皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

高知の学校跡地まとめ

2018-05-09 16:17:59 | 学校跡地訪問
私が塗装の仕事をやりながら地道に訪問していた高知県下の廃校になった学校跡地の訪問がほぼ完了しました。

学校の廃校は一口で言えば「過疎化」が原因ではあるのですが、、もっと突き詰めて言うと「日本の食料自給率の低下による農村地帯の減少、津々浦々の漁村の衰退」が原因です。

また、文明の進歩により、今まで山を越えて人が移動していた時代から、道路を作り自動車に乗って移動する時代になったため、人の流れ、物流経路が完全に変わってしまった影響とも言えるでしょう。

学校の廃校は、もうその地域には子育て世代が積極的に住む理由を無くしてしまう事にもなり、その事が更に「過疎化」を促進し集落の無人化を誘う最大の理由となってはしまうのですが、現在のこの時代を築き上げた礎となった集落跡は、これまでの人々の歴史、知恵、勇気の痕跡であり、どんなに時代が進んでも「忘れてはいけない事、失ってはいけない事は、絶対に忘れてはいけないし、失ってしまってはいけない」と改めて感じたのでありました。

【学校跡地まとめ】↓   ↓   ↓   ↓   ↓
https://blogs.yahoo.co.jp/shgogoshgogo/35665559.html


大月町・芳ノ沢小学校



室戸・長者野小中学校


宿毛沖の島・弘瀬小学校中学校



芸西・宇留志の集落跡にある石灯篭


安芸・三軒家の集落跡



【今年は日本の主権回復66年目です】(終戦73年ではない)

2018-05-04 22:33:33 | 日記
また現在8月15日は何故だか「終戦の日」と勝手に呼ばれていますが、あれはマスコミが勝手にそう宣伝しているだけで、実は国内的には全く何の根拠にも基づかない捏造なのです。

《確かに昭和20年8月15日は玉音放送のあった日ですが、それは昭和20年7月26日の連合国側のポツダム宣言を受諾する事を日本が国家の意思として正式に決定した8月14日の「終戦の勅書」の内容を国民に報告した日です。
また日清戦争が「下関講和条約、日露戦争が「ポーツマス条約」で終結したように、大東亜戦争は、その後の9月2日の戦艦ミズーリ上で結ばれた「休戦協定」を経て、1951年9月8日、世界49ヶ国が参加するサンフランシスコ講和条約をもって終結し、翌年昭和27年(1952年94月28日の講和条約批准をもって日本の主権が回復します。》

勝手に、戦争を止めます!と国内で決めただけで戦争は終わるものではありません。

戦争は「外交」です。

そのために国際条約があり、国家に軍隊があり、国家予算に軍事費が存在します。
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(内閣府ホームページより)

それどころか8月15日は「全国戦没者追悼式」の日であり、マスコミの言う「終戦の日」というのは彼らの、妄想、勝手な思い込み、意図的な捏造以外の何物でもありません。

・政府広告オンラインhttps://www.gov-online.go.jp/pr/media/paper/tsukidashi/1398.html

全国戦没者追悼式が最初に行われたのは昭和27年(1952年)5月2日の新宿御苑です。これは同年4月28日にサンフランシスコ講和会議発効により、日本の主権が回復する事に際した4月8日の閣議決定によるものです。

第二回は昭和34年(1959年)3月28日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑。

第三回が昭和38年(1963年)8月15日、日比谷公会堂で開催され、以降8月15日に開催されるようになります。

昭和39年には靖国神社で行われ、昭和40年には日本武道館で開催され、以降8月15日にこの会場で行わるようになります。

その後、昭和57年(1982年)4月13日、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と閣議決定します。

(つまり8月15日を「終戦の日」というのはマスコミが勝手に言っているだけで、何の根拠もない捏造です)

そして平成25年3月12日の閣議で、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復した4月28日を「主権回復の日」として政府主催の記念式典を開く事を決定しました。


●主権回復・国際社会復帰を記念する式典(全編)(政府インターネットテレビ)
https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg7853.html

●平成25年4月28日 主権回復・国際社会復帰を記念する式典
https://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0428shikiten.html

●4月28日"主権回復の日"式典へ 両陛下出席も(13/03/12) (ニュース)
https://www.youtube.com/watch?v=AD3X28GoZXc



また何故マスコミが8月15日を「終戦の日」と呼び、その日を基準に終戦〇〇年と宣伝するかというと、その後の昭和20年9月2日に休戦協定が結ばれた後、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効までのGHQ占領政策期間にあった、沢山の色々な事から日本人の意識を逸らしたいからです。





公職追放令で日本の要職が占領政策に都合の良い日本人に入れ替わった事、占領政策自体に日本人が日本人を裏切って加担していた事、そしてマスコミもそれに協力していた事。

8月15日に世界征服を企む日本の悪い戦争が終わり自由と平和を愛するアメリカのおかげで日本は新しい国造りに向けて復興を始めた!!!という事にしておかないと、GHQ占領期間中から日本人でありながらGHQの占領政策に加担し、GHQが去り日本が主権を回復した1952年4月28日以降も、占領政策に加担する事で与えられた、地位、特権、立場に居座り続けている「敗戦利得者」である事がバレるからです。

だから自分達の都合で自分達で勝手に決めた何の根拠もない「終戦の日」を全力で宣伝し、世界49ヶ国が参加したサンフランシスコ講和条約が発効し日本は再び主権を回復した4月28日の事は全く報道しないのです。

閣議決定した事を報道せず、自分達で勝手に決めた「終戦の日」を必死で宣伝しているのだから、よっぽど都合が悪いのでしょう。

「日本国憲法」はアメリカの制定した憲法

2018-05-03 20:06:58 | 日記
5月3日は「憲法記念日」で、とりあえず旗日ではあるのですが、真実を知るととても国旗を揚げる気にはなれません。

何故ならこの憲法はGHQ占領政策期間にアメリカが作り制定された憲法だからです。




しかもその前文には現代の独立国家としてはあり得ない内容が書かれています。



・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した。・・・・・・


て、もしかしてその「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・・」て中国、韓国、北朝鮮の事でしょうか!!


また戦争とは「宣戦布告」で始まり「講和条約」で終結するものです。

5月3日は「憲法記念日」ですが、現在の「日本国憲法」は「講和条約締結」5年4カ月前に、アメリカによって作られ制定されたものです。





これは日清・日露戦争で言えば、日本が休戦協定後、両国に清国憲法、ロシア憲法を押し付けて講和条約を結び、その後の両国がその憲法を使い続けていると同じ事です。

GHQ占領期間は6年8カ月と長いもので、その期間の憲法というのであれば理解も出来るのですが、昭和27年4月28日の「講和条約批准」により、日本は完全に独立を果たした訳ですから、日本人による日本人の憲法を作るべきです。

そうしないと、アメリカが去った後も日本人の手で「GHQ占領政策」が現在も継続されていると同じ事になります。

また「GHQ占領政策」とは言っても、それは完全にアメリカ人自身の手で完遂出来るものではありませんでした。

歴史も言葉も文化も風習も、ましてや国家の意思として、お互いに国運を賭けて戦争をしていた民族同士です。

戦争をしてしまう程、当時の世界情勢の中でお互いの主義、主張が対立していた訳ですから当然の話です。

ですから戦闘の結果としての占領政策であったとしても、その目的を速やかに達成するためには、英語が堪能で日本の歴史、文化、風習を充分に理解した高い教育を受けた日本人の協力者が必要でした。

またそうしないと占領政策が上手く機能する訳がありませんし、更に「ポツダム宣言」で日本人の言論の自由は保障されていましたので、占領政策といえど、その後の日本の動向は、あくまでも日本人の意思によるものであると、日本人に思わさなくてはいけませんし、また逆にいくらGHQ占領政策であるとはいえ、日本人の言論の自由を無視してGHQが占領政策を進めているとアメリカ国内に知れる同じ様に都合が悪いという2面の問題を抱えていました。

ですので、日本の事を何も解っていないアメリカ人が単独で占領政策を進めると、日本の事を何も解っていないアメリカ人が日本の事を言っていると日本人にばれるので、GHQ占領政策に加担、協力する形で、英語が堪能で高い教育を受けた日本人の協力が必要でした。

そしてその日本人は、多くの日本人が焼け野原で生活している中、日本人を裏切る事によってGHQより高い生活の安定を与えられ、日本人を裏切ってGHQの占領政策に加担し続け、なんと講和条約が結ばれた後も、そして現在もその地位、権力、特権の場に居座り続けています。

(その数6000人程と言われていますが、誰一人としてその事を自ら口にする人はいないようです。)

それを「敗戦利得者」と呼びます。