令和4年1月15日(土)
お早うございます。
<1月15日今日は何の日>
1936年 - 中日ドラゴンズの前身、名古屋軍が誕生。
横浜に大リーグ選抜軍が来日した1934年、読売新聞社が大日本東京野球倶楽部(1936年に東京巨人軍に改称)を日本のプロ野球球団として結成。
それから遅れること2年、1936年1月15日に新愛知新聞社を親会社として名古屋軍(なごやぐん)が誕生した。
河野安通志を総監督(ゼネラルマネージャー)に迎え、池田豊が監督に就任。
明治大学の中根之、アメリカ人で捕手のバッキー・ハリス、内野の名手・芳賀直一、日系アメリカ人の高橋吉雄、主将の桝嘉一、スローボーラー・森井茂らが初期メンバー。
上述のメジャーリーグ選抜軍来日時に、読売新聞社社長・正力松太郎が新愛知新聞社の田中斉に名古屋でのプロ野球球団結成の働きかけを行ったのが球団誕生の契機。
新愛知新聞社傘下の國民新聞社でも大東京軍を結成。
当初、読売の正力松太郎が推し進めていた日本職業野球連盟(現在の日本野球機構の源流)とは別個に、独自リーグの大日本野球連盟を組織して各地に同様の球団を4球団結成し、配下には3Aに相当する下部組織を作るなどの、当時としては先進的な構想を抱いていたが頓挫。
結局、上記の既存の2球団が正力が設立した日本職業野球連盟に加盟することになった。
当初の商号は名古屋軍が株式会社大日本野球連盟名古屋協会、大東京軍が株式会社大日本野球連盟東京協会であり、大日本野球連盟構想の名残が見られる。2月5日、日本職業野球連盟が結成された。
お早うございます。
<1月15日今日は何の日>
1936年 - 中日ドラゴンズの前身、名古屋軍が誕生。
横浜に大リーグ選抜軍が来日した1934年、読売新聞社が大日本東京野球倶楽部(1936年に東京巨人軍に改称)を日本のプロ野球球団として結成。
それから遅れること2年、1936年1月15日に新愛知新聞社を親会社として名古屋軍(なごやぐん)が誕生した。
河野安通志を総監督(ゼネラルマネージャー)に迎え、池田豊が監督に就任。
明治大学の中根之、アメリカ人で捕手のバッキー・ハリス、内野の名手・芳賀直一、日系アメリカ人の高橋吉雄、主将の桝嘉一、スローボーラー・森井茂らが初期メンバー。
上述のメジャーリーグ選抜軍来日時に、読売新聞社社長・正力松太郎が新愛知新聞社の田中斉に名古屋でのプロ野球球団結成の働きかけを行ったのが球団誕生の契機。
新愛知新聞社傘下の國民新聞社でも大東京軍を結成。
当初、読売の正力松太郎が推し進めていた日本職業野球連盟(現在の日本野球機構の源流)とは別個に、独自リーグの大日本野球連盟を組織して各地に同様の球団を4球団結成し、配下には3Aに相当する下部組織を作るなどの、当時としては先進的な構想を抱いていたが頓挫。
結局、上記の既存の2球団が正力が設立した日本職業野球連盟に加盟することになった。
当初の商号は名古屋軍が株式会社大日本野球連盟名古屋協会、大東京軍が株式会社大日本野球連盟東京協会であり、大日本野球連盟構想の名残が見られる。2月5日、日本職業野球連盟が結成された。
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