カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」はなんだか好きな映画で、もう十回くらい観ているのであるが、きれいな画面だと思うのと、アンソニーホプキンスのオーラが主人公のキャラクターと絶対矛盾的に統一する妙な感じが心地よいからである。
原作は、どこまで理解できているのか自信が全くないが――、恐ろしくシニカルな、意地悪な作品であり――、ノーベル賞委員会は「世界とつながっているという幻想に潜む闇が~」とか何とか言ってたが、そんな恐ろしい闇ではなく、サタイア作者の心が「腹黒い」のである。むかし、この原作を読んだとき、これは幸福な世界に生まれたカフカみたいな作家だと思った。もう少し時代の症状が進むと、カフカみたいに、ユーモアはなにかぶっ壊れた感じになってゆくのである。
といっても、もう原作がどんな文章だったか思い出せない。「レッド・ドワーフ」のギャグならすぐ想いだせるというのに情けない話だ。
思うに、恐怖と品格は実は通じるところがあるのではあるまいか。
というのはまじめな感想であるが、本当にまじめな感想を言うならば、――わたくしには、執事みたいなものに対するあこがれがある。なりたくないのは、主人だ。主人になると、ユーモアがなくなり本当の意味でぶっこわれる自信がある。大学でもどこでも、そんなぶっ壊れた人たちがまだ「残っている」。