Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

語り継ぐ

2006年08月11日 01時04分54秒 | ヒロシマ
また体調を崩しています。「不定愁訴」といった感じですが、夏バテの
うちなのかな。唇に口内炎のようなものができて、かなりつらいです。
伴侶にホメオパシーの本で調べてもらったら、「死や病気への恐怖」
の影響だそうで。そういえばこのところ、ずっとヒロシマの被爆体験談
やら映像やらに向き合って、気は滅入るし、トラウマも顔を出してます
から、当たってるかも。

私の教会の夏の特別企画の、第二弾は被爆体験集の朗読でした。
私の教会には、現在も十数名の被爆者がいらっしゃいます。
被爆60年の昨年、このうち10名の方々の了解を得て、証言を聞き、
本にまとめまる作業に取り組みました。
教会では過去にも、体験を聞き、平和と核廃絶を祈るプログラムが
持たれたことはあります。劇団を結成し、原爆劇を国内外の教会で
演じたこともあったそうです。しかし近年はそうした取り組みも見られ
なくなっていました。
「怠慢」と言われるかも知れませんが、被爆者にとって「あの日」を
思い出すこと、語ったり聞いたりすることは、耐え難い苦痛なのです。
時が経てば癒される、忘れられるというものではありません。信仰を
持っていても、それは同じです。
しかし、「今聞かなければ、もう永久に聞けないかも知れない」という
危機感と、「広島に生きるクリスチャンとして、被爆体験を継承し、
語り広めていかなければならない」という使命感から、節目の年に
このような取り組みを行なうことになった次第です。
編集に携わった方々、そして証言者の方々の身を削る努力の末に
先頃ようやく完成しました。



7月23日の礼拝で奉献式を執り行い、教会員の各家庭と、関係者
に1部ずつ贈呈、残りは頒布されることになりました。初版500部は
瞬く間に底を突き、現在増刷中です。
(私も、差し上げたい人がいるので5冊ほど購入しました。)

水曜日には、この中の一人の証言の朗読を聞きました。
実は私は、本人の口から体験談を聞いたことが過去にありました。
生き証人の語る言葉は、たとえ「話し上手」でなくても、当人にしか
語りえない生々しさと重さがあります。活字で読む何倍もの迫力・
リアリティに圧倒されます。それはまた、私のようなものが人前で
何かを語ることをためらわせることにもなってきました。
しかし、この日の朗読は、本人の証言とはまた違った形で、聞く者
の心に響いてきました。「語る」ことには、こんなに力があるのか、
と再認識しました。
もちろん、専門的な指導を受けたことがある人の「語り」と、私の
ような素人のそれとでは、天地ほどの差はあるでしょうが、文字を
残すだけでなく「語り継ぐ」ことで伝わる「記憶」は、決して小さくは
ない、と感じました。
物事を記録し再現する技術が進み、便利な世の中になればなる
ほど、私たちは記憶し想像する力が弱くなってしまっているよう
な気がします。子どもへの「読み聞かせ」が注目されていますが、
語り言葉を大事にする文化を大人も取り戻さなくてはいけません。

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