★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

国境を越えない人、愛する人

2024-04-14 23:12:52 | 文学


大史書日「趙盾弑其君」、以示於. 朝。宣子曰「不」然。」対日「子為正卿、亡不越竟、反不. 討賊、非子而誰。」

趙盾は主君の霊公と対立し、霊公は刺客を送ったが二度失敗。で、逆に霊公がクーデターで殺された時に、趙盾は国境を越えられなかった。で、あなたは立場上賊を撃たなければならなかったのだ主君を殺したのと一緒だ、と言われたのである。国境を越えてしまえばよかったが。というわけである。孔子もこれを教訓としてお話ししている。

しかしまあ、このひとが国境を越えられなかったのもわかる気がするのである。そして罪をオワせられるのを知ってて止まった気がする。そもそも自分が主君を諫められなかったのが原因なのだ。主君が嫌いでも好きでも政治家は職務を全うすべきなのである。いまの自民党がだめなのはそういうことだ。立派でないひとは、誰が正義を貫いたかだけで自分を判断するので、いざというときに逃げ出すものである。比較しか頭にないから、こっちがだめならあっちに飛び移る。

夫婦で働けば外での労働に対する理解が進み夫婦で相互理解が、という議論が昔あったと思うが、なぜどういうときだけ同じような体験をした奴が同じ認識に至るという夢を見るのかわからない。だいたい自分の仕事から類推して誤解が進むというのが自然のながれではないだろうか。これも、結局、男女平等の観念を武器として使う局面で必要だった男女の比較で頭がストップしたためである。

そういえば、文理融合みたいな白昼夢が流行るというのは、なにか頭の悪い私にはおもいつかない深い理由があるのかもしれないと思っていたのだが、もしかして旗を振ってる奴が、センター試験みんなできたし、と思ってるからみたいな理由だったらどうしようと震える。

文理融合どころではなく、文武両道みたいになってるのが教☆学部である。


なんでも読むぜみたいなことを実行しているひとはなかなかの者であるが、なにか越境とか融合とか協同とかなんとか言っているやつにまともな奴はいない。たいがい業績を作るための窃盗が目的である。

今日、大河ドラマで、中宮定子と清少納言が初対面を果たし、「清少納言」と名づけられたその人が「推し発見」みたいに夢心地になっている場面があった。これにたいし、ネットで「清少納言爆誕」とか言っている人たちは当然「枕草子」ぐらいは読んでいるであろうから自覚しているのであろうが、人生で推しを発見してしまうタイプは下手すると、そこそこの智慧を振り回して愚痴をいう差別的人間になるのである。大河は、紫式部の「愛」と清少納言の「推し」の対立の話になるではなかろうか。しらんけど。


最新の画像もっと見る