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Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

逆の立場

2005年07月12日 23時51分02秒 | 時事・社会
ナショナリズムの問題に触れるたびにいつも思うのは、どうして
相手の立場に立って考えられないのかな?ということです。
ナショナリスト達はしばしば、理屈ではなく情に訴えます。
例えば、防衛問題。「愛する人、家族、ふるさとを守るためだ」と。
国家権力の軍隊組織が、個々人や地域共同体を本当に守るか
の検証はひとまず措くとして、「敵」の立場に立って考えるならば、
彼らにも守るべき家族や故郷があるはずなのです。仮に向こうが
「侵略」してきたとしても、個々の兵士は、国家が掲げる「大義」
を信じてか、命令に嫌々ながら従ってか、侵略するという自覚も
意思も無くやって来るはずです。(過去の日本がそうでしたし。)
歴史問題でも、「自由主義史観」を唱える人達は、過去の国家の
過ちを認める立場を「自虐史観」と呼び、「自分達の国を誇りに
思える教育をすべきだ」と主張しています。しかしその伝で行けば、
自国の暴政は隠して日本の過去の侵略だけを取り上げる某隣国
こそ、理想的教育を行っていることになります。また、「テロ国家」
呼ばわりされている某隣国でも、日本人拉致という過去の「国家
犯罪」を認めて謝罪することは「自虐的」で、すべきでないことに
なってしまいます。
領土問題や資源の問題でも、何が「国益」かを説くことも無く、ただ
「日本人なら日本の国益を第一にすべきだ」と異論を許さない状況
になりつつあります。でも、相手も自国の「国益」しか考えないなら、
どこまで行っても平行線で問題は解決しません。戦争をしたくて
仕方が無いのなら話は別ですが。
相手の立場に立って考えた時にはじめて、相手を納得させられる
ような物言いができると思うのですが。想像力が足りないのかな。
大人たちにこそ「ゆとり教育」が必要かも。

ナショナルチーム

2005年07月10日 23時48分48秒 | 時事・社会
外は雨。昨日劇的勝利を収めたカープの試合も今日は中止。
『星になった少年』の試写会のチケットが当たってたんで、本当は
今夜観に行くはずだったんですけど、まだ本調子ではないので、
今回はパスすることに。あー、もったいない。
昼間はとても元気だった娘も、「一緒にドラマ(「いま会い」のこと)
見たい」と言いながら、畳の上に横になったかと思うとそのまま
寝てしまいました。
こんな日は早く休むに限るのでしょうが、体調を崩して手付かず
だった仕事を片付けなくてはいけないので、まだまだ寝れそうに
ありません。

2012年のロンドン五輪で、野球と女子ソフトボールが正式種目から
外れることが決まりました。関係者はさぞかし残念だと思いますが、
正直私は、オリンピックやワールドカップ等のあの独特の雰囲気に
違和感というか、嫌悪感に近いものを覚えるので、野球がそうした
世界とは無縁になれることを密かに喜んでいます。
女子ソフトの場合、オリンピックという唯一の晴れ舞台が無くなると、
競技そのもののの存続が危ぶまれるかも知れませんが、それでも
現状のオリンピックを全面的に肯定する気にはなれません。
野球ファンとして、トップレベルの選手を集めた「ドリームチーム」が
米メジャーリーグ等の選抜チームと戦うのを見てみたい気持ちは、
もちろん持っています。ソフトボールも、野球に似ているので、多少
興味はあります。でも、「ナショナルチーム」だからということで応援
しようとは思わないのです。
戦争よりはましだ、といわれても、スポーツによるナショナリズムの
高揚には反発を覚えます。メディアに煽られ、ファンでも何でもない
多くの人が日の丸を振り「ニッポン」コールを連呼する。とても健全
とは思えません。私はその中に入りたくないのです。
こういうことを言うと、「非国民」と非難する声が聞こえてくる時代に
いつの間にかなってしまいました。(前からそうだった?)
たかがスポーツなのにね。

人権とは

2005年06月30日 03時06分08秒 | 時事・社会
近年、「被害者の人権」を守れ、という主張をよく聞くようになりました。
それ自体は大変素晴らしい主張だと思うのですが、「加害者の権利
ばかり主張(擁護)するな」という論調になってくると、なんだか怪しく
なってきます。
そういう主張をする人たちはおそらく、自分は中立公正、或いは正しい
側にいると思っているのでしょうが、彼らが「正しい」かどうかを決める
のは彼ら自身ではない、ということに気づいていません。司法、権力者、
メディア、そして大衆世論。これら「他人」によって決められているのが
現実です。「私は何も悪いことはしていない。変な思想も持っていない」
と自分で思っていても、それを評価するのは他人です。自分で自分を
無罪にすることはできません。「被疑者の人権」が必要な理由はここに
あります。
「被害者の人権」と言いますが、戦場とはいえ明らかに違法な行為の
「被害者」である、イラクで人質となった方々に対して、「自己責任」を
錦の御旗にものすごい非難が巻き起こったのは記憶に新しいところ
です。「反日分子」などと発言した広島選出の自民党議員もいました。
人質となった方々に落ち度がなかったわけではないでしょうが、どの
ような理由であれ、守るべき人間とそうでない人間を政治が決めて
しまうことに、もっと危機感を抱くべきです。それは権力に都合の悪い
人間を、「非国民」として排除する、「いつかきた道」への回帰にほか
なりません。
繰り返しますが、自分は正しい側にいるつもりでも、それを決めるのは
自分自身ではないのです。いつ何時「あなたは間違っている」と言わ
れるかわからないのです。その時に自分を守る武器が「人権」です。
そのために「人権」は守らなければならないのです。
現行犯だから、自白したから、凶悪犯だから、等々理由をつけて、
「例外」を許すのもいけません。前例を悪用する連中は大勢います。
あなたがその「犠牲」にならないという保障はありません。
被害者の権利はもちろん守られなければなりませんが、そのことと、
加害者の権利の制限とか厳罰化などはまったく別の問題であり、
意図的にリンクさせようとする動きには警戒しなければなりません。
裁判の迅速化や裁判員制度の導入といった「司法改革」も、こうした
点を押さえなければ、「人権抑圧国家」への一歩になりかねません。

今日の判決

2005年06月28日 23時40分27秒 | 時事・社会
今日、2つの事件の控訴審で、いずれも死刑判決が出ました。
1つは下関の通り魔事件、もう1つは、世間の注目を集めていた
和歌山カレー事件です。
私には、通り魔事件のほうが身近で関心高かったのですが。
というのも、事件当時はまだ車を持っておらず、新幹線に乗る
余裕もなかったので、実家に帰る時はいつもJRの鈍行を利用
していて、下関駅で乗り換えていたので、もしかしたら私も事件
に巻き込まれていたかも知れなかったからです。
それはともかく、通り魔の上部被告は現行犯だからまだしも、
カレー事件の林真須美被告のほうは、犯行動機が依然未解明
であるなど問題が多いだけに、あるいは判決が変わるのでは、
と少し期待していましたが、大方の予想通りの死刑判決に落胆
しました。
オウム事件の頃から、有識者やらジャーナリストらがメディアで
犯罪(被疑)者や組織を断罪し、国民を煽り、警察権力にエール
を送る姿が非常に目に付くようになったと感じます。「ロス疑惑」
の失敗を全然反省していないようです。林真須美被告は確かに
「怪しい」と私も思いますけど、イメージ先行で事が進むことには
強い不安を覚えます。捜査とか裁判って、そういうものじゃない
はずなんですけどね。
特に、死刑判決となると、人一人の命に関わる問題ですから、
慎重を期してもらいたいものです。これは、林被告だけの問題
でも「犯罪者の権利」だけの問題でもなく、私たち自身の人権
にもつながる問題なのです。
このことについては、明日また、詳しく書きたいと思います。

BSE

2005年06月27日 14時13分12秒 | 時事・社会
アメリカで2頭目のBSE牛が見つかったってので、大騒ぎになってますが、
正直言って、今まで出てこなかったのが不思議なくらいです。米農務省の
監査局の指摘で再検査を行って陽性反応が出た、とされていますが、
元々疑陽性だった時点での追加検査で、陽性反応を示すデータもあった
にも関わらず隠していた疑いも持たれており、事態は深刻です。
日本も信用ならんけど、アメリカもひどいもんだなぁと思います。
よその国のことに口出し・手出ししてる場合じゃないでしょう、まったく。
我が家はめったに牛肉なんて食べないんで、影響ありませんが、鶏だって
豚だって何があるかわかったもんじゃないですね。スーパーの肉は怖くて
買えなくなりそう。

いつだったか、某経済学者がテレビで、「牛丼は伝統ある大衆食だ」などと
東京中心主義丸出しの主張をしておりましたが、ごく一部の地域・人達を
除けば日本の庶民が牛肉を食するのは明治以降のことであり、特別な時
の「ご馳走」でした。はっきり言って、今の人たちは肉を食べすぎです。
健康面の問題、エネルギー効率や土地利用の問題、使用される化学物質
の問題、そして自給率の問題などを考えると、安いからと外国産の牛肉を
大量輸入・大量消費するあり方は、ぜひとも見直さなければなりません。
牛丼よりも守るべき「伝統食」はいくらでもあるはずです。
現状では庶民の口にはなかなか入りませんが・・・。

慰霊の日

2005年06月25日 23時34分57秒 | 時事・社会
23日は「沖縄 慰霊の日」でした。
沖縄守備軍の牛島司令官と長参謀長が自決し、「組織的抵抗」が
終結した日、とされることから、沖縄ではこの日を「慰霊の日」として
います。とはいえ、沖縄戦が本当に終結するのは、実は本土よりも
後なんです。そして、6月23日以降に戦死した人のほうが、それ以前
より多いとも言われています。「生きて虜囚の辱めを受けず」という
戦陣訓の影響もありますが、司令官が自決して「壊滅」するはずの
守備隊に対して、牛島司令官が、最後の一人まで抵抗を続けるよう
言い残していたため、「玉砕」でも降伏でもなく、無意味な戦いが
継続されてしまいました。

そのことを思うと、昭和天皇の「御聖断」による「終戦」は、それなりに
評価されるかも知れません。(8月14日まで引き伸ばされたことは、
大いに問題ですが。)というのも、戦局の悪化に伴い、戦争の早期
終結を模索する勢力が、「天皇自ら連合艦隊旗艦で特攻を仕掛け、
それをもって降伏を受け入れる」というシナリオを練っていたからです。
実際にはレイテ海戦で連合艦隊は壊滅し、わずかに残った艦船も
十分な護衛がつけられなくなったことから、この案は幻となりますが、
もし実現していたとして、それで本当に戦争が終わったかどうか怪しい
ところです。
とはいえ、おかげで「命拾い」した昭和天皇はその後、責任を問われる
ことなく、天寿を全うしたことには、後味の悪さを覚えます。

「日王」

2005年06月22日 21時53分56秒 | 時事・社会
中国・韓国で「反日感情」が高まって以降、それに反発する
動きが見られますが、その中で、中国や韓国で日本の天皇が
「日王」と呼ばれることに対する批判がよく聞かれるようになり
ました。それ自体は以前から一部の右寄りの人たちから主張
されていましたが、一連の流れの中で、「反日」「愛国教育」
の象徴であるかのごとく語られ、広まりつつあります。
しかし「中国人が『天皇』を使わず『日王』と呼ぶのは、中華
思想の表われだ」という説は、全く見当外れではないにせよ、
「日本人が『天皇』という語を使うのは『皇国史観』の表われ
だ』というのと同じくらいアバウトで、時代遅れの原理的な考え
に思われます。
日本人の間では広く一般に使われているとはいえ、少なくとも
明治以降は、「天皇」は一種の法律用語(平たく言えば役職名)
に過ぎません。仮に個人名であっても、たとえばアラム語の
「ケファ」がギリシャ語では「ペトロ」となり、さらには「ピエトロ」
や「ピーター」に変化していくようなことは、ざらにあります。
「翻訳」とはそういうものです。同じ漢字文化圏だからといって、
中国や韓国で、日本語である「天皇」がそのまま使われなけれ
ばならない理由はどこにもありません。
中国人が中国語で「天皇」を何と呼ぼうと、韓国人が韓国語で
何と呼ぼうと、それこそ彼らの自由です。中国や韓国を論じる
のに、日本の文化を持ち出すこと自体がおかしな話です。
それこそ日本版「中華思想」ではないでしょうか。
あるいは、日本は民主主義国だから「日王」はおかしい、と
いう批判なのでしょうか。それなら、英語でも「エンペラー」で
あることが問題にされないのはなぜでしょうか。「国王」がいる
国だって、ヨーロッパだけを見てもたくさんあります。
(もっとも、日本はそもそも「民主主義国」といえるのか、という
 問題がありますが、今回は突っ込みません。)
やはりこれは、日本の天皇文化を中韓に押し付けようとする、
おこがましい態度だと断ぜざるをえません。鎖国期と先の戦争
の時を除けば「文化的植民地」であった劣等感の裏返しでしょう
か。それならば、「押し付けられた者の痛み」をもう少し理解して
もよさそうなものですが。

ウラン残土

2005年06月12日 23時58分49秒 | 時事・社会
<ウラン残土>鳥取に放置290立方メートルを米に輸出へ
 核燃料サイクル開発機構(核燃機構)が、鳥取県湯梨浜町方面地区
 に放置してきた放射能を帯びたウラン残土約3000立方メートルのうち、
 放射線レベルが高い約290立方メートルを米国に輸出して撤去する
 方針を固めたことが11日、分かった。米国の民間精錬会社と今夏にも
 契約を結び、年内の海上輸送を目指す。(毎日新聞)

ウラン残土問題
 1950―60年代に原子燃料公社(現核燃料サイクル開発機構)が鳥取、
 岡山両県でウランを採掘した際に出た放射性物質を含む残土が約20
 カ所で放置されているのが88年に発覚。鳥取県湯梨浜町に置かれた
 約3千立方メートルの残土の撤去を求め、地元自治会が2000年11月に
 提訴。02年6月に鳥取地裁が核燃機構に撤去を命じ、04年10月に最高
 裁で確定した。住民側の申し立てを受け、鳥取地裁は同年12月、核燃
 機構が期限までに撤去しない場合に制裁金を科す間接強制を決定した。
 (3月11日 東奥日報)



全国的には「ローカル」な話題なんでしょうね。
私自身も、大学を出てしばらく岡山に住んでいた時に、初めて知りました。
この問題をややこしくしているのは、核燃の人形峠事業所がある岡山県が、
鳥取県内のウラン残土の岡山県内(つまり核燃事業所)への持込を禁止
しているからです。理由は「危険だから」。
例えば、昨年沖縄で墜落事故を起こしたヘリについて、米軍は「事故機の
整備不良」「人為的ミス」として構造的欠陥との見方を否定し、旧型なので
せめて新型機との入替を、という声にも「十分使用に耐えうる」「戦略上
必要な兵器」と沖縄(そして岩国にも)配備を続けていますが、もし「再び
事故を起こす危険があるので、米本国には持って帰らない」なんて言ったり
したら、どうなるでしょう。まして、鳥取と岡山はお隣同士なのに。
それに、ウラン残土が問題なら、なぜ県内にある核燃そのものを問題と
しないのでしょうか。国の原子力政策には疑問を抱かないのでしょうか。
米国の核の傘の下にいながら「核廃絶」を訴える国ですから、問題だと
思わないんですかね。

結局海外へ輸出、というのも、「またか」という感じです。
「他所へ持っていけばいい」という「水に流す」発想。
こんな国がもし国連の常任理事国になったら、世界はどうなるんでしょうか。

公共マナー

2005年06月11日 23時47分46秒 | 時事・社会
私は今、役場回りの仕事をしているのですが、役場の方々を
見ていて気になることがいくつかありまして、その中の1つが
職員の携帯電話の着信音です。
勤務中はマナーモードにする、というのは民間ならごく普通の
ことだと思うのですが(少なくとも私が前に勤めていた職場は
そうでした)公務員は何も言われないのかな?と不思議でなり
ません。それに、住民課・保健年金課といったところは、窓口
だけではなく奥の机であっても、来庁者に筒抜け・丸見えです
から、ある意味「公共の場」だとも思うのですが。
公務員には、賃金や労働条件だけでなく、マナーやモラルの
面でも民間の模範・牽引役となるよう努力してほしいものです。


「軍都」復活

2005年06月07日 23時37分58秒 | 時事・社会
4日付の中国新聞朝刊で、政府が米海軍厚木基地の空母艦載機部隊を
海兵隊岩国基地に移転させる方針を固めた、と報じられました。
実は2月の段階で、沖縄の基地問題打開のために、名護市辺野古沖の
海上ヘリポート建設を断念し、普天間基地のヘリ部隊を岩国に移転する
かも知れない、という情報をある筋から入手してましたので、米軍再編に
関する一連の動きに対して驚きはありませんでしたが、怒りと失望感は
禁じえません。
今回の移転計画は、そもそも厚木基地のNLP(夜間離着陸訓練)による
騒音問題が背景にあり、米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転が
持ち上がったことから、神奈川県の負担軽減の名目で急浮上しました。
しかし、なぜ岩国かといえば、他に受入先がないからにほかなりません。
たまたま岩国の海兵隊基地の滑走路が沖合いに移設されていたので、
空母の寄港も可能になるしちょうど良い、くらいのある意味いいかげんな
決定だといえるでしょう。
元々滑走路移設は、'68年の米軍板付基地の墜落事故を受けて、安全
確保と騒音被害の軽減のために進められてきた経緯があります。厚木に
比べれば、地方ですから、被害を受ける人数も経済損失も、万一の際の
補償の額も少ないでしょうが、地元住民にとっては政府の裏切り以外の
何物でもありません。そうした「迷惑施設の地方押し付け」は、沖縄基地
問題や核関連施設、廃棄物処理施設等の問題でも度々指摘されている
「なくてはならないものなら、負担も分かち合うべき」という、民主主義の
根幹に関わる考え方に反するものです。
また、NLPをめぐっては、広島県大柿町(現 江田島市)が一旦受け入れを
表明したものの、県や周辺市町の猛反対で撤回した、という出来事が、
つい一昨年あったばかりです。その江田島の対岸の岩国への移転決定
は、政府がいかに住民の意思を理解していないか、或いは無視している
かをよく表しています。

既に岩国に海兵隊基地があり、呉と東広島に米軍弾薬庫があり、広島市
も含む各地に自衛隊の施設があって、広島はもはや「平和都市」とは言え
ない状況ですが、そこに艦載機部隊も加わりNLPが行われれば、いよいよ
「軍都広島」の復活です。市民のひとりとして、断固反対します。