★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

The Remains

2018-06-06 23:51:45 | 文学


カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」はなんだか好きな映画で、もう十回くらい観ているのであるが、きれいな画面だと思うのと、アンソニーホプキンスのオーラが主人公のキャラクターと絶対矛盾的に統一する妙な感じが心地よいからである。

原作は、どこまで理解できているのか自信が全くないが――、恐ろしくシニカルな、意地悪な作品であり――、ノーベル賞委員会は「世界とつながっているという幻想に潜む闇が~」とか何とか言ってたが、そんな恐ろしい闇ではなく、サタイア作者の心が「腹黒い」のである。むかし、この原作を読んだとき、これは幸福な世界に生まれたカフカみたいな作家だと思った。もう少し時代の症状が進むと、カフカみたいに、ユーモアはなにかぶっ壊れた感じになってゆくのである。

といっても、もう原作がどんな文章だったか思い出せない。「レッド・ドワーフ」のギャグならすぐ想いだせるというのに情けない話だ。

映画は、上記のように、アンソニーホプキンスの「羊たちの沈黙」の記憶と執事の品格の間で、視聴者が葛藤する映画である。

思うに、恐怖と品格は実は通じるところがあるのではあるまいか。

というのはまじめな感想であるが、本当にまじめな感想を言うならば、――わたくしには、執事みたいなものに対するあこがれがある。なりたくないのは、主人だ。主人になると、ユーモアがなくなり本当の意味でぶっこわれる自信がある。大学でもどこでも、そんなぶっ壊れた人たちがまだ「残っている」。