★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

漂泊者と中間管理職

2024-08-28 23:15:01 | 文学


 東さかひの桜沢から、西は美濃の中津川を経て十曲峠まで、およそ二十二里にわたる谷のあひだに、 木曾十一宿が散在してゐる。馬籠を中心としたこの一筋の道が「夜明け前」の舞台である。「街道」といふ言葉に、藤村は二つの意味を与へた。ひとつは、云ふまでもなく交通と交通のもたらす変革である。「交通の持ち来す変革は水のやうに、あらゆる変革の中の最も弱く柔かなもので、しかも最も深く強いもの」(第二部第十一章)だ。その力は貴賎貧富を貫き、人間社会の盛衰を左右する。「歴史を、地図をも変へる。そこには勢ひ一切のものゝ交換といふことが起る」(同)と。最も弱く柔く、しかも深いものを体現してゐる、それが同時に木曾路の人々の性格なのだ。

上の亀井勝一郎の『島崎藤村』には「漂泊者のしらべ」みたいな主張が、当時の日本浪曼派的なものと同調しながら書かれていた。最初、半蔵は、現代では東浩紀氏の「観光客」みたいなものであろうかとも思ったが、半蔵は街道の世界にとってよそ者ではないから違う。で、むしろ難民といったほうがよいかもしれないと思ったが、そんな故郷の喪失とは無縁だからそれとも違う。そして、よく考えてみたら、中間管理職みたいなものだと思うのである。亀井は自分が転向=漂泊者的だから、藤村が漂泊者にみえるのであって、当時の藤村は文壇の中間管理職みたいなものだったのではなかろうか。実際、本陣の階級をプチブルジョアみたいに決めつけない限り、本陣の仕事なんか、もともと上と下に挟まれた面倒な媒介者的仕事だった。しかも、半蔵はそこからも疎外されていながら、いざという時に動かなければならない。これは強いられた中間管理職で、現代においてよくみられるやつである。実際、これは案外動きすぎてはいけないほど動く役職である。