12月30日(月)
今日は、天白神社、若宮精魂印之宮、八剱神社の大祓祭にお参りして参りました。
大祓は、我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。
この行事は、記紀神話に見られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)を起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。
年に二度おこなわれ、六月の大祓を夏越(なごし)の祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形(ひとがた・人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。
私たちにとって、その年々の節目におこなわれる大祓は、罪や穢れを祓うとともに、自らを振り返るための機会としても、必要なことではないでしょうか。
古くは、701年(大宝元年)の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた。この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味があった。その後、百年ほどは盛大に行われた。そして応仁の乱の頃から行われなくなったが、江戸時代(1691年(元禄4年))に再開され、次第に広まった。
1871年(明治4年)の太政官布告にて明治新政府により「夏越神事」「六月祓」の称の禁止と「大宝律令」の「大祓」の旧儀の再興が命じられ、全国の神社で行われるようになった。戦後には「夏越神事」「六月祓」の称も一部では復活し、現在に至る。
『大晦日』
今年(平成25年)も残りあと数時間となりました。
12月28日(土)三谷町上区三役の方とささやかな忘年会に参加させて頂きました。一年間という期間は長いようで「アッ」というまに過ぎてしまいまいました。平成26年度は上区三役の交代となります。新三役さんの下、上区集会所の建設について・旧原山焼却場解体工事について、イノシシ被害から地域を守ることについて等々問題・課題が山積です。
私も2年と8ヶ月間、無我夢中で務めてまいりました。様々な相談事・三谷町や蒲郡市のこれからの課題等々、この先いばらの道が待ち構えています。
平成24年と同様平成25年も、激動の一年でした、慣れてきた事でも丁寧に、また、新しい経験も沢山あり、いつも冷汗を掻いていた様な思いです。
今年一年を通じて学んだことは、「一人では何も出来ない、みんなで力を合せる事の大切さ」です。
<平成25年元旦の初日の出>
それでは最後に、今年も大変お世話になりました、良いお年をお迎え下さい。
来年もよろしくお願い致します。
今日は、天白神社、若宮精魂印之宮、八剱神社の大祓祭にお参りして参りました。
大祓は、我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。
この行事は、記紀神話に見られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)を起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。
年に二度おこなわれ、六月の大祓を夏越(なごし)の祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形(ひとがた・人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。
私たちにとって、その年々の節目におこなわれる大祓は、罪や穢れを祓うとともに、自らを振り返るための機会としても、必要なことではないでしょうか。
古くは、701年(大宝元年)の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた。この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味があった。その後、百年ほどは盛大に行われた。そして応仁の乱の頃から行われなくなったが、江戸時代(1691年(元禄4年))に再開され、次第に広まった。
1871年(明治4年)の太政官布告にて明治新政府により「夏越神事」「六月祓」の称の禁止と「大宝律令」の「大祓」の旧儀の再興が命じられ、全国の神社で行われるようになった。戦後には「夏越神事」「六月祓」の称も一部では復活し、現在に至る。
『大晦日』
今年(平成25年)も残りあと数時間となりました。
12月28日(土)三谷町上区三役の方とささやかな忘年会に参加させて頂きました。一年間という期間は長いようで「アッ」というまに過ぎてしまいまいました。平成26年度は上区三役の交代となります。新三役さんの下、上区集会所の建設について・旧原山焼却場解体工事について、イノシシ被害から地域を守ることについて等々問題・課題が山積です。
私も2年と8ヶ月間、無我夢中で務めてまいりました。様々な相談事・三谷町や蒲郡市のこれからの課題等々、この先いばらの道が待ち構えています。
平成24年と同様平成25年も、激動の一年でした、慣れてきた事でも丁寧に、また、新しい経験も沢山あり、いつも冷汗を掻いていた様な思いです。
今年一年を通じて学んだことは、「一人では何も出来ない、みんなで力を合せる事の大切さ」です。
<平成25年元旦の初日の出>
それでは最後に、今年も大変お世話になりました、良いお年をお迎え下さい。
来年もよろしくお願い致します。
そして来年もよろしくお願い申し上げますとともに
貴殿様が痩せる思いで<笑、仕事をこなし
地元上区、そして三谷町、しいては蒲郡のためとなる事を
祈りつつ、無理はせずに・・・
良いお年をお迎えください!