★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

音はない

2024-10-10 23:24:21 | 文学


 ヘロインは、ふらふら立つて鎧扉を押しあける。かつと烈日、どつと黄塵。からつ風が、ばたん、と入口のドアを開け放つ。つづいて、ちかくの扉が、ばたんばたん、ばたんばたん、十も二十も、際限なく開閉。私は、ごみつぽい雑巾で顔をさかさに撫でられたやうな思ひがした。みな寝しづまつたころ、三十歳くらゐのヘロインは、ランタアンさげて腐りかけた廊下の板をぱたぱた歩きまはるのであるが、私は、いまに、また、どこか思はざる重い扉が、ばたあん、と一つ、とてつもない大きい音をたてて閉ぢるのではなからうかと、ひやひやしながら、読んでいつた。
 ユリシイズにも、色様々の音が、一杯に盛られてあつた様に覚えてゐる。
 音の効果的な適用は、市井文学、いはば世話物に多い様である。もともと下品なことにちがひない。それ故にこそ、いつそう、恥かしくかなしいものなのであらう。聖書や源氏物語には音はない。全くのサイレントである。


――太宰治「音について」


確かに「聖書」や「源氏物語」には音がないというのはわかる。しかし、音がないことがいいことかどうかはわからない。

フルトヴェングラーの録音聞いていると不思議なのは、――雑に言ってフォルテの種類の多さで、なんで更に次の大きさがあるんだみたいな場面がある。それは人間的でも非人間的でもなく、下品でも上品でもないのだ。彼の音楽は原爆の裏返しのような感じがする。原爆にも音がない。


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