京城帝国大学 法文学部 正門
韓国が「日本に植民地にされ、朝鮮語を禁止され、日本語を教えさせられ、自国の歴史を学ぶ事を禁止させられた」と言われるので、それでは併合前は、さぞかし御立派な語学、歴史教育等を施されており、素晴らしい教育機関をお持ちであられたのと思い、ちょっと調べてみました。
すると、なんという事でしょう!!!!!
実は併合前の1906年には、あの国土に対し、なんと小学校数が、40校未満で、国民の殆どが、まともに読み書きすら出来ず、そもそも禁止出来るような、語学教育、歴史教育さえ、いやいやそれを国民に施す学校さえも殆ど存在していなかった、という事が判明してしまいました。
そしてこれには1905年、日韓保護条約に基づき朝鮮の初代統監になった伊藤博文もブチ切れてしまった!!、と、日本が北海道帝国大学に続く6番目の帝国大学として、ソウルに設立した京城帝国大学の歴史の中に記載されています。
そしてこの後、7番目の帝国大学として台湾に台北帝国大学、8番目、9番目の帝国大学として、大阪帝国大学、名古屋帝国大学が設立され、朝鮮も台湾も、内地日本と同等に扱われていた訳です。
そして、それぞれ日清戦争、日露戦争の結果として、日本が統治する事になった台湾、朝鮮が、全く同じ経緯を辿って来たのにも関わらず、何故だか朝鮮だけが、植民地になってしまう、これもまた非常におかしな話なのです。
●李氏朝鮮では、1895年(開国504年)の甲午改革により近代教育制度が始まった。日露戦争後の1905年(光武9年)、ポーツマス条約と第二次日韓協約により、大韓帝国(1897年~)は日本の保護国となった。初代統監として着任した伊藤博文は甲午改革から1906年(光武10年)まで11年経っても全国で小学校が40にも満たない実情を見て大韓帝国の官僚を集めた席で「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し、朝鮮半島での学校建設事業を最優先してすすめた[1]。 そのため1906年(光武10年)には韓国統監府より普通学校令が公布され、5~6年制であった小学校を4年制に改編し、教育が進められた。日本の統治や普通学校に反発し、愛国啓蒙運動を起こして私立学校を設立し、朝鮮語でハングルの習得や民族の歴史などの教育を行った者もいた。対して日本政府は1908年(隆熙2年)に私立学校令を公布し、統一した教育の実施を狙った。
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