獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部第3章 その4

2023-05-07 01:54:47 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
■第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


6人態勢となった検察側

2月8日の第5回公判に出廷した塩田元部長は、調書の内容を全面的に撤回する証言を行いました。取り調べ検事からあると言われていた通信記録が、実はないことが分かり、「そもそも事件自体が壮大な虚構ではないかと感じるようになった」と証言。その直後、記者席でメモを取っていた記者たちが、何人か法廷を飛び出して行ったのが印象的でした。
裁判官から「それでは、あなたの記憶にある確かなことは何ですか」と聞かれ、塩田さんは「事情聴取を受けたことと、今ここ(証人席)に座っていること。それだけです」と答えました。結局、私の関与を認めた詳細な調書は、無から有が生み出された結果だったのです。
この塩田さんの証言は、検察にとって衝撃的だったのでしょう。次の裁判から、検察官席に捜査の主任検事を務めた前田恒彦検事と大阪地検公判部副部長の吉池浩嗣(よしいけひろつぐ)検事が加わり、なんと6人の検察官団になっていました。
検察側は、第2回公判から厚労省関係者の事情聴取を行った海津祐司(かいづゆうじ)検事と、やはり郵便不正事件の捜査に関わった塚部貴子(つかべたかこ)検事が立ち会うようになり、第4回からは私の取り調べを担当した遠藤裕介検事が加わっていました。当時はなぜか分からなかったのですが、あとで聞いたところによると、初公判の報道を見て、大坪弘道(おおつぽひろみち)・大阪地検特捜部長が特捜部の検事の立ち会いを指示したそうです。ちょうどこの頃、前田検事によるフロッピーの日付改竄疑惑が地検内で大きな騒動となっていたことも影響していたのかもしれません。そして、塩田さんの証言にますます危機感を強めたのでしょう。
リクルート事件の江副浩正(えぞえひろまさ)さんの初公判では、国会議員を含めて4人の被告人に対し、検察官は7人だったと聞いています。陸山会事件では、石川知裕(いしかわともひろ)衆院議員など3人の被告人に対して、検察官は4人だったそうです。このような他の特捜事件と比べてみても、たった一人の被告人に、6人もの検事を揃えた大阪地検の対応は、異様でした。
弁護団は、「そこまでこの事件に税金を使うのか」と呆れていました。私は、ものすごい圧迫感を感じました。巨大な組織がチームを組んで向かってくるようで、恐怖を覚えました。私には6人の弁護士さんがついていましたが、彼らがいかに優秀でも、それは個人が集まった小さなチームです。この恐怖に負けてはいけない、しっかりしなければと、気持ちを奮い立たせなければなりませんでした。
吉池副部長は最後まで法廷では発言をしませんでしたが、裁判を傍聴している記者たちを集めては、検察は決して劣勢ではなく、有罪判決に自信を持っている、ということをレクチャーしていたと聞いています。そのために、検察には何か“隠し球”があるのではないかと最後まで思っていた新聞記者も少なくないようでした。捜査段階には、上村さんの取り調べの内容などがマスメディアに伝わるなど印象操作が行われていましたが、裁判になってからも、検察はメディアをコントロールしようと一生懸命だったようです。

 

上村さんの供述

5人の証人尋問が終わりましたが、供述調書のとおりの証言をする人は誰もいませんでした。そんな中で、上村さんの証人尋問が始まりました。
上村さんが、自分の裁判の公判前整理手続で「証明書の作成は自分の独断で行った」と述べていることは、弁護団を通じて聞いていました。ただ、検察は彼の弱い部分を知り尽くしているわけで、どんな形で彼を責め立てて追い込んでいくのか、それに彼は耐えられるのか、ということは、とても心配でした。私自身の裁判への影響はもちろんですが、この証言は、彼の人生のためにも重要だと思いました。ここで、もう一回、検察の圧力や誘導に負けてしまったら、負け癖がついてしまいかねません。今後の人生のことを考えて、この証言を立ち直りのきっかけにしてほしいと、見守るような気持ちでした。
そうしたら、彼はとてもしっかり、一生懸命証言をしたので、ほっとしました。考えてみれば、この時の上村さんは、あのフロッピーを抱えさせられていました。その時点では検察の改竄とは分からず、何かのワナではないかと思いたくなる不気味な状態でしたが、そんな中で、よくがんばったと思います。
証言内容はとてもリアルで説得力がありました。上村証言によると、証明書が凜の会に渡った経緯は次のようなものでした。

私(上村)は、2004年4月に、厚労省障害保健福祉部企画課社会参加推進室の係長に異動になった。前任者から、凜の会についての引き継ぎはなかった。この会のことを知ったのは、会から証明書を早く出してほしいと督促する電話があったからだと思うが、はっきりしたことは思い出せない。その頃の私は、初めて予算を担当したこともあり、自分の業務内容を把握するので頭がいっぱいだった。しかも、制度改革が目前に迫っていて、日々、とても忙しかった。そのため、この督促については、雑事として後回しにしてしまった。最初はわずらわしいからと先送りし、それがにっちもさっちもいかなくなると、一刻も早くこの案件を目の前から消してしまいたいと思った。今回の事件は、面倒なことを先送りしてしまう自分の性格に起因すると思っている。
また督促があった時には、とりあえず凜の会側をなだめようと、作業をやっているという 形を見せる稟議書を作ってFAXしたが、これ以上先送りできないという状況になり、証明書さえ出せばことは終わるんだろう、という気持ちになって、自分一人で作ってしまった。上司には相談していない。誰にも相談できないうちに、何もかも自分で抱え込んで、にっちもさっちもいかなくなることは、それ以前にもあった。これも、自分の性格が原因だと思う。NPO法人・障害者団体定期刊行物協会からの証明書交付願もあり、凜の会が怪しい団体とは思わなかった。障害者団体が、証明書を悪用して金もうけをするなどの悪いことをするとは考えたこともなかった。郵便料金が負担で困っているなら、証明書を出してあげましょうと、そういう感覚だった。適正に使われると信じていたので、黙っていれば何の問題にもならず、バレない、と思っていた。
作ったのは、5月31日の深夜から6月1日の未明にかけて。作業は、自席のパソコンで 行った。なぜ、証明書の日付を5月28日付にしたのかは、覚えていない。6月1日の朝早く、誰も来ないうちに出勤してプリントアウトし、企画課の印鑑を入れてあるボックスから課長の公印を取り出して押した。私の方から凜の会側に「証明書ができた」と連絡したと思う。
凜の会の河野克史(こうのただし)さんと、厚労省と地下通路でつながっている弁護士会館の地下にある喫茶店「メトロ」で待ち合わせた。後ろめたいので、なるべく厚労省の建物に入れたくなかった。会って、アイスコーヒーか何かを注文し、証明書を渡した。会っていたのは10分程度のもの。とにかく証明書を渡して一刻も早く戻ってきたいと思っていたのは覚えている。サンダルばきで行って、走って帰ってきた。

証明書を渡した場面などは、とても具体的で、自分の生の記憶を話しているのがよく分かりました。
調書についても、「検察官の作文です。いくら自分が単独でやったと言っても、聞いてもらえなかった」「村木課長と私の会話が生々しく再現されていますが、それはでっち上げです」とはっきり証言しました。
國井検事の態度についての次のような証言内容は、同じ人から取り調べを受けた者として、非常によく分かりました。
「(國井検事は)私を自宅から連れていく時も紳士的でしたし、優しいというか、普通の人でした。ただ、僕が言う話は、聞いてメモする時と、そうでない時が、はっきりしていました。自分の興味のあること、都合のいいことはメモにするけれども、私の言っていることをきちんと書いてはくれませんでした」
「厚労省のノンキャリアとキャリアの違いとか、そういうことは結構興味を持ってメモしていました。どういうふうに役人が出世していくのか、そういう話は興味を持って聞いていたように思います」
「(独断でやったと)ちゃんと説明しているんだけど、聞き流してる。うなずいているんだけど、いざ調書のときになると、何もそのことについて書かれていない」
「物静かで、殴ったり蹴ったり脅迫したり、というようなことはないんですけど、僕の話していることを聞いてくれないんです。書いてくれないんです。信じてくれないんです。『具合が悪かったら言ってね』とか『眠れてる? 食事とれてる?』とか気遣ってくれるのに、肝心の僕の話は聞いてくれない。何でそういうふうに、そこだけ冷たいのか、今でも分からない」

不本意な調書が作られていく過程については、時に泣きながら、語りました。いくら事実を語っても受け入れられない。自分の知らない情報をどんどん教えられて混乱していく。自分以外はみんなが村木の指示を認めていると言われ、記憶に自信がなくなる。そんな中で、検事が望む調書を作らなければ、家に戻れないのではないかと、次第に追いつめられていくプロセスが伝わってきました。法廷では、被疑者ノートの一部が読み上げられ、取り調べの状況や上村さんの当時の精神状態がどのようなものであったかが、克明に明らかにされました。
上村さんが、事実と異なる調書の作成に応じてしまった自分自身を責め続けていることも、言葉の端々からにじみ出ていました。
「どうしても、自分が一刻も早く拘置所から出たいという、他人を犠牲にしてでも、自分のことばっかり考えるようになっていく、そういう卑しい自分になりました」
裁判を傍聴していた次女が、こう言いました。
「上村さんに、『もう怒ってないよ』って言ってあげたい」
この言葉が、うちの家族の気持ちを代表していると思います。
上村さんの証言で、裁判は一つの大きな山を越えた、という感じがしました。


解説
不本意な調書が作られていく過程については、時に泣きながら、語りました。いくら事実を語っても受け入れられない。自分の知らない情報をどんどん教えられて混乱していく。自分以外はみんなが村木の指示を認めていると言われ、記憶に自信がなくなる。そんな中で、検事が望む調書を作らなければ、家に戻れないのではないかと、次第に追いつめられていくプロセスが伝わってきました。法廷では、被疑者ノートの一部が読み上げられ、取り調べの状況や上村さんの当時の精神状態がどのようなものであったかが、克明に明らかにされました。

上村さんが弱い自分をさらけ出して証言台に立った姿は、胸に刺さりました。
上村さんが検察官に負けて「偽りの調書」に同意をしたために、ありもしない罪を着せられてしまった村木さんですが、上村さんに対する恨みがましい記述がまったくなく、かえって彼の今後の人生を心配し、同情しているところに感動します。

 

獅子風蓮



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。