横浜焼売(シウマイ)物語2023

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

一年長いか短いか、みなとみらいの夜景は語る。

2011-12-27 | 日常茶話
2010年10月、


2010年11月、APEC2010。明るいのは警備車輛のライト


2010年12月28日、


2011年3月28日 東日本大震災から17日目


2011年4月22日 


2011年9月13日 観覧車のイルミネーションが復活


2011年10月17日 ビル名称もライトアップ

消費電力の少ないグリーンライトにチェンジされました。

2011年12月26日




今年も間もなく終わります。
みなさんの1年はいかがでしたか。

良いお年を迎えてください。







MY HOME ギジェ・グラフィティ2011#2、12月25日はクリスマス!!

2011-12-24 | ギジェ2011



前回の話は こちら

念のために確認するけど、クリスマスってサンタクロース記念日だなんて思ってる人いないよね。

ところで,ギジェやダミドっちの誕生日とか,星座とかって誰か知ってますか?キャラクター設定に誕生日やら,血液型とかつけ出したのはいつくらいからだったっけ。



Merry christmas!!
Wish you and yourfamilies be filled with happy and joy.


河北新報の一番長い日

2011-12-20 | BOOKS & DISCS


今から約5ヶ月前、横浜駅東口の地下の小さなイベントスペースで、ある写真展が開かれました。



恥ずかしい話ですが、『河北新報』という地方新聞社の名前を知ったのは、この震災の直後です。震災の翌日に朝刊を発行、一部は無料で配布したというニュースきいた時、全身鳥肌が立ちました。
何故,そんなことができたのか。

新聞協定(緊急時の新聞発行相互協定)という耳慣れない言葉も、ここで知りました。
これがなければ、創刊以来1日も欠かす事なく発行し続れた『河北新報』は震災当日と翌日休刊を余儀なくされたでしょう。

未曾有の災害だから、と、言い訳も立派に立ったはずです。
しかし、それを許さなかった、許せなかった人たちが確かにそこにいたのです。
ですが彼らもまた被災者でした。
当時の現場の葛藤、混乱はこの3ヶ月後、一冊の本にまとめらました。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
河北新報社 単行本: 272ページ
文藝春秋


この本の最後で、河北新報社は問いかけています。
地元紙とは、報道とは何か?




このイベントの写真パネルとは別のコーナーにひっそりと百科事典ほどの厚さの冊子が置かれていました。
河北新報が震災直後から一ヶ月の間に発行した朝刊と夕刊の縮刷です。
ずしりとした表紙を開くと、次々に記事が飛び込んできます。
写真というより、その当時の緊迫した息づかいのようなものが、紙面からダイレクトに伝わってきました。
重い重い冊子でした。

年末です。
挨拶の最後に「良いお年を!」ときかれるようになりました。
今年は間もなく終わりますが、今春の震災が起こした現象までが終わるわけではありません。
忘れようとするのではなく、なんとか後世に伝えようとする動きに、希望を託したいと思っています。


合わせて再読。

三陸海岸大津波 (文春文庫)
吉村昭 文庫: 191ページ
文藝春秋


奇しくもこの二冊、どちらも文芸春秋社発行でした!!



ランドマークのクリスマス、今年はチョッパー、ワンピース

2011-12-06 | 日常茶話
ランドマークプラザのクリスマスツリーが地元の風物詩になったのはいつからなんだろう。
残っているデータを捜したら2008年から出てきました。

2007年に初めてスワロフスキーツリーが登場。話題になりました。

2008年 ランドマーク15周年

2009年 赤と緑のAUTHENTIC TREE

2010年 APEC2010の年。シンギングツリー(スワロフスキーツリーは2007年に続いて2度目)

そして…2011年は

ワンピースコラボ、チョッパーの冬島の桜ツリー

ドクターの部屋もあるよ。

噂には聞いていたのだけれど、ランドマークとしては破格?全館揚げてのコラボレーション。











今年はほんとうに世界中が揺れた。
未来を信じない人が増えたような気もする。
救急車輛のサイレンを聞かない日はないし、
暗い嫌なニュースも多いけれど、生きている以上、やっぱり人生を投げたらイカンのよ。




ねえ!

MY HOME ギジェ・グラフィティ#28、もはや4コマではない‥

2011-12-01 | こんなの描いてた


これだけみたら、なんのことやらわからん。

4コマを始めたのは、コマ割りが楽だったから…というのは半分本当です。だって、わかり易いでしょ。進行方向は縦に一方通行だし、大きく書きたければ2コマ3コマをぶち抜けばすむんだもの。この回は明らかに4コマではありません。斜めにきってあるあたり、ちょっと漫画っぽく意識した?訳ではなく、時間の同時進行を何とか表現したかったんですよ。

話を進めるというより、四角の構図の中にどうやって絵を描き込むか,と、いうほうに、意識がいっていたように思います。
だから私のは4コマ漫画ではなく、コンテ漫画だったんですねー。(そんなんありですか?!)
というわけで、こちらをクリックしてから、もう一度ごらんください。

ところで四角の中に納めたい、という欲求が強い割には、いつもはみ出しております。特に「べた塗り」は当時から大の苦手。フォトショップのべた塗りすら、私には微笑んでくれないような気がしています。