★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

麻薬的悟空行者論

2024-06-30 20:07:46 | 文学


行者は一粒の仙丹に化し、盤の内にまろび居たり。かの盤を両手にささげ、洞の内に入り給へば、黒漢忙ぎむかへ奉り、客殿にいざなひ、座定りて後、菩薩のたまはく、「小道一粒の仙丹を献じて、大王の壽を賀し奉る」とて盤を黒漢の前にさし出し給へば、熊精大きによろこび、則丸葉をとりて口中に入れたりける。 行者急に腹中に飛入り、手脚を延べて舞躍る。熊楠仰天する事大かたならず、「命をゆるせ、いのちを免せ」とさけびけるに、菩薩忽ち本相を顕し給ひ、「命をしくば袈裟を出し返すべし」とのたまへば、熊精いそぎ小妖を呼んで、裂装とり出して菩薩の御前にさし置きたり。此時行者鼻の孔より飛出で、袈裟を取て走り出るを、熊精怒て、鎗をあげて突かんとす。観音菩薩ふところより金箍一つをとり出して、黒漢が頭に戴かせ、咒を念へ給へば、熊精頭をかかへ地にまろび、「あなや頭痛や。吾をゆるさせ給へ」と泣叫びて詫びけるに、観音則かれが為に摩頂受戒し給ひ、御弟子となして南海へ引傾き給へば、行者菩薩に向ひ礼拝し、袈裟をささげて観音院へかへりけり。

西遊記を読んでると、悟空を「行者」と呼んでいることによってすごくいい話になっている気がしてくる。実際やってることは、敵の腹の中でダンスを踊るという、かぜクスリを飲んだら、クスリが胃の中で暴れているというかんぜんに生物ではなく、毒薬である。三蔵法師は麻薬かなんかを弟子にして制御しているのである。もはや清原選手とかのレベルである。麻薬の治療をしている人たちは三蔵法師である。

ロジェストベンスキーのえんそうみたいなものを生成できたらAIに文化を任せることしたい。この独特なかんじをどうやってデータに落とし込むのであろう。悟空よりも大変なことだ。

そういえば、わたくしはそれなりにドラマの主題歌などに興味をもつひとであるのだが、我が妹2などは小学生の頃から時代劇のテーマを耳コピしてピアノで弾きまくっており、結局伝統芸能の道にいってしまった。私が研究もどきをしているのには妹のようにはならなかった、なれなかったという現実があった気がする。結局、中島敦にいわれるまでもなく、芸や戦いに強いタイプは悟空タイプなのだ。

そうではない、沙悟浄タイプは、どうなるのか。最近妙に悟りの境地に達してきたようなきがしていたのだが、体重が減って血圧が下がったせいであるという可能性が富士よりも高い。


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