★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

進むわれらのキマイラ

2022-01-20 23:38:46 | 文学


宮柱ふとしき立てて 万代に今ぞ栄えむ鎌倉の里

宮柱を立てて、みたいなのはやはり古代を思い浮かべるべきなのであろうか。たぶん鎌倉という土地にあまり自信がなかったのであろう。そういうときには、まず宮柱を立てるのである。砂の山に枝を突き刺すこどもみたいなものである。

しかしまあ、この鎌倉も今に至っては何かおしゃれな土地にまで成りあがっているのである。むろん、われわれにとっては鎌倉文士が大きい。鎌倉文士たちnには、あるいは、京都や東京の文化とは違う拠点をもつみたいな、――鎌倉幕府みたいな意識があったのかもしれない。

そういえば、保田與重郎なんか、日本の橋だとかいうて、結局好きなのは奈良京都なのであって、――例えば、三島由紀夫は若いし東京の人だから神道というものはわからんだろうとか言っている。それはわたしが持っている、お前らみたいな平野人が御嶽のことが分かるかみたいな意識であったろう。わたしなんか山は暗黒で怖かったくせに、山伏になった夢さえ見たことがある始末で、――保田の日本もたぶん夢である。しかし、この夢だか現実だか分からない意識こそがすべてのものよりも大きい。これを求めて、実際の空間すら占拠しようとするのが人間である。

大東亜共栄圏とは、中国やビルマを含めた広い土地のことではなかった。むしろ日本やそれら、東南アジアの列島を外縁に持つ海のことであった。東方社の出していた『大東亜建設画報』にある共栄圏の大きな図を見ると、太平洋を囲む日本列島や東南アジアの諸列島を要塞線かつ文化交流の線みたいに考えていたみたいである。でも、それはちょっと「線」的な発想だよな、と思う。その「線」は虚無を飛び越えている。

わたしは山の出身だから河が一種の路であることはなんとなくわかるが、島と島の間はもっと虚無的なものがあるに違いないのだ。柳田の「海上の道」や吉本の「南島論」を読んでてもなんとなくその違和感がぬけないな、わたくしは。なぜ、このような虚無を想像的に乗り越えられるのかわからない。実際にそこに道があったとしても、そこには長い時間がかかりすぎている。実際は道ではなく、死の忘却による点としての移動である。――実際、戦争で露呈したのはそのことである。

だから、中国の一帯一路みたいな砂煙を立てて進撃する陸上の移動とは訳が違う。

その怪物は少しもじっとはしていなかった。ゴムのように強靭な筋肉で人々を締め付け、巨大な爪を肩に食い込ませていた。また神話に出て来るままのその頭は、人の額に覆いかぶさり、古代の戦士たちが敵を脅かそうとしてかぶっていたあの恐ろしい兜を思い出させた。私は彼らの一人に向かって、一体どこにいくのだと問うた。その男はわからないと答えた。誰も知らないのだ。だがどこかに行こうとしていることは明らかだった。彼等は見えない欲求に駆り立てられて歩き続けているのだ。

――ボードレール「 Chacun sa chimère」(壺齋散人訳 http://blog.hix05.com/blog/2008/12/-chacun-sa-chimere.html)


ボードレールのみたキマイラを負った人々とは、果たして陸上を移動する人々のことであろうか。よく分からないが、本当は、柳田の描く「海上の道」を進む人々の方がそうかもしれないのだ。我々の文化が持つ、赤ん坊のような暴走を起こす何者か、それは無意識にも死を忘却し乗り越えて進むものなのかもしれない。自分では点として田んぼを耕しているつもりであっても。


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