皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

【日中戦争】は教科書会社が勝手に作った言葉??

2016-03-23 23:34:17 | 教科書内容の問題点

【日中戦争】は教科書会社が勝手に作った言葉??

教科書は文部科学省の学習指導要領を元に教科書会社が教科書を作成し、検定に合格した物を教育委員会が採択していく形になります。

そこでその基本となる「小学校学習指導要領解説・社会編」の先の大戦に関する部分を見てみると(下の写真・P82)

【【日華事変、わが国にかかわる第二次世界大戦、・・】】



とあるので、この内容について文部科学省(03-5253-4111)に問い合わせをしてみました。

すると、この「日華事変」とは、当時の日本政府がその呼称を「支那事変」と閣議決定した、盧溝橋事件以降の支那での一連の事変の事を指していて、戦後、中国から「支那という言葉は使っては駄目アル」との要請に基づき、蒋介石も毛沢東も汪兆銘も含む、いわゆる「中華民国」の「華」と日本との「事変」の事を指しているそうです。

そして文科省の見解としては、いわゆる「戦争」というものは「宣戦布告」に基づくものであり、いわゆる「第二次世界大戦」「大東亜戦争」「太平洋戦争」の起点が昭和16年12月8日の、日本の米国に対する宣戦布告であると同じ理由で、「日中戦争」というものも、本来あれば昭和16年12月9日の蒋介石の日本に対する宣戦布告を起点に考えるのが、より正確な認識、という事だそうです。

ただそれでも、盧溝橋事件以降の「事変」を「日中戦争」と呼んだり、満州事変から終戦までを「15年戦争」と呼ぶ教科書が検定に合格するのは、本来であれば、それが正確な記述とは呼べないが、教科書として限られたページ数で当時の歴史を記述する必要があるので、そこまでの厳しい縛りは入れていない!!との事でした。
そして、そこは非常に大事な所なので、もっと正確な記述が必要なのでは!!と言ってみたところ、その担当の方も、私と全く同じ気持ちだったんだな!といニュアンスを感じましたね!!!

ですので当時の背景を「支那事変」「大東亜戦争」と記載している【育鵬社】の歴史の教科書は、ただ純粋に文科省の学習指導要領に忠実に作成しているだけと感じます。
そして、当時の日本政府が「事変」と閣議決定した出来事を、「宣戦布告」というものが存在しないのに、勝手に「日中戦争」「15年戦争」と呼び、それを日本の未来の子供達に教えようするその他の教科書会社は、「何か明確な意図の伴った悪意があるのか」、「だだの無知なのか」分かりませんが、日本の国益を害している訳です。
また、その教科書を採択する教育委員会、そしてそれを使って授業を行う教師も、人様の子供だけじゃなく、自分自身の大切な子供にまで「日本人として生きていく為に絶対に不利になるデタラメな嘘の歴史」を、それを知ってか、知らずか、教えてる訳ですから、日本がおかしくなるのも当然かと。

そしてまた逆に、子供達が人生において最初に日本の歴史を学ぶ「小学校の歴史の授業」を本来の正確なものに取り戻す事が出来れば自動的にこの国が良い方向に向かっていけるとも確信しています。

でも、うちはそれには間に合いそうに無いので、先に正しい歴史を教え込んで、授業で訳の分からない日本の歴史を教え込もうとする先公を返り討ちにする計画を立てているのであります!!!!

韓国の捏造に騙されるな!!!学校教育編!!!

2016-03-14 16:29:03 | 教科書内容の問題点
  
京城帝国大学 法文学部 正門


韓国が「日本に植民地にされ、朝鮮語を禁止され、日本語を教えさせられ、自国の歴史を学ぶ事を禁止させられた」と言われるので、それでは併合前は、さぞかし御立派な語学、歴史教育等を施されており、素晴らしい教育機関をお持ちであられたのと思い、ちょっと調べてみました。

     すると、なんという事でしょう!!!!!
実は併合前の1906年には、あの国土に対し、なんと小学校数が、40校未満で、国民の殆どが、まともに読み書きすら出来ず、そもそも禁止出来るような、語学教育、歴史教育さえ、いやいやそれを国民に施す学校さえも殆ど存在していなかった、という事が判明してしまいました。
 そしてこれには1905年、日韓保護条約に基づき朝鮮の初代統監になった伊藤博文もブチ切れてしまった!!、と、日本が北海道帝国大学に続く6番目の帝国大学として、ソウルに設立した京城帝国大学の歴史の中に記載されています。
 そしてこの後、7番目の帝国大学として台湾に台北帝国大学、8番目、9番目の帝国大学として、大阪帝国大学、名古屋帝国大学が設立され、朝鮮も台湾も、内地日本と同等に扱われていた訳です。
 そして、それぞれ日清戦争、日露戦争の結果として、日本が統治する事になった台湾、朝鮮が、全く同じ経緯を辿って来たのにも関わらず、何故だか朝鮮だけが、植民地になってしまう、これもまた非常におかしな話なのです。
●李氏朝鮮では、1895年(開国504年)の甲午改革により近代教育制度が始まった。日露戦争後の1905年(光武9年)、ポーツマス条約と第二次日韓協約により、大韓帝国(1897年~)は日本の保護国となった。初代統監として着任した伊藤博文は甲午改革から1906年(光武10年)まで11年経っても全国で小学校が40にも満たない実情を見て大韓帝国の官僚を集めた席で「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し、朝鮮半島での学校建設事業を最優先してすすめた[1]。 そのため1906年(光武10年)には韓国統監府より普通学校令が公布され、5~6年制であった小学校を4年制に改編し、教育が進められた。日本の統治や普通学校に反発し、愛国啓蒙運動を起こして私立学校を設立し、朝鮮語でハングルの習得や民族の歴史などの教育を行った者もいた。対して日本政府は1908年(隆熙2年)に私立学校令を公布し、統一した教育の実施を狙った。

京城帝国大学 ↓   ↓   ↓

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E5%9F%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E5%AD%A6





中学校「歴史」の教科書内容の意味が分らないので、父兄の立場から教科書出版会社に質問してみました。①

2016-03-01 11:25:26 | 教科書内容の問題点


【南京では、兵士だけでなく、女性や子供を含む多くの中国人が殺害し、諸外国から「日本軍の蛮行」と非難されました。(南京虐殺事件)】


●↑   ↑   ↑   ↑に対する質問


1.これは日本軍が、戦争中に一般市民に被害を与えたという事(戦時国際法違反)を指摘しているのか。それともそれ以外の事、あるいは、それを含む日本軍の行動の事を指摘しているのか?


2.軍隊が戦争中に民間人に被害を与えたという事を指摘しているのであれば、それ以外にこの時期から、第二次世界大戦終結付近までの期間に、軍隊の国籍を問わず、 軍隊が民間人に被害を与えた事例は他には無かったのか。
この南京が事実とするならば、それ以外に軍隊が民間人に被害を与えた事例が全く存在しないという理由で、ここで南京の事例を指摘する意図、目的は理解出来るが、それ以外にも日本軍を含む諸外国の軍隊が、戦争中に民間人に被害を与えた事例が存在するのであれば、その中であえて南京の事例だけを、中学校の教科書に記載する、意図、教育目的は何なのか?


3.【「日本軍の蛮行」と非難した諸外国】について具体的に教えてください。
また、当時、国際都市での南京戦は世界的にもビッグニュースであり、AP、ロイター、ニューヨークタイムス、ロンドンタイムス等、数百人のジャーナリストが取材に来ていたがには、彼らはどのような報道をしていたのか。
虐殺あったとするならば、各社一斉に同じ内容の報道をしていたのか?
具体的に、どのような「証拠」「事実」「根拠」を基に、虐殺があったとしているのか?


4.当時、日本軍が南京で戦ったのは蒋介石の国民党であるが、その後の蒋介石の記者会見等で、この南京についてどのような発言をしていたのか?

また毛沢東、周恩来は南京についてどのような発言を残しているのか?


5.少し前の教科書(~H24頃)には、「南京大虐殺」との記載があるが、現在「大」の字を省き、「南京虐殺」と表記するに至った経緯にはどのようなものがあったのでしょうか??


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電話で質問をしたのですが、全く返答を頂けなかったので、口頭で上記の内容の質問を伝え回答待ちの状態です。回答にはしばらく時間が掛かるとの事で、文書を郵送して頂く形になっています。
帝国書院の中学「歴史」208ページの記載です。