★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

腹鼓は海をさえ驚かす

2020-10-10 23:01:42 | 文学


浅茅生の野辺にしあれば水もなき 池に摘みつる若菜なりけり
いとをかしかし。この池といふは、所の名なり。よき人の、男につきて下りて、住みけるなり。この長櫃のものは、みな人、童までにくれたれば、飽き満ちて、船子ども腹鼓をうちて、海をさへおどろかして、波たてつべし。


わたくしは、うたよりも、「船子ども腹鼓をうちて、海をさへおどろかして、波たてつべし」が楽しいと思う。波が高い時は、船は出せない。そんな現実を吹き飛ばす。だからこそ「水もなき」という言葉、ひいては、それと対照的な「若菜」が輝く。

秋も末のことですから、椋の木の葉はわずかしか残っていませんでした。その淋しそうな裸の枝を、明るい月の光りがくっきりと照らし出していました。そして一本の大きな枝の上に、狸がちょこなんと後足で座って、まるいお月様を眺めながら、大きな腹を前足で叩いているのです。

ポンポコ、ポンポコ、ポンポコポン、
ポンポコ、ポンポコ、ポンポコポン。

 次郎七と五郎八は、あっけにとられて、暫く狸の腹鼓を聞いていました。それから初めて我に返ると、五郎八は次郎七の肩を叩いて言いました。
「空手で戻るのもいまいましいから、あの狸でも撃ってやろうか」
「そうだね」と次郎七も答えました。「狸の皮は高いから、可哀そうだが撃ち取ってやろう」
 そして二人は鉄砲に弾丸をこめ始めました。
 ところが、その話が聞えたのでしょう、狸は腹鼓をやめて、じろりと二人の方を見下ろしました。そしておかしな手付を――いや、狸ですから足付というのでしょうが、それをしますと、急に狸の姿が見えなくなって、後には椋の木の頑丈な枝が、月の明るい空に黒く浮き出してるきりでした。
 次郎七と五郎八とは、またあっけにとられて、夢でもみたような気がしました。それからいまいましそうに舌打ちをして、弾丸のこもった鉄砲をかついで、帰りかけました。
 八幡様の森を出て、村の中にはいろうとすると、これはまた意外です、道のまん中にさっきの狸が後足で立って、こちらを手招きしながら踊ってるではありませんか。
 次郎七と五郎八とは、黙って合図をして、鉄砲でその狸を狙い、一二三という掛声と共に、二人一緒に引金を引きました。ズドーンと大きな音がして、狸はばたりと倒れました。二人は時を移さず駆けつけてみますと、これはまたどうでしょう、大きな石が弾丸に当たって、二つに割れて転がっているのです。
 二人はばかばかしいやら口惜しいやらで、じだんだふんで怒りました。きっと狸に化かされたに違いないと、そう思いました。そして、是非とも狸を退治してやろうと相談しました。


――豊島与志雄「狸のお祭り」


近くの神社は、狸祭りで有名なんだが――、小学生達が狸に扮して楽しそうである。しかし、狸は可愛いだけではない。海を波ただせる程である。