなりとも時流に乗ることが出来たような安堵感を得ることがかなったのだった。・・・《続く》

「川久保玲」の画像検索結果

1980年代のファッション界を席巻した川久保玲。DCブランド【コムデギャルソン】の創始者。

プラスティックス他 テクノPOP集 1980頃

https://youtu.be/kO6yD2fNEUY?t=36

 


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