■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■本門の題目とはなにものか? 投稿日: 2015年3月28日
本門の本尊に関する疑問に対して納得できる答えは見つかりそうにありません。たぶん無理だと思います。破門されたほうが勝手に破門したほうの御本尊をコピーして「こっちにしか力はない」って言い張ってるわけですから、普通の人が納得するわけがありませんよね(笑)創価にとっては会員さんたちが疑問に思わなければ教義の矛盾なんかどうだっていいということがよくわかります。
先のスレッドが一週間もしないうちに100超えましたので、次のテーマに移ります。
三大秘法の中の「本門の題目とはなにものか?」です。
本門の題目というと南無妙法蓮華経なわけですが、前にも言ったように、これを意訳すると、「法華経におすがりします」ってことです。唱題会なんかで学会員さんがたくさん集まって、みんなで口を揃えて「法華経におすがりします」って延々と大合唱してる姿ってキモくないですか?「法華経におすがりします」が幸せになれる魔法の呪文というのが日蓮正宗と創価学会の教義の基本です。自分の中にある仏の生命を引き出す魔法の呪文が「法華経におすがりします」なんだそうです。
それが何であろうが「信じる人が信じればそれでいいじゃないか」って話なんですが、創価の場合は「これが絶対唯一の幸せになれる宇宙の法則で、これに逆らうと地獄に堕ちるんだよ」と、自分たちの信じるもの以外を否定してきました。それが「折伏」であり、日蓮仏法最大の特徴です。つまり「折伏」とは他宗を全否定することで、創価も創立以来ずっとこれをやってきた結果、幸福の科学に次ぐ日本で二番目に大きな新興宗教教団になれたわけです(笑)。
他宗を否定することが折伏であり、日蓮仏法の最終目的であり、創価学会の最終目的でもある広宣流布はこの折伏なくしてはありえないのですが、近頃の創価学会は他宗も尊重して、みんな仲良くやりましょうとかに変わったんだそうです。でも、創価学会の公式HPにも2015年の活動指針の最初に掲げているのが「折伏をしっかりやりましょう」なんだそうです。
は~い、先生!言ってることがわかりませ~ん(笑)
『ぶっちゃけ「法華経におすがりします」と唱える以外、人間は幸せになれないわけ。だからあんたも他のインチキ宗教をすてて、法華経におすがりしなさい』これが折伏ですよね。だから学会員さんは毎日毎日「法華経におすがりします」って書いてある紙に向かって「法華経におすがりします~法華経におすがりします~」って一心不乱に唱えているんです。これが本門の本尊に向かって本門の題目を唱える場所になる。その場所が本門の戒壇なんだそうです。日蓮正宗では弘安2年の大御本尊が本門の本尊で、これがあるところだけが本門の戒壇だと言ってるので、破門された創価としては三大秘法のうちの二大秘宝までが手も足も出せなくなりました。なので勝手に教義を変更して、「どこでも本門の本尊」と「どこでも本門の戒壇」をドラえもんばりに作ってしまったんですね。創価学会は四次元ポケットだったんですね。時代に合わせてなんだって出てくるんですから便利ですよね(笑)で、本門の題目はもともとが「どこでも本門の題目」なので変更する必要はないわけです。
広宣流布が何万年後に達成するのか知りませんが、世界中の人が「法華経におすがりします~」って唱えながら、他の宗教ができそうになったら徹底的に叩き潰している姿を創価してみてください。学会員さんはそんな恐ろしい世界を本気で夢を見ながら毎日「法華経におすがりします~」って唱えてるんです。完全にカルトですよね。
●signifie (2015年3月29日 07:25 )
ここでのテーマ「本門の題目とはなにものか?」とはいえ、ここで日蓮仏法の講釈を垂れようってことではありません。
南無妙法蓮華経って唱えるだけですべてがうまくいく、イッツオーライッ!ノープロブレム!って日蓮は言いました。なぜなら「オレが末法を救うスーパースターだから」。なぜ「オレ」がスーパースター(末法のご本仏)なのかを説明しよう。ということで、日蓮は仏教で何がイチバンなのかを知る必要がありました。なぜなら、そのイチバンを自分が超えなければスーパースターにはなれないから。つまり日蓮は桁外れの上昇志向人間だったと思います。日蓮は千葉県の小さな漁村の漁師の子として生まれました。千葉県と言っても鎌倉時代の話です。ものすごい田舎の貧しい漁村のせがれだったわけです。どう考えてもその漁村で漁師をやって死んでしまうだけの人間が、頭だけはキレれたのでしょう。自分の今の身分から上へと目指すにはどうしたらいいのか、田舎者というコンプレックスをバネに、仏門に入ることでその突破口を見出します。しかし当時の超エリート僧団である比叡山に運良く潜り込んだ日蓮でしたが、その我の強さと協調性のなさのあまり、あっけなく追い出されます。日蓮はすでに異端児でした。そして乞食同然に諸国をまわり、起死回生のチャンスをうかがうというしたたかな人物でもありました。
天台が大乗仏教をいろいろと研究してまとめた結果「法華経すっげー」というのが摩訶止観だったわけですが、日蓮はそこからさらに釈迦をも天台をも抜きん出だ存在が自分であることを証明せんがための理論武装をはじめます。と同時に、彼はたいへんな妄想癖もあったのではないかと考えます。そうした何事も並外れた自信過剰な彼がとった行動が、一部の人共感を得ることとなり、幕府や他宗の攻撃にも臆することなく「独善的スーパースターへの道」をひた走るようになったのではないかと想像します。
このコンプレックスをバネに人並みはずれた上昇志向によって、一定の人心を引き寄せる人物を知っています。その名は松本智津夫。彼の生い立ちからどうやってサティアンを築くまでになったのかを、写真家で作家の藤原信也氏が「黄泉の犬」という紀行文の最初の80ページほどの短い紀行文の中で書いています。これは食い入るように読みました。もし興味にある方は読んでみてください。
http://www.amazon.co.jp/dp/4167591057/ref=cm_sw_r_tw_dp_32Xfvb0QWFBNF
日蓮と松本智津夫死刑囚を同一視することは、日蓮系宗派の人にとっては聞き捨てならないことは百も承知です。しかしそのコンプレックスからくる上昇志向と一部の人間に対する求心力という側面に共通したものを感じると言う意味においては、なんら荒唐無稽な発言ではないと考えます。
このブログで私は日蓮のことを独善的選民主義のカルト人間だと言ってきました。今もその考えは変わりません。
日蓮が立宗宣言をして762年。彼にとっての知りうる世界はインド、中国、朝鮮と日本。中東もロシアもヨーロッパもアフリカもアメリカ大陸も知らない日蓮にとって、広宣流布という意味もまったく違ったものでしょう。彼がインド仏教がどういったものなのかも知らなかっただろうし、一閻浮提総与の意味でさえ、今とはまったく違うものだと思います。
2500年の昔、インドの釈迦は、この世に変わらないものなどはないと気がつきました。べつにその気づきが始成正覚だとか、仏の中のひとりの悟りだとかと言うのは、何百年もあとから付け加えられただけの解釈です。釈迦は単に人間の苦しみがなぜあるのか、どうやったらその苦しみや死への恐怖から抜け出すことができるのかを知りたかった。そして知ることができた。またそのことを多くの人に知らせて苦しみから抜け出すように促した。彼は人の生き方やものごとの考え方についてのビジョンを示した賢明な1人の人間でした。それが彼の死後、伝説となり、ヒンズー教の勢力からたたき出された後も、さまざまな形で伝承され、そのあいだに釈迦自身が神格化され、宗教として組織化され、分裂し、他国の言葉に翻訳され、土着信仰と結びつくことによって変化しながらも継承され日本までたどり着きました。そこにはもはや釈迦の教えなど片鱗もない、国体を整えるための権威主義の都合のよい構造が出来上がっていました。そこからさらに時代が過ぎて、不安定な世の中になり、人々がもはやどうやって生きていいかわからなくなったときに出てきたのが、鎌倉新仏教でした。なかでも異彩を放っていたのが、この日蓮の極端な独善的選民思想だったと考えられます。くわしくは歴史をひもとけばわかりますので、興味のある方は自分で調べてください。釈迦も日蓮もすがって願いが叶うような神や仏では絶対にないということがわかります。人間を神格化して人に崇めさせる。これは明らかに支配者の意図を感じさせます。日本は70年前まで天皇は神様だということになっていました。とくに神国日本の根拠として、天皇家が神でなくては他国侵略の根拠を失くしてしまうからです。そう言う意味では、ほんの70年前までは日本人はとんでもない妄想を押し付けられていたのだと思います。
さて日蓮は、日蓮正宗や創価学会が言っているように「末法のご本仏」なのでしょうか?この時代にそんなことが通用するのでしょうか?そもそも末法って何?誰が言い出したのか?すくなくとも釈迦ではない。法華経かもしれない。ただし法華経がいつ誰がどのようにして書いてまとめたのかすらわかっていない。鎌倉新仏教でさえ末法思想を論拠にしたのは念仏宗と日蓮宗だけだった。それは終末論によって「これをやらなければ地獄に堕ちる」という恐怖をあたえて自分の教えをいやでも信じさせる手法だった。戦後の新興宗教の多くがこの終末論と抱き合わせた教義によって信者を獲得していることを考えると、日蓮の教義はがいかに偏狭で異端だったのかがはっきりと見えてくる。結局のところ、日蓮は「自分がイチバンだぜ」という終着点にたどりつくためのドラマづくりをしていったのだと思います。
学会員さんって、とにかく日蓮が最高、創価が最高、池田先生が最高ってだけで、あとは功徳欲しさに言われるがままに動いています。自分が毎日唱えているお題目は一体何なのか、どんな意味があるのか、だれがどのような根拠で言い出したのか、それを唱えることで何がどうなるのか、そしてそれを信じている自分が周りの人にどんなことをしているのか、いま一度検証してみて欲しいと思います。
●モニカ (2015年3月29日 07:57 )
選挙に功徳があるんですか?と率直に尋ねると、幹部は一応反論します。
「いや、選挙そのものに功徳があるんじゃなくて頼む時、勇気がいるでしょ。それで題目上げるでしょ。それで功徳がつくのよ」
「ただの選挙と思うからいけないの。一切が広宣流布なの。信心と捉えるから功徳があるのよ」
とか何とか。
「そういう選挙目的で上げる題目は、他の題目より功徳が絶大」だそうです。
あ、やっぱり功徳あるんですね。
がしかし、もちろんそのようなことはSOKAの公式ホームページには載っていません。
一幹部が個人的見解で言ったことになるんでしょう。
これはその他一切に言えることで、財務は出せば必ず戻ってくるんですか?と聞けば、一応反論します。
「いやそんな気持ちじゃなくて100%真心よ。強制じゃないし」
でも「出し惜しみせず思い切った戦いをすれば、凡夫には想像もできない功徳があるんだ」と言い切ります。
あら、やっぱり功徳あるのね。
もちろん、これも公式ホームページには載せません。
幹部の個人的な戯言ですから(笑)
現場幹部は本心から確信を込めて指導しますから、嘘はついてない。
騙そうなんて思ってない。
だから詐欺なんて働いてるつもりはないのかもしれないけど、中枢部はこんなことして功徳があるとは全く思ってません。
常識で考えて当たり前です(笑)
思ってないけど現場の幹部にはガンガン言わせています。
当然、黙らせないし注意もしません。
トンデモ教とわかっていながらそれでよしとしています。
創価は正宗を否定して、本尊の解釈も否定して、他宗を邪宗を呼ぶことも否定して、次は何を否定するのか知りませんが、「創価には功徳がある」だけは否定しません。
これを否定したら終わりですからね。
「本尊が変わろうと教義が変わろうと、新聞を10部取ろうとそんなことはどうでもいい」
「功徳さえあれば何でも信じるし、何でもやるわ!」
こういう信者がいる限り、どんな詭弁でも使うでしょう。
シニフィエさんの仰る通り、例えば新聞の多部数購読を改革しようと思えば「こんなことをしても功徳とは無関係だ」という思考から改めないといけません。
功徳があると信じるから、やる人が後をたたないんですもん。
ですがトップはここだけは絶対に否定しません。
唯一ぶれずに否定はしない部分なのに、公式ホームページには載せませんが。
載せたらトップ自らが詐欺を働いた証拠になりますからね。
●モニカ (2015年3月29日 13:37 )
白いブランコさん
創価は詐欺に当たらないようなことだけを公式に発表して、掲載します。
それ以外のトンデモ教は大・小会合で幹部に口頭で喋らせます。
大確信をこめて。
しかしそれらは公式には載ってないので、追及されても個人のヨタ話とされます。
どの段階で誰が言ったの?と煙に巻く手法です。
年々、印刷物も残さないように細心の注意を払っています。
昔のように指導のテープを出回わせることもなく、録音も御法度です。
過去に出版された書籍は絶版にして知らんふりです。
一切を謝罪せずなかったことにする手法の創価にとって、文字や録音を残すことがどんなに不都合かよくわかってるのです。
アンチも負けず、youTubeをアップするなど容赦しませんが、そんな言葉を生で100万回も聞いてるはずの白いブランコさんまで
>いったい、誰が言いだしているのでしょうか。
なんて言われると白けますよ。
「折伏は折って伏せると書く。文字通り相手の命の害毒を切ってあげるんだ!」
「末法は折伏です!」
「この精神がなくなったら学会は終わりなんだ」
「初めて聞いた」なんて言わせませんよ。
こんなことアンチとわざわざ対話しなくても、創価ならよーーーーーーくわかっているはずです。
私たちは白いブランコさんが聞いたこともないような話なんてしていません。
ちゃんと組織にいて素直に活動してきた人ならむしろ、誰よりわかる話しかしてないじゃありませんか。
●モニカ (2015年3月29日 19:58 )
創価の功徳をちらつかせた詐欺まがいの勧誘については、どんどん書かせて頂きます。
ここ大事ですよ。
創価がここまで巨大組織になって二世三世の連鎖にまで繋がって、社会問題にまで発展した根源だからです。
仏教は本来そんなものじゃない。
欲の皮につっぱった奴らが商法に引っ掛かったくせに人のせいにするな、と笑う人もいるでしょうが、ではそんな何でも解る賢い御方は、藁をもすがる思いだった人の気持ちは解りますか?
昭和の一昔前は、問題が山積みだった家庭の中、一母親がすがるような思いで入会した、なんてのはよくある話でした。
学も教養もなく、難しい仏教の話には圧倒され頷くしかなかった。
折伏を始め、活動は嫌われてナンボ、それにひるまず勇気を出してナンボ。
これと引き換えにしなければ宿業は取れないと叱咤されました。
口答えなんて許されない。
そこまでしても子どもを守りたい幸せになりたいと、唇を噛んで素直に実践した、選択の余地なんてなかった人もいたのです。
完全に人の弱みにつけこんだビジネスですよ。
「仏教は本来そんなものじゃない」
「多様性を認めましょう」
とか何とか今さら取り繕っても、過去に散々言ってやらせたことを謝罪もせず、いつ何時もすべて自分たちは正しいかった、正義だとか言わない創価。
どんな苦しい見苦しい言い訳に終始しても、負けも間違いも認めないでツンとしている創価。
活動家の人柄がどんなによくても、この点を厳しく指摘しないなら本当に良い人でしょうか?
おめでたいというより鈍感すぎます。
世界平和だ、開かれた宗派などと言えば言うほど白々しく、私にはもう吐き気がする団体にしか見えませんけどね。
●あまにぃ (2015年3月29日 21:53 )
毎日新聞掲載(2001/9/25)記事一部抜粋
参考サイトhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~masajun/sintyaku/200109252.txt
池田大作・創価学会名誉会長インタビュー
「あらゆるテロは絶対悪」
毎日新聞 2001/9/25(火)1面掲載
【「国連特別総会でテロ対策」を提唱 創価学会池田名誉会長】
創価学会〕~独裁などあり得ない~
北村 :創価学会は70年を超えました。今、創価学会はどういう段階にあるのでしょうか。長年、指導者の立場にある点をどうお考えですか。
池田氏 :ほぼ日本の1割に(会員数が)なりました。基盤が出来上がったと見ています。当然指導者がいなければ、組織は正しい方向に動きません。とともに、皆に責任を持たせ、青年を育てていかなければ、どんな団体であっても安定と発展、持続はできなくなるものです。独裁などあり得ないし、時代遅れです。学会の運営は、役員会議・中央会議などを中心に、民主的にみんなの意見を最大に尊重して行っています。会議も私があまり出ると皆が遠慮してはいけないと思い、原則として出ないように心がけています。
岩見 :何か新しい独裁みたいな感じもしますが。(笑)
池田氏 :どう見られても、私は構いません。全部、自由ですから。ただ、私も名誉会長として、会則通りに働いています。独裁であれば人は育ちません。世界にも開けません。独裁は臆病です。必ず滅びます。
北村 :名誉会長、最近までずっとマスコミに登場しなかったのですが、最近、朝日新聞への寄稿から始まり、登場が続いています。何か思うところがあってですか。
池田氏 :創価学会というと、すぐに公明党と見られがちです。その公明は自民と一緒になってます。一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです。心ある会員にしかられます。また離れていきます。そこで、創価学会の主体性を明確にしておかないと、
内部的にも納得を得られないと思って発言を多くするようにしました。私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。
もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。
あまにぃ
10年ちょっと前に学会員から上記の新聞のコピーをもらいました。
当時はこの内容が理解出来ませんでしたが今となっては池田氏の得意の二枚舌であったことが判りました。
●satou (2015年3月30日 10:25 )
会員にとっては、題目をあげることよりも、何より功徳があると思われている選挙。
「公明党・ 松あきら子宮頸がんワクチン利権疑惑が勃発」というタイトルを見つけて、数年前に書かれたブログを覗いてみましたが、公明党の松あきらによるワクチン利権疑惑というのがあったようですね。知りませんでした。要するに公明党副代表でもあった夫が製薬会社と繋がっていて、そこに国から接種費用として年間三百億円という多額の公費助成金が出る。そういう利権がらみなんでしょうか、数年にわたって、その夫から松あきら個人の政治団体や政治支部に高額献金がされていたという話。そして副作用の問題が出始めると、それまで公明新聞で「公明党の推進で承認が決定」とか、「命を守る! 公明党の実現力と、その成果を誇示した。」とか大々的にアピールしておきながら、副作用問題が出始めると、やっきになってその事実を隠そうとしたとか。マスコミも、公明党=創価学会という構図を恐れて、その問題をあまり表ざたにしなかったとのこと。
会員のみなさんは、公明党は素晴らしい、もし、何か問題があったなら、それはよこしまな個人が起こした問題で公明党とは無関係としますが、命を守る公明党さんなんですから、この問題にしても公明党として、副作用問題を公表して謝罪すべきだと思います。新聞で大々的に宣伝して、会員に、ワクチン接種を周りにも推奨することを促してきた事実は消せません。また、都合の悪い事はマスコミに圧力をかけてでももみ消そうとする?体質も、結局会員が出すお金が元手ですよね?だとしたら、会員も間接的に揉み消しを手伝っていることになります。本当に創価学会は正しいと堂々と言いたいのなら、問題が起こったときには、それを隠すなと追求する姿勢が必要ではないですか?私は個人の不祥事の裏には、組織の指示があったんじゃないかと疑いますが(だから松さんも、公明党の顧問になどなっていられる?)。創価の実態なんて、もともと末端会員には分からないと思います。公明党の議員さんの選挙演説をを聞くと、こんないい人、素晴らしい人には、是非国会で活躍して欲しいと思わせられるような人を顔として立候補させますしね。でも、それらの人も組織の指示の元動いているだけじゃないですか?裏で指示する組織がよこしまなら、誰が立候補しようが同じという事です。だから、誰が出たって戦争は止められない方向に行くわけです。集団的自衛権行使容認にしても、戦争ビジネスをしたい某国が日本にも高額な武器、戦闘機などを買って、それを消費すべく戦地に繰り出そうと圧力かけてきたからではないでしょうか。それこそ、最もストッパーにならなくてはならない場面です。時代に合わせてなど、どんな言い訳も通用しないでしょう。人質事件にしても、助けず、わざわざ刺激するようなことばかりしていたのも、裏には、テロリストという敵の残忍さを認識させて、戦争賛成に持ち込むためだったのではないですか?公明党のストッパー力って、いったいどこで発揮されてるのでしょうか?どこが命を守る公明党なんでしょうか?都合のいいように作られる世論。学会員さんも、都合よく作られた情報に載せられるだけでは、知らず知らず、よこしま連中の仲間になってしまうんじゃないですか?そんなことで成仏だの世界平和だの出来ますか?
●signifie (2015年3月30日 11:08 )
satouさん、先日から特に精力的にコメントをいただき感謝してます。satouさんのコメントはほんとうに的を射て無駄がなくわかりやすいです。これからもよろしくお願いします。
子宮頸癌ワクチン問題は、これだけのたいへんな被害者を出しておきながら、公明党は謝罪の一言もなく、また今でもこのワクチン接種は行われています。問題が大きくなっても決してこのワクチンを使用禁止にするような措置はとられていません。厚労省は「子宮頸癌ワクチンによる副反応との因果関係は否定できないので、とりあえず推奨は控える」といった曖昧な表現です。どれだけ利権がらみだったかがわかりますよね。おそらくワクチンによる副反応を認めてしまうと、たいへんな賠償金を支払うことになるからでしょう。
●通りすがりの女性 (2015年3月30日 11:37 )
すみません、横から失礼します。覚醒した一人ですが、子宮頸がんワクチンのことは、信仰とも公明党とも別の問題として考えて頂けないでしょうか。
女性として、また公明党や学会とは全く関係のない女性の友人たちも、副作用があるなしの問題で、子宮頸がんワクチンが使用できなくなることを大変恐れています。
たとえ利権が絡んでいたとしても、薬の副作用や効果の詳細は、公明党だけのことで済ませられる問題ではないと思います。命に関わることですので、どうぞよろしくお願いします。
【解説】
シニフィエさんは、日蓮に対してめちゃくちゃな持論を展開していますが、私にとって日蓮大聖人は信仰の対象ですので、不愉快です。
アメブロでも紹介したように、今月(2月)はNHK-Eテレ『100分de名著』(月曜午後10:25 - 10:50)で植木先生の著書『日蓮の手紙』が紹介されています。
もうすでに3回が終わり、28日の放送を残すのみになっています。
本年は日蓮生誕800年にあたり、日蓮の国家主義的な一面のみではない、信徒に対する細やかな情愛あふれる書簡など、温情あふれる面がクローズアップされたりと、日蓮の再評価が世間的にされているようで、うれしい限りです。
鎌倉時代という制約の中で形成された日蓮教学の欠点のみをあげつらって日蓮を誹謗するのはどうかと思います。
子宮頸癌ワクチンについては、昨年12月20日のこのブログの記事で、次のようなシニフィエさんのコメントがあります。
●signifie (2014年4月2日 00:40 )
子宮頸癌ワクチンについても、内海氏が明確に答えてくれています。
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-295.html
シニフィエさんのワクチン嫌いは、内海氏の影響が強いと思いますが、このようなトンデモ医師の影響を受けた説をアンチ創価・アンチ公明の議論に紛れ込ますのは、問題をややこしくさせるだけです。
「通りすがりの女性」さんの危惧する通りです。
長くなるので、つづきます。
獅子風蓮