獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部 終章 その2

2023-05-15 01:03:16 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
■終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


身柄拘束は慎重を期して

もう一つ、とても大事なのは、身柄拘束の問題です。検察官が「逃亡の恐れ」「罪証隠滅の恐れ」があると言えば、裁判所はほとんどのケースでそれを受け入れて、勾留を認めてきました。私の場合も、「マスコミに追われて逃亡する恐れがある」などと言って、保釈がなかなか認められませんでした。そして、上村さんの例でも分かるように、それが事実と異なる調書を作ることに利用されてしまっています。これは、検察だけでなく、裁判所の問題でもあります。
こんなニュースがありました。神戸地裁尼崎支部で、スーパーで566円相当のミカンなどを万引きしたとして窃盗で起訴された被告人に懲役1年が言い渡された判決で、裁判官がうっかり刑期から未決勾留日数として20日を差し引いてしまったのです。この被告人は身柄拘束されていなかったのに、勾留されていた期間から20日間は服役したものとみなす、という判断をしてしまったのです。
この程度の微罪で実刑ですから、同じような前科がいくつもあったのでしょう。そういう人なのだから、身柄拘束がされていて当然、という感覚が、裁判官の中にあったのではないでしょうか。それくらい、身柄拘束が当たり前のことになっているのです。
法制審の会議で、被疑者の身柄拘束は必要最小限でやっている、裁判所は適正に判断している、と言う専門家もいらっしゃいますが、果たしてどうでしょう。
「基本構想」では、「被疑者勾留の期間が原則10日と短期間に限られている」と書かれていましたが、これにも疑問を感じます。私は逮捕翌日、取り調べの検察官に、勾留期間は20日だと告げられました。勾留が認められる期間は、原則は10日で、「やむを得ない事由があると認めるとき」に限って、最大10日の延長が認められるのが法律の建前ですが、現場では、逮捕されたら20日の勾留は覚悟しなければならないのが実態です。
しかも上村さんの場合は、一連の事件であるにもかかわらず、検察は虚偽の稟議書と証明書を分けて立件し、それぞれで20日間、合わせて40日間の勾留がなされました。
制度は、建前通りに運用されてはいないのです。勾留について、もう少しまともなルール作りと、それを適切に運用する仕組みが必要だと思います。
もちろん、人々の安全を守ったり、犯罪の摘発は大切です。そのために、通信傍受や司法取り引き的なことが必要だということも、法制審で議論されています。私は、きちんとしたルールを作り、手続きが透明化されるのであれば、新しい手法を取り入れてもいいと思います。今までのように、誰の目も届かない密室の中で、保釈などを巡って取り引き的なやりとりをするのではなく、すべて可視化された中であれば、それが問題のあるものか適正な交渉であるか、裁判官が後から確認することが可能だからです。

 

引き返せる検察になってほしい

冤罪は、疑われた本人だけでなく、その周囲の人たちにも、大変な影響を及ぼします。私も夫と二人の娘には大変な負担をかけました。両親にも本当に親不孝をしてしまいました。私の父は心配のあまり胃潰瘍を患いました。母は、判決から1年もたたずに亡くなりましたが、娘の無実を信じながら過ごす日々の心労は、いかばかりだったかと思います。夫の父も、わざわざ北海道から拘置所に面会に来てくれました。高齢の親たちに心配をかけたことは、とても辛かった。冤罪は家族にも重い荷を背負わせてしまうのです。
私が冤罪を晴らして社会に復帰できたのは、私が無実だったから、だけではありません。 幸運だったからです。無罪になるのは、優秀な弁護人やよい裁判官に巡り合うなど、いくつかの条件が重ならなければ難しいのです。やってもいない罪に問われた時、運を頼みにしなければならないのでは、法治国家としてあまりに残念です。普通に適正な手続きを行えば、無実の者の嫌疑が速やかに晴れるような、冤罪ができる限り防げるような、そんな仕組みが必要ではないでしょうか。
職場復帰をして間もなく、友人が集まる会合がありました。検事をやっているH氏が、わざわざ私の隣の席に座って、「申し訳ない」と頭を下げました。いろいろな話をしているうちに、彼が、息子も検事になったんだが、今度の事件を見て、検事をやめると言い出したんだと話してくれました。「どうか、息子さんに検事をやめないでと伝えてください。 検察からいい人がどんどんやめてしまうようになったら国民が困るんだから」と話しました。
事件の後、何人かの現役、あるいは元検事総長とお話をする機会を得ました。元特捜部長とも話しました。皆さんが、深く謝られたのはもちろんですが、みんなから異口同音にこうお礼を言われたのには驚きました。「こんなことを言うのは失礼だとわかってはいるが、ありがとう。こういうことがなければ、検察は変われなかった」と。考えてみれば、検察は常に巨悪と闘うことを期待され、また、常に「間違うことは許されない」というプレッシャーの下で仕事をしています。警察もまた同じです。どんなに一人ひとりがモラルを高く保とうと努力しても、こうしたプレッシャーの下、今の制度のままでは、無理な取り調べをし、事実とかけ離れた供述調書を作り、間違いに途中で気づいても、けっして引き返さない、そんなことがまた繰り返されるでしょう。そういうことができない、そういうことをしなくて済む制度を作る必要があります。その意味で、法制審の議論は本当に重要です。委員として最善を尽くしたいと思って います。
制度改革をし、それを実行に移す、そしてその効果を検証する、これから長い道のりです。夫の言う「得難い経験だけど、二度と味わいたくない経験」をした人間としてこのプロセスに関わっていかなくてはと思っています。これも、すぐに「勝てる」戦いではないでしょう。でも、私は私なりに、粘り強く、負けないための戦いを続けていこうと思います。そして、検察が国民からの信頼を取り戻すための努力を続けていくことを願い、それをこれからもしっかり見守っていきたいと思います。


解説】】
事件の後、何人かの現役、あるいは元検事総長とお話をする機会を得ました。元特捜部長とも話しました。皆さんが、深く謝られたのはもちろんですが、みんなから異口同音にこうお礼を言われたのには驚きました。「こんなことを言うのは失礼だとわかってはいるが、ありがとう。こういうことがなければ、検察は変われなかった」と。考えてみれば、検察は常に巨悪と闘うことを期待され、また、常に「間違うことは許されない」というプレッシャーの下で仕事をしています。警察もまた同じです。どんなに一人ひとりがモラルを高く保とうと努力しても、こうしたプレッシャーの下、今の制度のままでは、無理な取り調べをし、事実とかけ離れた供述調書を作り、間違いに途中で気づいても、けっして引き返さない、そんなことがまた繰り返されるでしょう。そういうことができない、そういうことをしなくて済む制度を作る必要があります。

ここは、胸に刺さります。
硬直した組織を変えるためには、誰かが声を上げなくてはいけない。


さて、官僚化して硬直した現在の創価学会上層部の意識を変えるためには、誰がどういう行動を取ることが必要とされているのでしょうか。
私など、へなちょこ脱会者にすぎないので、いくらこんなブログを書いても、たいした力にならないことは承知しています。
しかし、私のブログが、少しでも良心的な幹部の心に届き、創価学会組織が風通しのいい正直な組織に変わればいいなと思っています。


このシリーズは、これで終了です。

村木厚子『私は負けない』の残りの部分に関心のある方は、ぜひ購入してお読みになることをお勧めします。

 

獅子風蓮



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