皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

激減した小学校の生徒数

2020-09-10 23:21:48 | 宿毛の学校
学校の廃校は当然、児童数、生徒数の減少に起因する。

では一体、現在、どれくらいの現象が起きているかというと、

例えば室戸市では昭和30年に4663人いた小学生が、現在1/10以下の368人。



●室戸市教育委員会
http://www.kochinet.ed.jp/muroto-c/b01m00000012.html



昭和40年代、日本の人口は一億を突破した。

しかし同時に、子供達の数が減り始め、、学校の統廃合が始まり、、、、現在、、、学校のあった場所が老人ホームとなっている。

(現在、人口は1億2千600万人程、、、因みに高知県の人口は70万人切ってます。戦争時時代、日本の人口は1億人程でしたが、それは併合していた台湾と朝鮮を含めていた数で、その後の日本本土の人口は7千万人程でした。)

宿毛・石原小学校

2019-07-11 15:51:34 | 宿毛の学校

宿毛・石原小学校



2016/12/23(金) 午後 9:17



学校が見えてきた!!




芳の沢小学校のように、この木なんの木きになる木がある学校だ。



宿毛市立石原小学校



学校の石碑と国旗掲揚台


愛情の碑




学校の歴史




開校は明治10年頃と推定される


平成3年、小筑紫小学校と統合、閉校

その小筑紫小学校も平成20年に閉校

現在、地域の子供達はその少し南の小筑紫小中学校に通っている。



体育館というより、僻地集会所かな


校庭



なんなんだこの感覚は!母校でもないのに懐かしさが込み上げてくる。

芳の沢小学校を訪問した時と同じ感覚だ!!


この小学校も桜吹雪の舞い散る美しい風景の小学校だった。



学校の隣には、売店ではなく、食堂




つまり石原小学校の児童達は学校帰りにこの食堂でかつ丼を・・

いやいや、一度家に帰ってランドセルを置いてきて、ここでかつ丼を・・

でもなく、




これはきっと多分、周辺の農作業をしている人達に、昼ご飯を提供する場所だったに違いない。

あれだけ個人経営の外食産業が多い宿毛の事だから、きっとそうに違いない!




南側には広い道路が整備されている



小筑紫方面には山を切り崩し、道路を通し、交通の便は良くなったが





その副産物として、過疎化の進んだ集落と、学校の跡地があるのには、ちょっと複雑な心境になる!!

宿毛・栄喜小学校

2019-07-11 15:50:42 | 宿毛の学校

宿毛・栄喜小学校


2016/11/15(火) 午後 10:26


芳の沢から栄喜に向かう


道路沿の民家が増えてきて学校に到着




学校の石碑



平成23年 小筑紫小学校に統合




開設は明治37年


土佐清水の漁村の学校の開設と比べるとかなり遅い。

漁村として賑わっていた事は容易に想像出来る。だとしたら学校を建てる財力も十分あったはずだと思う。




もしかして、それまではこの地区の児童達は小筑紫小学校に通っていて、栄喜の児童のための学校も欲しいという事でその後開設された学校だったという事なのだろうか??




プール。 おはよう・こんにちは・さようなら






校舎


水槽がある






児童達は栄喜の港に揚がった海老や蟹をここで飼っていたんだろうか。