宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

燗酒が単語として通じない昨今

2022年12月10日 15時07分30秒 | 酒のこと





 大学3年の頃からでせうか、いや、時空よりも、点で例える方が正解でせう。
中村橋の頃は、せいぜいがビール程度、幡ヶ谷に移って、バリエーションが広がり、東高円寺では、もう既に燗酒が好きになっておりました。
冬はガスストーブの天板に、夏はガスコンロに置いた燗瓶(かんぴん)でつけた燗酒を嗜んでおりました。


 手元不如意の折りは秋田の爛漫か両関、余裕のある時は剣菱と、夏でも窓辺に腰かけて燗酒を猪口でいただいておりました。
因みに、爛漫は甘さがくどくなり、やがて両関に傾いて行ったように記憶しております。



 あれから46年、その嗜好に磨きがかかっております。
40代くらい迄は、本醸造のキリっとした吞み口を是(ぜ)としておりましたが、やがて、純米酒の奥深さに目覚めることとなり、その奥の山廃から、ついに生もとへと辿り着いて20年余り、今では、その良さを伝える事をライフワークと考えております。


そして、燗の付け方も、レンチンで胡麻化してたものが、湯煎の膨らみに心を奪われ、今では常にそれで愉しんでおります。
何、IHコンロなる簡便な道具のお陰で、何ならレンチンより手軽です。


 譲れないのは酒器、特に猪口です。
古九谷のやうなのも好みですが、やはり、小生は備前のそれが好きです。
無骨な手触りの器に収まった愛すべき酒は、その肌に馴染んで、如何にも旨さうです。



 あ、小生、熱燗という狭苦しい言い方は嫌いです。
燗というものは日向燗やら人肌燗と言はれるやうに、実に微妙な表現の中に遊ぶ手段です。
ですから、それらを包括する呼び方は、燗酒であって欲しいのです。



 しかし、悲しい哉、昨今、それが通用する居酒屋は皆無に近くなりました。
仕方ないから熱燗と言えば漸く通じる始末。



 いいですか、
熱燗とは、燗酒の中の一形態でしかないのです。
うら若き人たちには百歩譲るとして、せめて御同輩、燗酒と呼んで欲しい。


 ハイ、老人の域に達した『ろうとる』の愚痴ではございますが・・・






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