★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

懸命の憎悪を眸の裏に

2018-06-01 23:34:49 | 文学


今日は、漱石の「柿」(『永日小品』)の演習。

その時与吉の鼻の穴が震えるように動いた。厚い唇が右の方に歪んだ。そうして、食いかいた柿の一片をぺっと吐いた。そうして懸命の憎悪を眸の裏に萃めて、渋いや、こんなものと云いながら、手に持った柿を、喜いちゃんに放りつけた。

クライマックスで手を抜かない漱石……。

小田嶋隆氏が、一週間に複数の文章を書かなくてはならないのは不健全だみたいなことを書いていたが、確かにそういうことはある。本質的に、精神は反復を嫌っている(誰の言葉だっけかな……)。リベラルな勢力が気をつけなくてはならないことであろう。確か、武井昭夫などが「原則はいつもあたらしい」とか言っていたような気がするが、それはなかなかに困難な道である。現実に対する生き生きした解釈がなければ、原則はいつも教条に転化してしまう。いまは、あまりにも不正や不幸の代替物を探すことに一生懸命な人が多いから、その余裕がない。「懸命の憎悪を眸の裏に萃めて」である。