入り江の小船

ヒマがあったら書く日記。

帽振れ

2012年10月17日 19時05分08秒 | Weblog
幼少の頃よりお世話になっていた
宇高国道フェリーが今日で休止になった。
四国フェリーと宇高国道フェリーとでは
宇高国道フェリーの方が私の町から
近かったこともあり、よく利用していた。

船旅は基本的に宇高航路の感覚だったので、
他県のフェリーの航路で1等席や特等席の
存在は、有明航路で初めて知って
カルチャーショックを覚えたことがあった。


若狭

2012年10月09日 20時35分37秒 | Weblog
小浜市に行ってきた。某国大統領で
沸いているのかと思いきや、そうでもなかった。

某国大統領で盛り上がっているのは
ごく一部だという市民の声を聞いた。

小浜市には某国大統領の他にも著名人は存在する。
パンフレットによれば、小浜市は杉田玄白と、
佐久間艇長の出身地らしい。



守備範囲の佐久間艇長の銅像を見に行った。





佐久間艇長の銅像の周辺には
連ドラの舞台にもなった歴史地区がある。





若狭湾の海の幸を楽しみたいので
漁師町に宿をとった。
今回の宿はコチラ

マスター自慢の庭園を眺めながら
マスターがとってきた若狭湾の
新鮮な海の幸を堪能できる。


越後・信濃

2012年10月07日 17時12分39秒 | Weblog
霧が晴れかけていたが、
朝風呂で雲海を拝むことができた。





大地の芸術祭の常設展示の作品が
宿の近くにあると聞いたので見てきた。



この日は良く晴れており、妙高山を背景に
作品を鑑賞することができた。



芸術祭は終了していたが、新たな作品を制作していた。



松代地区の棚田の維持を取り巻く環境は
豊島と同じく厳しいものだという。
松代は、近くには関越道が通ってあるし、
越後湯沢までは上越新幹線も通ってあるし、
在来線も1時間に1本程度あるのし、
米どころの新潟や魚沼の周辺だから
棚田のオーナーや担い手やボランティアは
いくらでもおり、維持管理は十分に
なされていると思っていたが、
実際は期待したほどでもないらしい。

聞くところによれば、なかなかオーナーに
なる人も出てこないし、棚田を管理する者も
高齢者ばかりで予定通りことが進まないだとか、
大地の芸術祭の会期中で一時は
こへび隊が棚田の整備を手伝ってくれるが、
アート作品の製作が始まると、
皆、そちらに回ってしまうらしい。

常設展示の作品と棚田が一体化してあるので
一度始めるとこれを維持するのがとても難があり、
会期を増すごとに拡張されていくので
維持が非常に大変だという話を地元民から聞いた。

役場の観光課に話を聞いたら
大地の芸術祭は大成功だったとしか
言わないだろうから、現場レベルの話を
聞くことができたので、かなり参考になった。



昼前に直江津を経由して長野に向かった。
レンタカーで志賀高原を周遊したが、
霧で雄大な山々の風景を見ることができなかった。



高原が珍しい地域出身なんで森を見るだけでも十分だ。



今回の宿はコチラ

神社の敷地内に立っており縁起が良いらしく、
各種スポーツの優勝校や強豪校が
武運長久の縁起にあやかって試合前に泊まりに来る。

女将さんオススメの散歩コース。



宿周辺にはこんな洒落た建物がある。




出羽・越後

2012年10月03日 19時04分36秒 | Weblog
翌朝、蔵王を離れ、おばあさんの生まれ故郷の山形市に行ってきた。
遠縁の人が城下にいるらしく、それらしい地区を見てきた。
そこからすぐ近くの霞城公園を歩いた。



アルプス越えのナポレオンを彷彿させる最上義光像





曇り空が城門の重厚さ倍増させている。


山形を離れ、米沢を経由して新潟に出た。
米沢で米沢牛弁当を食していたところ、
遠足の幼稚園児の集団に囲まれた。
他見からの観光客とわかるらしく、
いろいろ聞いてくるが、
「ママは?」と聞いてきたのは痛かった。
彼らにとってのママとは、私の母親ではなく、
私と同年代の女を指している。
いつか会津美人をもらうわ。



新潟から直江津に向かう際に柏崎を通過した。
柏崎刈羽原発があるから、何日か前に
豊島の某所のイベントでライブしていた連中の
脱原発のアピールのことを思い出した。
普通に民族楽器で演奏していると思いきや、
間奏で急に脱原発を語りだして、
歌の部分で脱原発を連呼していた。
そういうコンセプトで行われたイベントではないのに
急に政治が入ってきたので評判はよくなかった。



直江津から松代に向かった。
今回の宿はコチラ
露天風呂から夜は朧月と霞に浮かぶ山々、
朝は眼下に広がる雲海を拝むことができる。








会津・出羽

2012年10月02日 18時30分44秒 | Weblog
翌日、野口英世記念館に行ってきた。
苦労人だったから同時期の北里柴三郎より伝記になりやすい。
博士のリアルロボが増設されているらしい。



博士への質問というボタンがあり、
今まで一番よかったところは?という質問で
猪苗代が一番と答える博士に博士の
猪苗代に対する強い郷土愛を感じた。


その後、会津若松の鶴ケ城に行ってきた。



「Oh! SAMURAI !!」
赤瓦の屋根が特徴的だな。
市内のいたるところに来年の大河ドラマの
PR活動が行われていた。



同日の午後、山形の山寺に行ってきた。



讃岐の金毘羅さんで石段には慣れていると強がっていたが、
日頃の運動不足でかなりキツかった。



人が行きにくくシンボリックな奇岩があると
修行にもってこいの場所になるな。



所々で石仏の様式が変わっているみたいだな。



その後、宿のある蔵王温泉に向かった。
冬に行けば樹氷を拝むことができたかも。



今回の宿はコチラ
ロープウェイの駅に程近くて便利。