入り江の小船

ヒマがあったら書く日記。

駆逐艦椿・3

2023年12月19日 21時55分04秒 | 軍事
今年の六月に椿に関する書籍のことで取材を受けた。
瀬戸内海の守護者 駆逐艦「椿」、豊島沖の死闘 - プロイェクト・オスト - BOOTH

瀬戸内海の守護者 駆逐艦「椿」、豊島沖の死闘 - プロイェクト・オスト - BOOTH

太平洋戦争末期、瀬戸内海の豊島島民とともに米軍に立ち向かった駆逐艦「椿」の戦歴を紹介します。 令和に生きる乗組員や当時の豊島島民への取材の成果を反映しています。

 



いつも当時のことを知る島民を取材している側だが、取材を受ける側になるのは初。
こういう形で活字化してくれると嬉しい。


株式会社ニチマイさんに米国国立公文書館から椿の戦闘の資料の取り寄せを依頼し、
発見されたもので第38機動部隊 第4任務群 空母シャングリラの戦闘報告書と、
Intercepted Enemy Radioという日本軍に対する通信傍受の記録で椿に関するものがあり、
11月に公民館まつりの郷土史研究の発表の展示物として出展した。





これに先立ち、椿元乗組員(電信/暗号)にも、私の拙い英語力で資料を和訳して贈ったところ、
「長年、どの空母から敵機が飛んできたのかもわからなかったのでよかった」
「米軍の情報収集能力の高さに改めて驚いた」と返事を頂いた。

公民館まつりの展示をみた人からも好評を得たようなのでよかった。
私は展示会場に付きっ切りで常駐しているわけではないので、
直に話を聞くことができないのが残念で、その中には公民館関係者によると、
詳しいことは教えてもらえなかったが、他県民であって豊島出身ではないという方が
公民館まつりの椿の展示を過去数年にわたって見にきていて
「私の父が村役場2階で~」ということを言っていたそうだ。

最近は、豊島島内の若い世代からも椿に関心を持つ人が現れて嬉しかった。





駆逐艦椿・2

2022年04月23日 15時59分47秒 | 軍事

2021年7月24日に椿殉難七十七回忌ということで、
呉の長迫公園・海軍墓地に建立されている椿慰霊碑まで元乗組員の方と一緒にお参りした。
海軍側と豊島側とが共にお参りするのは後にも先にも初めてだと思う。
そもそも豊島の古い人は椿を知っていても椿慰霊碑があることを知らない。

2020年の11月から電話と文通を重ねてきたが、実際にお会いするのは初。
91歳とかなりのお歳だが、待ち合わせ場所の長迫公園から20kmほどの距離の
自宅から自ら車を運転してきたから驚いた。



このお参りの1週間前に、豊島で椿乗組員たちに対し、
救護と支援などを実際に行ったという方を4名くらい見つけることができたので、
証言をしてもらい、それらを元乗組員に聞いてもらったらすごく驚いていた。

いまや戦友会もなく、お参りしているのがこの元乗組員だけとなっているが慰霊碑に来ると、
若い人が興味を持ってくれてお参りやお世話をしてくれることがあり、とても励まされるそうだ。
この前の年も慰霊碑に来ると、呉にある海上保安大の学生数名がお参りしていたそうだ。





2021年11月の豊島公民館まつりに元乗組員と豊島の椿乗組員の救護と支援に当った方の証言を
「駆逐艦椿76年目の証言」と題して画用紙にまとめたものを展示物として出展した。



これらも公民館まつりが終われば撤去となるが、大学生がゼミとかで豊島に来て
公民館に資料を求めることがあるので、大学生向けに資料を手元に残してほしいと言われた。
もっとも大学生よりも豊島の小中学生向けに平和学習として活用してほしかったので
今年の3月に簡易な小冊子をつくった。


小冊子をつくったことによって一区切りついたように思うが、まだまだ調べることが多い。
今後も当事者の証言を集めるとともに、戦死者を荼毘に付したという豊島の山を特定しないといけない。

ネットで何でも情報が手に入る時代なのに、ネットに無い大元の情報を集めるのには体力がいるな。


駆逐艦椿

2021年03月08日 20時28分54秒 | 軍事
昭和20年7月24日と28日の呉軍港空襲は香川県小豆郡土庄町豊島にも波及し、
豊島沖で駆逐艦椿が敵機の攻撃で中破し、
戦死30柱・艦長以下60名近く負傷の大惨事となった。



今から3年前に香川県小豆郡土庄町豊島へ慰霊に来島した駆逐艦椿の元乗組員と連絡がつき、
いろいろ証言をしていただいている。豊島の古老の証言は得たことはあるが、海軍側は初めて。

流行り病につき、現段階では直接お会いしたことはなく、電話と文通で交流している。



松型駆逐艦は量産型だからか、あまり注目を浴びないらしく、ウィキペディアでも椿の記述は
「備讃瀬戸で中破、8月15日の終戦時、呉で中破状態で残存」とある。
エリア的には間違ってはいないがアバウトすぎるし、椿は豊島で終戦を迎えており、呉への帰投は24日。



椿の豊島での戦闘、豊島を離れるまでの詳しい証言の他にも
「船体にはグレーに緑と黄緑の斜線で迷彩を施していた」などと、
これまでの駆逐艦に対するイメージが変わる証言も得た。



これらの史実をまとめている途中ではあるが、元乗組員からいただいた手記や
戦友会から引き継いだ資料などを自分だけの元に置いておくのはよくないと思い、
地元の小学校に椿の出来事を平和学習の時間として取り上げてほしいと
懇意にしている先生にお願いしたら、快く引き受けて下さり、
授業として時間を取っていただいたところ、ひとりの児童から
元乗組員宛てのお便りを預かり、元乗組員へ転送した。



史実と向き合うこの児童の姿勢は非常に心強く思う。
お便りを受け取った元乗組員は嬉しかったそうで、後日、元乗組員からの
児童宛ての返信を預かり、直ちに小学校へ持って行った。

椿の定員が300人ほどなので、もしかしたらまだ存命中の乗組員がいるかもしれない。
そうでなくても親が椿に乗っていたという人もいるかもしれない。
何か新たな証言を得ることができたらいいな。

備讃瀬戸の過疎の離島の駆逐艦椿の取り組みは始まったばかり。








近年のMen-at-Arms

2018年04月14日 14時41分32秒 | 軍事


ファンの程度の差はあれど、軍装が好きな人は必ず手にすると思う洋書、
Men-at-Armsも有名どころばかり特集していたのがネタ切れなのか近年は、
ハンガリー、ルーマニア、ギリシャ、ブラジル、北欧、ベネルクス、
グランチャコ戦争が取り上げられるようになった。

思えば、高校生の頃、ウォーシュミレーションが好きだった私は、
春休みや夏休み、東京に住む姉のところへ遊びに行った時には
必ず某書店でMen-at-Armsを買い求めに行くのが楽しみだった。

某ゲームでマイナーな国の国産兵器のユニットが充実していたからか、
比較的マイナーな国を好む傾向があり、Men-at-Armsの
エチオピア戦争やユーゴ軍特集との出会いは衝撃的で、
嬉しさから帰路の荷物が実際の重量より重く感じていた思い出がある。

ネット通販で簡単に手に入る時代だからこそ、少年時代の
実店舗で探し求める時のワクワク感を味わいたいが、
時間に追われてなかなかそうもいかないのが実情だ。



んで、とうとう中南米特集が来たわ。

できれば国ごとの特集をしてくれたら最強の資料になるが出版する方も、
マイナーな国を取り上げる以上はユーザーが少ないと見ているからか、
地域などをまとめて特集されていることが多い。大人の事情かな?

もっとこの年代のアジア・アフリカの独立国を特集したものが出るといいな!!



アフガニスタン軍 追加

2017年07月30日 13時29分45秒 | 軍事
アフガン軍の写真が、このグローバルな時代でも中々ないってことは、
1930年代のアフガンにおけるカメラ普及率というのは極端に低いものなのかな?
各国の駐在武官や軍事顧問はアフガン軍の写真を撮ってないのかな?















アフガンって1920-1970年代の頃が現代よりも進んで安定しとったんじゃね?