Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

嘔吐

2005年07月03日 23時31分47秒 | 証し(のようなもの)
サルトルの小説『嘔吐』はまだ読んだことがないのですが、幼少期に
覚えた「嘔吐感」が、私の人生観や信仰に大きく影響しているように
思います。今日はその話をしようと思います。

5歳くらいの頃のことでした。当時住んでいた団地に、1本の大きな木
が生えていて、蓑虫がたくさんいました。雨の後などには、大量の
蓑虫が道路に落ちていました。子ども特有の残虐性からか、私はよく
その蓑虫の蓑をはがしたり、踏み潰したりして遊んでいました。
ところがある時、いつものように蓑をはがして遊んでいると、手元が
狂って蓑虫をつぶしてしまったのです。蓑虫の体から褐色の液体が
流れて出てきました。それを見ていた私の中に、突然言いようのない
嫌悪感と嘔吐感が湧き上がってきました。
多分、テレビドラマとかで殺された人が口からどす黒い液体(血?)を
吐き出す、'70年代に流行りの演出が記憶にあって、私の頭の中で
目の前の蓑虫と瞬間的に結びついたのだと思うのですが、とにかく
それまで何とも思わなかった「虫殺し」が、とても恐ろしく、汚らわしい
事柄へと突然変化したのです。ドラマと結びついたと考えられるのは、
この時以来私は、人の「死」をも意識するようになり、「死」に対する
恐怖心を抱くようになったからです。
また、この時に同時にか、後から考えたのか記憶が曖昧ですが、もし
人間よりも「大きな」存在があるならば、その存在もまた、私が虫に
対してしてきたように、簡単に私をひねりつぶすことができるのだ、と
「人知を超えた存在への畏れ」をも感じ始めていました。神的存在が
いるならば、私の生殺与奪の権は彼が握っている。私はただ、それに
従うほかないのだろうか。だとしたら、どのような生き方をすればいい
のだろう。
さすがに「人生の目的」までは考えませんでしたが(そんな幼稚園児が
いたら怖いですよね)、幼いなりに「正しい生き方」を模索していたように
思います。

しかし、「正しく生きよう」と思ってそれを実践できるほど、人間立派じゃ
ありませんし、世の中もそんなに甘くない。
その辺のところは、また次回書きたいと思います。
あ、TV版「いま会い」の感想も書かなきゃ。次々回かも知れません。

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