★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

NHKが深夜に変態番組を組んでいる

2010-08-20 23:20:12 | 音楽
仕事を抱えているにもかかわらず、NHKで深夜、アバドがベネズエラの若手オーケストラをふった録画をやるというので、そわそわする。

1.スキタイ組曲「アラとロリー」作品20(プロコフィエフ)
2.歌劇「ルル」からの交響的小品(ベルク)
3.交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」(チャイコフスキー)

いくら若手のオーケストラだからといっても、ちょっと内容がやり過ぎ的な何かだと思う。

「アラとロリー」は、血気だけが取り柄の曲(と当時から見られていた気がする)である。スキタイ人が生け贄を捧げてた女神がいたんだが、彼女を邪神のなんとかいうのが襲ったり、太陽神がそれをやっつけたり、まあそんな感じで――とにかく内容は忘れたが、ストラビンスキーの「春の祭典」に対抗してプロコフィエフが「俺の方が過激にやれる」と、オーケストラに、「唇が裂けるほど強く吹け」とか「太鼓は破れてOK」みたいなものを要求した結果、演奏後全員切腹するかカツカレーを食べるかしか選択肢がない体力を使う……曲である。勘違いした中学校の吹奏楽団などが、編曲してコンクールでやったりするが、だいたい金管が本番で玉砕して青春を台無しにしているのはよく知られている。

「ルル」は、前作「ヴォツェック」で変態博士と妄想殺人を音楽でやってしまったベルクが、「もっと殺れるぜ」と思ったかしらないが、更にひどいはなしである。ルルという魔性の人が、いろいろと殺してしまうのだが、最後は切り裂きジャックがでてきて彼女を殺す。ルルが殺され、確か彼女と同性愛の女の子も刺されて「Nein!Nein!Nein!Nein!ぎゃあああああああああぁぁぁ」と叫ぶ(ルルだったかなこの叫びは?まあどっちでもいいと思う)。ベルクはわざわざ組曲までつくって自分の変態ぶりのエッセンスを示そうとしているのだが、その「ぎゃあああああああぁぁぁ」をちゃんと組曲の中でも叫ばせるのだ。一体、クラシックの演奏会を何と心得る。そのあと「ルル、私の天使」とかしんみり歌わせてもごまかされんぞ。その前の「ぎゃああああああああぁ」が羞恥心とトラウマになってそれどころではない。

チャイコフスキーの「悲愴」は名作としてまつり上げられているが、いったい何を表現したいのか分からない――あれな曲である。実際、鬱病患者がこれを聴いて自殺をはかったという伝説があるが、本当かは知らない。私は、モーツアルトには確かに小林秀雄が言うように「万葉の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい」ところがあると思う。対してチャイコフスキーは、歌を詠む余裕のなさを知っていた人であると思うのである。