青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

一言居士に

2008年11月21日 | 人生設計
私は平凡な、人間である。もうすぐ高齢者の仲間入りをする、学歴も中学出でしかないただの人間だが、ちょっとばかし世間を見渡してみて、こんな事を思って一言。

釈尊は「人の心は、何処へでも行ける」と言われた。しかし社会を営み、そこで生き生活していくには、こうした自由奔放になりがちな心を制御して、秩序していかなければならない。
だが現実には、それが出来ていない。それは社会が行うものではなく、あくまでも「個人、個人」が行わなければならないものであり、この「個人」が行うものが、「個人の自由と人権」によって、各「個人の裁量」に委ねられているからである。

私達人間は、こうした「心の制御と秩序」のために、教育を受けている。しかしこの教育は、ただ「受ける」だけに止まっている感がある。
「こうすればああなる」というような、実体験の帰結といったものが、いうなれば「精神論」というものが教育と融合していない。
だから今回の首相の、「常識はずれの医師が多い」などという発言になる。

思ってみれば、国際宇宙ステーションとか物理学分野での素粒子探求のための大型加速器建設とかなどには、多額の予算や資金をつぎ込みながら、そうした事ばかりしてよいかどうかという、即ち「そうすればどういう結果、帰結になるか」というような「心の制御と秩序をする」ということには、野放しな状態になっている。
むしろ「心の制御と秩序をする」ということに、予算と資金をつぎ込むべきだと思うのである。
そうすることが、今日の社会混乱の「回避」に、つながって行く事だろう。
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けったいな事

2008年11月19日 | 短歌に政治や社会

先日首相は、金融サミットで、IMF(国際通貨基金)に対し、十兆円の資金提供を申し出た。そしてその翌日の党首会談では、二次補正予算の国会提出を、拒否している。
これは、「けったいな事」なものだ。

IMF(国際通貨基金)に対し、十兆円の資金提供するにせよ、二次補正予算を提示して、国会議決する必要があるだろう。それをしない事にして、口約束だけして、これはどういうことなのか、訳がわからん。
けったいな、事である。

それにまた、党首討論の結果が報道された夜のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」の番組で、「バス路線廃止の増加」が放送された。この放送内容と、金融サミットの報道、党首討論の事との対比とかの極端を見ると、「けったいな事」と思ってしまう。
金融危機に「十兆円」も使って、それで交通弱者が潤うのか、疑問なのだ。
いや、今救うべきは「お金」なのではない。「命」や「生活」であるはずなのだ。
それいってみれば、金が無いのかと思ったら「あり」、その金をどうするかというと、「命や生活」関連には使おうとしないで、ぜいたく品購入や賭け事に使おうとしているのと同じみたいだ。
私の住んでする地域でも、「バス路線廃止」や「鉄道赤字」が問題になっているが、お偉いさんたちは「新幹線、新幹線」と、身近な事には、お構い無しにしている。
「けったいな事」に思えて仕方がない私だが、どういう事でこういう事になっているのか、訳が判らん。

三年前に認知症になりかかった事があったからそれがぶり返し、「ボケ」てきたかな・・・・。

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悔しい !、だけでは

2008年11月17日 | 人生設計
前日に初給料「また頑張ります」=「悔しい」と被害少年の父-大阪ひき逃げ事件(時事通信) - goo ニュース

「悔しい!」  ???。
悔しいと言っていても、何にもなりませんよ。
そもそもこのように「悔しい」思いをしなければならないのは、「経済発展、景気拡大」という名の下に、私達が生活などの「豊かさや楽」をしようとした、その裏返しに車社会を発展させた結果なのです。
それによって「交通事故、飲酒事故、無差別殺傷事件、格差社会、救急搬送たらい回し」などの「悔しい社会を作り上げてしまいました。いわば「身から出たさび」みたいに名事にもなってしまっています。
このために、こうした交通事故、飲酒運転事故、医療事故などの忌まわしい事件に「悔しい」思いをし、「悲しみ、泣き、恨む」事が絶えません。、

今の私達は、こうした事に目覚めて、自分達はどのように「人間として生きていくか」を、真摯になって向かい合い、見詰めなければならないのです。
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本質性の自虐性

2008年11月17日 | 人生設計

私達は「望み」を持っている。「期待」を持っている。
だがこの「望みや期待」は、その通りに適えられる事がない。
適えられないどころか、逆な事になることが多い。いわば「望みや期待」が、逆進性を持っている、ということになる。
言い換えると、「自分のため」にしようとしていた事が、「自分を虐げる」事になってくるのである。
「自分のため」とか「望みや期待」という「本質性」が、自虐性」を持っているのである。

「本質性」というのは、私達は「幸せになりたい」という「願望、欲望」を持ち、「望みと期待」とを持っている。それが「本質」ともなっている。
この「本質性」が、自分自身を虐げる、「自虐性」を持っているのである。
このことを簡単に例えて言うと、「上手い美味しい儲かる話」に飛びついたのはいいが、見事にだまされて「身包み」引っ手繰られてしまったようなものである。
これはまた、「経済発展、景気拡大」といっても、資源には限界があるし、生産しなければならないのに消費重点になっていてもならないし、少子高齢化が進むなどして行き詰まるのは目に見えている。それなのに「お金」という「金融証券」という実体のないものを流通させ、そこに「本質」があるかのように受け止めているところに、落とし穴がある。
こうしたことによって、「本質性の自虐性」に陥っている。

これが「知恵と知能と教養」を持っている、人間の本質である。
こうした私達の本質に、何とか立ち向かおうとして発展してきたのが、「宗教」であるだろう。
だがこの「宗教」、それ自体も私達の持つ「本質性」という仮面に覆われた、怪しげな宗教がはこびっている。

それ故に私達は、私達の「本来性」という根源の「本質性」、いわゆる「この世の本質性」というものに、目覚める必要がある。これを「法」とも「真理」とも言う。

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まる投げ戦法

2008年11月16日 | 短歌に政治や社会
解散先送り「自分勝手な論法」民主・小沢代表が首相批判(朝日新聞) - goo ニュース

この人の流儀は、「まる投げ戦法」というべき流儀のようだ。
「定額給付金」は地方自治体にまる投げしたし、その世論操作も総務相にまる投げしている。そして今度もまた、「解散」についても、無責任な事に終始して何かにまる投げしている。
どこに軸側を置いているのか、足をちゃんと着けているのか、はっきりさせないことには、いつまでたっても「まんがオタク」の「毛並みのいい二世」で終わってしまう。
いや「三世」でも、あったっけ・・・・
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人でなしばかり

2008年11月15日 | 短歌に政治や社会

「定額給付金」ということで、その所得制限を設けるかどうかで一悶着が起きている。
いずれにせよ「定額給付金」が貰えると「嬉しい」という人もいれば、「これくらいでは」という人もいるし、他方では「次に来る消費税上げ」を思うと貰っても何にもならないという人もいる。

全く「ばら撒き」とよく言われるが、その財源がはっきりしない。「埋蔵金」を活用するとか言うけれども、とどのつまりは「赤字国債」に頼らなければなるまい。
そうすると、また悔恨を子孫に「まる投げ」する事になる。

これはまた、団塊世代が次々と退職していくのに当たり、退職金の積立金がないのだそうだ。それで「退職手当債」を都道府県地自体が発行すると言う。総額は二千五百億円以上に上る。
これらの償還義務も、また子孫にまる投げされている。

こういうふうに、少しも子や孫など子孫を思いやらない「人でなし」ばかりが、そろっている。

それだからか、妊婦救急搬送たらいまわしが行われるのも、その思いからか。
尤もだからといって、医師を攻めるつもりはない。
いい若い者が、スポーツとか芸能タレントごとに重んじられ、それを取り巻いているたくさんの「人でなし」が多い事に、原因があり、その人たちこそ攻められるべきなのだから・・・。

そしてまた、先日首相が読み間違えをしたが、このことでネットには「どうでもいいだろ」と書き込む人もいる。
だがこういうことは、「医師が診断を間違えた」といえるもので、一国の宰相の質を問わなければならない事である。
「医師が誤診」をしたら、即刻告訴ものだ。
試験問題の解答付けも「間違えた」、それで入学できない、入社できなくなっても「どうでもいい」とはいかないだろう。

こういう「人でなし」に、任せておくわけには、行かないだろう。

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暴露された正体

2008年11月14日 | 短歌に政治や社会

首相の「読み間違え」で、その人格性が疑われている。
先の「緊急首脳会議」では、英語で演説、スピーチしたそうだったが、それなのに母国語はこのようにめちゃくちゃなのだから、やはり「まんがオタク」のような人で、とても宰相が務まる人ではないらしい。
これは「教育」施策の弱点が、正体が暴露された事でもある。

現に首相のこうした読み間違えに止まらず、社会的な立場にある人達の倫理を外れ、人間性も外れた行動をしている。そこには、「教育論」の間違いが、根底にあるといわなければならない。

「教育論の間違い」といっても漠然としているが、簡単に言えば「専門的」になってしまっているといわなければならなくなる。
「教育」は、単に科目の「教育」だけが「教育」ではない。「生活」も教育であり、「経済」も教育であり、「人との触れ合い」も教育であり、個々のものはそれぞれのものと関連を持って大きな「教育」となる。更に「物」との関連も教育であり、「自分自身や他の生命」との関連もまた教育である。

しかし今日の「教育方針」は、型にはまった教育をもってして「教育」としている。その為に、一刻の宰相までもがおかしな言動をする事になる。
我々は、「共に生き、助け合って」、すべてのものが共生して生きようとしていかないと、こういう状態の正体が、次々と暴露されていく。

全てのものと関連性を持った、共生のための教育を心がけて欲しい。

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評価、数値、優位の真実

2008年11月13日 | 短歌に政治や社会

兵庫県知事が、「関東大震災はチャンス」と言ったという。先日は、前航空幕僚長が「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を発表している。その他、首相やら閣僚やら官僚やら、知事なんかの迷言失言は賑やかである。

それにしても、いい年をして、ある程度の教養を持つ人達が、こういう発言をするのは、どこにその原因と根拠があるのだろうか。
それをよく突き詰めていくと、現在の「評価、数値、優位」主義的なことに原因と根拠があるように思う。この「評価、数値、優位」を求め、そこに突き進もうとするために、「ゆとり」を失っているからであるだろう。

今の人達は「悲しい、哀れ」といわなければならない、人達である。元々人は、「可愛い」ものであったのに・・・・
「尻に火がついた」ように追い立てられて、ゆとりを失い、先ばかり見ている。自分が何をしていて、何を言っているのかさえ、判らないでいる。

ゆったりと、落ち着き払ってみたらどうですか  ?。

それにしても、社会通念上、例えば事業を起こす場合、身上を賭けるか抵当に入れる。今度の「定額給付金」とかいう制度を作るようだが、その制度が上手く機能しなかった場合、身上すべて失う覚悟でやっているのだろうか。
前の二代の首相のように、また「まる投げ」して、のうのうと議員職に止まっているのでは、情けなくなる。
現に、実行は「地方に任せる、まる投げ」している。

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地産地消

2008年11月12日 | 人生設計
海外進出絶好のチャンス:松本大・伊藤元重(3)(Voice) - goo ニュース

長々と議論しているが、地に足が着いていず、腰が据えていない議論になっている。
「地産地消」という言葉があるが、このうち「地消」の方が、一人歩きしている。消費する、ということにばかり眼を向けといて、「地産」ということには、一生懸命にならない。
それと同じように、「金融」とか、「景気」だけが、一人歩きしていても、そういうことだから救急医療たらいまわしとか、振込みサギとか、食品偽装とかがしょっちゅう行われる。人間の「知恵」って、そんなものなのかも・・・・・。
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盗人にも三分の理

2008年11月12日 | 人生設計
田母神・前空幕長「村山談話は言論弾圧の道具」(朝日新聞) - goo ニュース

この人の言い分によると、「我国はいい国である」と言いたいのだそうだ。ということは、だから武器を取って他国に侵入することも「許される」という理論展開になっている。それを自分でも思い、人にも教え、世間にも語りかけようとしたのが、今回の騒動である。
しかしこの人は、「自分の立場」というものを、わきまえていない、というお粗末さがある。「憲法改憲」というにしても、在野にあって述べるならともかく、航空幕僚長としての認識もないままに語るのは、「盗人にも三分の理」の如き言い分に過ぎない。
食料等の偽装にしても、犯罪を犯しても、何のかのと言い逃れようとするのと同じ、「盗人の三分の理」である。
事にそれは、こういうことをなしながら、「退職金は国庫に返還せず、生活が苦しいから使わせてもらう」ということに現れている。公僕としての、認識がない。
少しも「いい国にしたい」という、気構えも、ない。
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