皇紀二千七百年党 代表 廣田晋一郎

皇紀二千七百年記念式典をやりませう。
そして国家百年の礎を築く皇紀二千八百年党へ。

「支那事変記念」の碑

2017-03-06 11:38:47 | 日記

高知県宿毛市にある「支那事変記念」の碑。

戦後、蒋介石が「日本」
「日」の「本」、これはとっても良い字なのに

「支那」
「支」・・枝分かれする、別れてばらばらになる、、等
「那」・・なんぞ、なに、どの、、、等




これは侮蔑だという事で、GHQの指導により日本は「支那事変」と呼んでいたその出来事を「中華民国」の「華」をとって「日華事変」と呼ぶ事に変更しました。

時系列的に見ると現在の日本の教科書では、その「支那事変」「日華事変」の事を「日中戦争」と呼んだり、満州事変にまで遡り「15年戦争」と呼んだりしているようで、教科書を検定する文部科学省の立場としては『戦争とは「宣戦布告」により始まり「講和」をもって終結するものだから本来であれば、それは「戦争」とは呼べないものである』と考えています。

ただそれでも「教科書という限られたページ数、文字数の中での表記になるため、ある程度表現の内容には幅を持たせている」、だから「日中戦争」という表現でも検定に合格を与えている、との事です。

おいおいそれじゃあ、「支那事変」も「日中戦争」も同じ4文字だから「支那事変」「日華事変」に統一すりゃいいじゃん、大体「事変」と「戦争」一緒にすんなよ!!!
というところなのですが、あちら様にもいろいろと御事情、御都合があるみたいでして

しっかりしろよ文部科学省、一体あなた方は何処の国の文部科学省なのだ!!と言いたいところですが、これはその事に気付かない、そして無関心な日本人全体の問題、責任でもあります。

「支那事変」という歴史の真実の上に、これからの日本の歴史を刻んでいくのか、、

それとも「日中戦争」という架空のファンタジーの上に、この先の日本の歴史を上書きしていくのか、、

どちらが正しい事なのか、普通に考えれば分かる話です!!


全景


戦没者の名前が刻まれている


明治100年を記念した石碑


場所は松田川小学校の少し南、和田小学校跡の少し北。
現在の小学校と昔の小学校のほぼ真ん中にあります。