Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

祝 前田智徳選手2000本安打

2007年09月01日 23時51分29秒 | 趣味
昨日の2安打でリーチをかけて臨んだ今日の試合で、カープの前田智徳選手が
決めてくれました。プロ野球史上36人目、カープでは一昨年の野村謙二郎選手
に続き4人目の快挙です。
熊本工業高校時代から、高校の大先輩で「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治
氏を凌ぐ逸材と高い評価を受け、'90年にドラフト4位でカープに入団。
翌'91年にレギュラーをつかみ、走攻守揃ったリードオフマンとしてリーグ優勝に
貢献。'92年からは江藤智選手(現 ライオンズ)とともにカープの中軸として活躍
し、一時はリーグ最強の強力打線「ビッグレッドマシーン」と呼ばれたこともあり
ました。
私が忘れられないのは、'92年9月13日のジャイアンツ戦での「涙のホームラン」
です。川相選手の打球を後逸してホームまで返してしまい、次の回にチャンスで
回った打席でも凡退して、200勝目前だった北別府投手の勝ちを消してしまった
前田選手。同点のまま迎えた8回、ランナー1人を置いて、石毛投手から決勝の
2ランホームランを放ちました。普段は全く表情を変えない彼が、センターの守備
位置で、そしてホームランを打ってダイヤモンドを一周する時に、涙を流していた
のが、テレビでもはっきり見えました。試合後のヒーローインタビューを拒否した
ことと併せ、ファンの間では伝説となっています。
「天才」の名をほしいままにし、憧れの的であった前田選手でしたが、怪我が
彼の野球人生を狂わせました。
'94年5月17日、ジャイアンツ戦で右肩を脱臼。翌日彼が欠場した試合で、槙原
投手に完全試合を許すというおまけまで付いたこの怪我自体はすぐに癒え、
最終的にリーグ2位の打率を残す活躍をしたものの、ハイレベルの全力プレー
の危険性、そして彼自身が決して強靭ではなく、怪我を避けるようなスマートな
プレーもできないところに、一抹の不安を感じたのを覚えています。
不幸にも予感は的中。'95年5月23日、スワローズ戦で右アキレス腱断裂。
その後の歩みは、スポーツニューなどで散々取り上げられてますので、改めて
書くまでも無いと思いますが、23歳にして選手生命の危機に陥り、以後決して
自分の納得の行くプレーができないということがどれほどのものか、「残酷」の
ひと言で片付けられない重苦しい気持ちになりました。
もちろん、トップクラスで活躍する選手の陰で、多くの選手が夢破れて球界を
去っていく、その中には病気や怪我が原因の選手も少なくないわけですが、
前田選手の場合、あまりに重いハンディと、ファンや首脳陣の過剰な期待を
はねのけて、今日を迎えたことに、恐ろしいまでの凄みを感じます。
正直、「2000本打たせてあげたい。あと○年頑張ってほしい」と願ったことは
ありますが、本当に打てるとは、2年前までは思いませんでした。

今日の試合、3打席凡退し、4-7とリードを許した場面でテレビ中継が終了。
6-7まで追い上げたものの、第4打席も凡退したところで、所用のためラジオ
を切って家を出ました。
今日は、前田選手のためにチーム一丸になっていましたね。大逆転で回って
きた第5打席で、ついに記録達成。
カープの選手のメモリアルゲームでの勝利は、大野投手の引退試合以来では
ないでしょうか。スポーツニュースで結果を見て、鳥肌が立ちました。
試合後、インタビューで前田選手は涙を浮かべていました。私が彼の涙を見る
のは、あのホームラン以来です。
体のことを考えると無理はさせたくないのですが、今日が単なる通過点である
ことを期待してしまいます。せめて新球場ができるまでは・・・。
ともかく、本当におめでとうございました。