皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

「体」の旧字体は「體」・弐

2023-04-30 10:24:06 | 皇紀二千七百年党 廣田晋一郎
始まりましたGW。そして5月3日は昭和22年のこの日に日本国憲法が施行された事に因んで憲法記念日となっています。
しかしその丁度一年前の5月3日は東京裁判開廷日。我々は東京裁判開廷日を祝日としてるとも言えます。またこれが所謂、東京裁判史観の根源になります。
そしてこの時期に日本の憲法が占領政策により書き換えられた様に、日本の学校の教科書も書き換えられました。
更に内容だけではなく、我々の先人達の使っていた多くの漢字(旧字体)も新字体・当用漢字へと書き換えられました。
私自身、広田晋一郎も旧字体で書くと「廣田晉一郞」になります。

「弁護士」「弁当」「安全弁」「花弁」、全く意味の異る言葉に同じ「弁」。
なんでやねん?と思ったその「関西弁」もそうです。
実はこの「弁」。これ一つで30程の意味が有ります。何故その様な事になっているかと言うと、元々それぞれ独立した形と意味を持つ4個の旧字体の「弁」(辯、辨、瓣、辦)があり、それを当用漢字で一つにまとめてしまったからこんな事になっているのです。
この「弁」は本来のその表現力を完全に失ってしまっていると言えるでしょう。


「臭」という漢字は、犬の鼻の嗅覚が優れているから、「犬」+鼻の上の「自」で成立していましたが、新字体では一番重要な「犬」を「大」にしてしまったいるので、その漢字の成り立ちが解らなくなってしまっています。
学校の先生も「臭」という漢字は犬の嗅覚が鋭いから、鼻の象徴の「自」の下に「犬」って書くんだよ、と教え易いし児童達も「へ〜、そうなんだ」と楽しく学習できます。
現代教育は丸暗記でつまらない、という話をよく聞きますが、それは戦後の占領政策で教育の在り方を勝手に変えられたからで、本来の日本の教育は、漢字一つとってもそれぞれの成り立ちがある様に起承転結のある楽しく納得の出来る内容であったと容易に想像出来るのではないでしょうか。

「学」旧字体は「學」。
これは子供達が地域の人々に支えられ先生達に教えられて成長していく姿を字にしてます。

「學・学」「櫻・桜」「勞・労」、等々、それぞれその成り立ちの意味のある部分が「ッ」に簡略化されてるので、それぞれ形に到るまでの経緯、もっと具体的に言えば、先人達の経験、体験、知恵、知識、勇気、想い、願い、希望、に触れる事無く、ただただ授業が丸暗記になってしまっているのです。

「鉄」の旧字体は「鐵」。現在の鉄道株式会社は「金「「失」道株式会社。これではあまりにも縁起が悪いので「金」「矢」と工夫している会社も多いです。

そして「気」の旧字体は「氣」です。日本は稲穂の国と言われてるようにお米をモリモリ食べて、米、これは末広がりの形ですから、そのエネルギーを世界中に広めていきましょう、です。
それが当用漢字では「メ」です。封筒を閉じて閉める時のメ。日本人はおとなしくしていなさい、と意味が全く逆になってしまっています。
スーパーサイヤ人、北斗神拳の「気」は実際は「氣」です。

そしてその様な「氣」の概念のある日本にドラゴンボールや北斗の拳、等の世界的にヒットする漫画が登場するのは偶然ではなく、必然とも言えるでしょう。

そして当用漢字の「体」。これ横線一本引いたら「休」になってしまいます。
でも旧字体では「體」です。そもそも我々日本人のからだに対する概念は「骨豊」です。
だから学校の体育の授業は、本来は「學校の體育」であるべきです。

我々日本人の歴史伝統文化は本当に奥深いと感じます。いろんな工夫、仕掛け、設定があり、先人達から現代の我々に対する、優しさ、思いやり、愛情さえ感じ取れると思います。まるで親が子へ無限の愛情を注ぐかのように。

日本の歴史伝統文化に素晴らしいものが沢山あります。
しっかりと活用して我々日本人の本来の活力ある姿を取り戻していきましょう。

体は「體」・我々日本人の「からだ」の概念は「骨豊」

2023-04-27 02:18:06 | 皇紀二千七百年党 廣田晋一郎
臭・自+犬  學・学  鐵・鉄  氣・気

櫻・桜  勞・労  榮 栄



日本の歴史伝統文化は本当に奥深く、いろいろな仕掛、工夫、設定までされていて、先人達からの我々に対しての、優しさ、愛情さえ感じる事も出来ます。

素晴らしいものが沢山ありますので、しっかりと活用して、我々日本人、高知県民の本来の活力ある元気な姿を取り戻していきましょう!!

神子屋敷橋

2023-04-16 18:00:18 | 皇紀二千七百年党 廣田晋一郎
2ヶ月程前から私の現場は今治造船所。
(高知から西条へ出張してます)

そして初日から、その現場に向かう高速道路での車窓から見える一つの景色に何かを感じていた。

そして職場は第三土曜日が休み。
連休二日目となる今日、早速その景色の中に向かう事とした。

●新宮町・大影


この大影トンネルから法皇トンネルに入るまでの一瞬に見えるその風景にだ。
(高知→川之江の西方向の景色)

大影対岸上部の道路から


既に忘れ去られた道だと思っていたが・・・


そして大影に向かう


橋の名前




地図の破線のとおりに道があり昭和の時代の集落跡がある


水路はしっかりと整備されているようだ


あれ、民家がある。あの車窓から受ける印象とは全く逆の風景だ。
良い意味で期待を裏切られ、なんだかほっとする。


ダムの水は四国中央市に供給されている。


対岸に見える大影上部の集落に向かう


道路沿いには綺麗な景色が広がる


大影の最上部に到着


ここは無人になっているようだがまだ通ってる方がいるようだ


最上部から下ると民家が見える

対岸から見えていた民家はこの先のようだが、ワンちゃんがいる。


どうやら高速の車窓から見える大影の印象とは違い、そしてまた高知の集落跡を訪問した印象とは違い、ここにはまだ人々の生活がある。

更に大影を下る道の途中で大きな樹木の上から多くの影が一斉に大移動。
何かと思えば30匹以上の猿の集団だった。

それにしても当然想像通りに昭和の時代に無人となった場所もあれば、期待以上の人々の生活の姿のある場所もあり、私のあの車窓から見る先入観を良い意味で大きく裏切られる事となった。
しかも最後は見たこともない野生の猿の大集団。
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では何故、私は、今ここに来ているのか??
出張での1時間半の通勤時間の中での高速道路の車窓からほんの一瞬に見えるここの景色に魅かれ、どうしてわざわざバイクで2時間半も掛けてこんな場所に来ているのだ・・??

そう、ここは「神子屋敷」


今回の統一地方選挙での私の失敗を、随分と前から分かっていた「神子屋敷」様は、普段は真面目に建設現場で働く私に「後でここに来るように」と暗示を掛けてくれていたのかもしれない。

そして私が選挙でいろいろな思いが先走り過ぎて独断行動が原因で失敗した事に合わせて、高速の車窓から見えるこの地域の風景も先入観とは随分と違う事を示し、私を諭すようにしてくれていると思えば、勝手な解釈だが何故だか辻褄が合うようにも思える。
また少なくとも今のこの混乱した気持ちを随分と落ち着け、次の目標に向かっての指針を確保する事が出来る。

しかも本日は本来出馬すべきであったはずの統一地方選挙高知市市議会議員選挙初日。

「神子屋敷」様に、「おい、廣田晋一郎。お前は本当は今日はここに来るはずではなかったのだぞ。お前のその甘さ、思い上がり、思い込み、自惚れ、根拠のない自信過剰が今回の失敗の原因だ。そんなお前に、お前が言う・選挙で選ばれた代表者の立場・等、勤まる訳がなかろう。それでもまだお前にやる気があるのであれば、しっかりと考えを直して出直して来い!!」

と言われた気がしています。

また最後に遭遇した30匹以上の猿の集団のボスともしっかり目が合い、「おい人間。お前ら俺らの縄張りをメチャクチャにしやがって。普通は外部の人間が来たらこの数でフルボッコなんだが、どうやらお前はそんなに悪い奴じゃないらしい。今回は見逃してやるからこれ以上俺達に迷惑を掛けるのは止めろ!!」

と言われた気もしています。

また往路、大歩危付近で国道に動物が跳ねられていて、周囲が自然豊かな場合は埋葬している私ですが、さすがに周囲がアスファルトとコンクリだらけの国道32号では無理で、帰路には誰か状況を報告して引き取ってくれている事を期待していましたが、実際はそのままでした。
既に誰かが報告済で、後は時間の問題だったのかもしれませんが、私も#9910に報告しておきました。

その様な事もあり、本日は「神子屋敷様」に呼ばれた特別な日であったと思います。

身の丈に合わない国旗の扱い方をする人物は、身の丈に合わない活動をしてる訳だから成功しない。神様は最初から分かっていて私に暗示を掛けてくれていた訳です。

街頭で国旗掲揚国歌斉唱を唱える私の聞いて呆れる話ではございますが。

それでも捨てる神あれば拾う神あり、というところでしょうか。

日本の歴史伝統文化は本当に奥深いと感じています。
いろいろな工夫、設定、仕掛けまであり、先人達から現代の我々に向けられた「思いやり」「愛情」さえ感じてしまいます。

日本は素晴らしい国です。これからもこの国をしっかりと護っていきたいです。
我々の先人達がそうであったように!!!!!!!!












謙虚な気持ち

2023-04-16 15:45:04 | 皇紀二千七百年党 廣田晋一郎
今回の選挙戦において私に最も欠けていたのはその謙虚な気持ちでした。

何故、過去4度の選挙において当選どころか3回の供託割れを起こしている私が、二度目の統一地方選挙において前回同様の市議選でなく県議選に出馬したのか。
それは私自身の「思い上がり、自信過剰、自惚れ、思い込み、考えすぎ、自己中」等の未熟さが原因でした。

恥ずかしながら一人で勝手に今の日本の現状を憂い、「本当にヤバい、何とかしないと、もう市議ではなく県議でいかないと間に合わないかもしれない」と真剣に思い込んでいました。

そして、今回の統一地方選挙に向けて、誰よりもこの高知市内で、一番目立つ場所で、大きな声で、そして愛国心の象徴である国旗を掲げて活動してきたのは私ではないか(当社比)。
だから支持者の方々もそれに比例して増えてるはずだ。
もう市議ではなく県議で行こう。
と、そう真剣に考えていたからこそ、仕事の合間、休日等、時間の取れる時に積極的に街宣をしていた訳で御座います。

しかしその様な私の勝手な思い上がりとも言える「県議選への出馬」は、到底皆様に理解して頂けるものではないどころか、逆に基本がブレてる人にしか映らなかったのではないでしょうか。

一人で焦って舞い上がっていた立候補者の私より、有権者の方々のほうが冷静で落ち着いていて現状をしっかりと把握されている訳です。

そして私の事を支持して頂いている方であっても、個人的な支持は出来てもそれ以上の支持は出来なかった。

誰かに相談する事も、つもりも、例えされても聞く耳を持っていないなかった私の未熟さが完全に実態として浮彫になった訳でもございます。

また当然、最初は次こそは市議選の気持ちでおりました。しかし選挙戦を重ねるごとに、また街頭演説を始めとした政治活動を重ねるごとに、自分の活動に対する「思い上がり、自信過剰、自惚れ、思い込み、考えすぎ、自己中」が増大し、今回の結果となった訳だと思います。

また、市議選であれば私の事を支持して頂けた方でも、県議選では支持する事が出来なかった方もいらっしゃる、と思います。
これはいくら「選挙戦」であるとしてもここは日本の高知県。
それぞれの方々の世界があり、界隈があり、縄張りがあり、調和がとれている訳です。
そして県議会議員はそれぞれの勢力の中からその調和を保ちながら誕生する議員。
そのバランス、調和を無視してまで議席を取ろうとしていた訳ですから相当な無理があった訳です。

そして何より一番問題だったのは、愛国心の象徴である「国旗」を身の丈に合わない大きさで扱っていたという事。

物質的には軽い「国旗」の本当の「重さ」に完全に淘汰されたのが今回の選挙戦。

そしてそこからまた新たな気持ちで次の目標に向かっています。