獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ゼロさんとの「対話」おまけ~その2

2021-05-04 00:00:00 | ゼロさんのブログ

シニフィエさんの対話ブログがコメント欄を開いて、近々全面再開するそうです。

ゼロさんやレモンさんはご自分のブログで、対話ブログの再開を望む気持ちを表明しています。


ゼロさんのブログ記事
「対話を求めてへの思い」(3月20日)
「宗教について」(4月4日)

レモンさんのブログ記事
「覚醒した場所」(5月1日)
覚醒したあの場所は、創価から覚醒した人にとっても、創価に疑念を持つ人にとっても「陽の当たる場所」であってほしい。
そういう場所だと思えない人がいる事も、わかっています。
それでもあの場所は、創価から逃げる為には希望の場所。

このお二方もそうですし、前回のharu さんもそうなのですが、今回の対話ブログの騒動の中でシニフィエさんやその周囲の人たちが行ったことの是非を、皆さんがスルーしていることが気になります。
パクリ事件では、SGKMKさんよりもむしろシニフィエさんやその周囲の人たちによって当事者や勇気ある告発者が侮辱され傷つけられたことをみんなスルーしています。

レモンさんはこんなことを書いています。

レモンさんのブログ記事「思う事」(4月10日)
魑魅魍魎としたアンチ界隈。
そんな場所で、ブログ書き続けて3年目。
今、そんなアンチ界隈で、あらためて想う事。
関わってはいけない人とは、関わらない。
距離をおいた方がいい人とは、距離をおく。
(中略)
自己陶酔が激しい人、被害妄想の強い人、他人を巻き込んで何かを主張する人とは距離をおきたい。
読んでいて負の感情しか生まれません。
そういう人の周りは、不思議と似たような人が集まっているなぁと思うばかり。

レモンさんのブログ記事「覚醒した場所」(5月1日)
「私は傷ついた」「このブログはこうあるべきだ!」と声高に叫ぶ人に限って、周りを不快にさせ、他人をグサグサ傷つけ、引っ掻き回している事に気がつかないものだ・・・と、個人的には思っています。

名指しこそされないものの、私もレモンさんに批判されているのですね。

残念です。

私自身、シニフィエさんにはひどい目に合わされました。

事実と異なる誹謗中傷をしておいて、いったん謝罪するものの、その謝罪文は目立たないところに置いて、誹謗中傷する文章はそのまま残す。
法的手段に訴えようとしても、WordPressの壁にはばまれて、かないませんでした。
でも、個人の名誉を損なうことをし、なおかつ今も放置しているということは確かなのです。
分かっていただけるでしょうか。

対話ブログという場のおかげで、創価学会組織のしがらみから抜け出すことができて、感謝している人が少なからずいることについては、私も承知しています。
私自身も、対話ブログの再開を望んでいないわけではありません。
しかし、その前提として、これまでシニフィエさんに傷つけられたと訴えている人々や、事実と異なる誹謗中傷に傷つけられた私自身に誠意ある対応をしてほしいと思っているのです。
パクリ事件の当事者である被害者○○さんは、ご自分のブログで、このように明確に、対話ブログの再開を望む気持ちを表明されています。

「シニフィエさんへ、追伸です。(* ̄∇ ̄*) 」(2月3日)
私はシニフィエさんが、春休みを取ったらエナジーアップして、『対話』を再開してほしいです。
そして、できれば「いけ好かない投稿者」にも、スルーしないで一言かけて上げてください。
みんな、ドキドキびくびくしながら『対話を求めて』に投稿しています。

どうして、あんなに強くレモンさんに非難されなくてはならないのか、わかりません。


私も、対話ブログが再開される場合は、多少意見の違う人のコメントも拒絶せず、なおかつ相手の信仰に対しては最低限の敬意を払っていただきたいものだと思っています。

ところが、対話ブログの最新記事を読むと、シニフィエさんはこう書いています。

これからブログを再開するにあたり「論争はしない」ということを徹底したいと思います。
論争したばっかりに、思わぬところでいろんな人がゴタゴタに巻き込まれてしまい、たくさんの人がいらぬ時間を使い、心を砕くことになってしまったからです。

また、ゼロさんは「7つの鐘について」(4月26日)という記事で次のように書いています。

伝えたい気持ちは
幅広く受け止めるつもりです(^_^)
でもここでは
対話は求めませんので
それは
違うんじゃないの?とか(笑)
そういうのはここでは無し!

「論争はしない」という「対話ブログ」。
そして、「対話」を拒むゼロさんのブログ。
そんなことでいいんでしょうか?
反対意見を拒否する「批判拒否体質」は、あなたたちの批判する創価学会の専売特許ではなかったのですね。
創価学会や公明党に対する批判は、その真偽・その意味を問わず採用し、自分たちアンチに対する意見や異論には耳を貸さない。
そんなダブルスタンダードでいいのでしょうか。

つづく



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