★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

老いた文明

2024-10-11 23:38:25 | 文学


「私はどうしても貴女と離れることができませんでした。それと同時に私は妻子とはなれることもできませんでした。私は世間なみの紳士としての対面と、夫として父としての義務とをはたしつつ、しかも貴女との愛を永久につづける手段を考えました。それがあの雑司ヶ谷の実験室での生活でした。しかし貴女が妊娠されたことを知ったとき、その露覚をふせぐために更に大胆な第二段の手段に訴えねばなりませんでした。人造人間の実験がそれであります。昨日は貴女に麻酔薬を用いて、老婆に頼んで、愛児を講演会場につれてゆきました。どうにか会場ではごまかすことができましたが、私の良心をごまかすことは遂にできません。世間を欺き、家庭を欺き、学問を冒涜し、最後に、恋人をすら欺かなければならなかった不徳漢にとって、残された道は死あるのみです。子供のことはよろしく御願いします」
 房子は博士の遺書を抱いて産褥の上にいつまでもいつまでも泣きくずれたのであった。


――平林初之輔「人造人間」


あるわるい科学者が、大谷とダルビッシュと山本と王と落合とイチローの細胞を採取して人造人間を作りました。できあがった人造人間は、野球ファンでガンダムファンで大食いで大男で一生楽しく暮らしました。

平林的な想像力はいまや鳥山明や庵野秀明にとどまらず、わたくしなんども起きがけに思いつく程度のものにすぎない。もうわれわれはどうしようもないところにきているのである。ノーベル文学賞は、韓国のハン・ガンであった。いくつか読んだだけだが、このひといつかノーベル賞なんじゃないかと思っていたがやっぱりとったね。わたくしは親父の作品のほうがすきなのであるが。

ノーベル平和賞を日本の被爆者団体が受賞した。遅すぎる。

崩壊の足音は、80年代から十分に聞こえていた。そういう音を少女まんがなんかが聞いていた。「記憶の技法」の吉野朔実、いろいろとすごいわけだが、主人公たちの髪の毛のぼさっとしたかんじがいいとおもう。「恋愛家族」という幕間劇もすごい。わたくしは、この作家の妙に完成度の高いお話のしめ方が不気味であったが、作者も50代で亡くなってしまった。

高校の頃、手のりインコを飼っていたので、ときどきいまでも後ろから羽音がしてわたくしの肩に止まるものがいる。

『群像』の十月号に載ってた、白岩英樹氏の猫随筆がこのよのなかまだ捨てたものではない感じを醸し出していたが、漱石も内田百閒でも誰でも、動物の登場には深い絶望が潜んでいて、――というかそれを引っ張り出すために動物がでてくるのである。われわれは、動物を見るときだけ、自分のひどい顔を見ずに済む。

そういえば、ドラえもんの声優さんも亡くなったそうである。ドラえもんや悟空の聲を高齢女性がやっていたということからして、日本人の求めているのは、おばあちゃんのような友達ではなかろうか。

シュペングラーではないが、文明が老いるというのは本当である。シュペングラーもたぶん予期してたと思うが、老いは死ではなく、死ねなくなっているということなのである。死は生を生むが老いは何を生むのか、われわれの文化はそれをめぐって寝返りを打っている。


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