出勤前に、北浜町は北濱恵美須神社にやってきました。この立派な石柱から入ってゆきます。
海を振り返る……向こう岸に「東濱恵美須神社」がみえます。
狛犬さん。
弘化3年の燈籠
向こう側に赤い鳥居が見えるのが妙だなと思いながら進む
「恵」しかみえない……。が、皇紀二千六百年記念の注連石を過ぎて……
稲荷神社としか思えぬ
金玉稲荷神社でござった。ここで、笑った日本国民の皆さん
たぶんこれはキンギョクとかカナタマと読むんだよ。
小穴君は神経質に徹してゐる。時々勇敢なことをしたり、或は又言つたりするものの、決して豪放な性格の持ち主ではない。が、諧謔的精神は少からず持ち合せてゐる。僕は或時海から上り、「なんだかインキンたむしになりさうだ」と言つた。すると小穴君は机の上にあつたアルコオルの罎を渡しながら、「これを睾丸へ塗つて置くと好いや」と勧めた。僕は小穴君の言葉通りに丁寧に睾丸(きんたま)へアルコオルを塗つた。その時の睾丸の熱くなつたことは火焙りにでもなるかと思ふ位だつた。僕は「これは大変だ」と言ひながら、畳の上を転げまはつた。小穴君はひとり腹を抱へ、「それは大変だ」などと同情(?)してゐた。僕はそれ以来どんなことがあつても、睾丸にアルコオルは塗らないことにしてゐる。……
――芥川龍之介「僕の友だち二三人」
ていうか、恵美須神社はどこだろう……?と思ったら、右手にありました。どうやら入口を間違えていたようです。
今来た道を振り返ってみる。
左手に立派な鳥居がありました。皇紀二千六百年記念。
燈籠は、天保年間か?
『香川県神社誌』曰く、
「仁和三年国主菅原道真の創祀と傳ふ。」
道真さん!
「天明六年北濱材木町年寄蔵屋敷彌三郎調べの當社御由緒記(細川頼春の臣 秋山土佐守泰忠の記録、一柳丹後守直重の寺社奉行所記録、御由緒記、年中行事御用帳による)によれば、仁和三年二月菅原道真箆原庄石清尾山上に、瀬戸内海群島及び箆原庄の守護神として奉齋、天照大神、事代主神を祀り、細川頼春及頼之當国の大守となりて崇敬厚かりし」
細川さんたのみますよ……
「が、長宗我部氏の兵火に罹り僅かにその祠のみ残りしに」
またこいつかっ。長宗我部すごいな、ぜんぶ焼き払ってるんだな……
「生駒近規高松城の為黒田如水と宮脇山に登りてその神祠を見、鬼門の鎮守として城の東北隅に遷座せり。」
よしっ。生駒さんなら何とかしてくれる
「寛永年中暴風ありて海中に顛落せしを、生駒高俊恐懼直ちに漁夫に命じて探索し再び奉齋せり。」
どうせたいしたことのない台風だけど油断してるんですよ、ここらの人々は
「爾来内町(玉藻城外壕内)中の氏神として崇敬厚く、寛永十九年松平頼重大守となるに及び大にその祭事を興し、松平頼常亦二回に互りて社地六百坪を寄進せりと云ふ。」
それにしても、お偉方というのは、結構な数の氏神を「崇敬厚く」してるんだけど、今で言えば「タマちゃんやジュンちゃんが挨拶に来てくれた」、「県知★が挨拶してくれたぞ」、「文★●の役人がいらっしゃるぞ」、「イバンカ笑」みたいな感じであろうか。
簡素な神社になっている……。大きい台座のあとがあるが、ここにでかい拝殿があったようである。注連石は明治33年。
いまの拝殿のところに昔の写真があった。さっきの燈籠にも「西宮大神宮」とあったから、西宮神社系統のえびす神社なんですね。すると祭神はエビス大神かアマテラスかオオクニヌシか……
狛犬さん。なんと足が付け足されていた。
本殿
本殿によりそう樹木。