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横浜焼売(シウマイ)物語2025

ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛落語らぶ晴れ時々ランニング、更新随時

MY HOMEギジェ・グラフィティ#4、本日ロックの日なのでギジェがコスしてるんじゃないぜ!ベィべ

2011-06-09 | こんなの描いてた



間抜けなほど間が開いたので、どうしようかと思いましたが、このままあるだけ少しずつアップします。

我が家もとうとう無線LANになりました。ばんざーい!
…と喜んでいたら、諸設定の変更はこのオールアバウト,説明書はあとからしか読まない主義の私めがするのだ!と、気がつきドタバタ。
途中でわけがわからなくなり、サポーセンターを呼び出してオペレーターのおねいさんを小1時間拘束。おかげさまでなんとか繋がりました。
しかし、KDDIのサポートセンターのおねいさん(おにいさんもいる)てすごい!神だよ。
(以前Macが氷結して沈黙したときのサポートセンターのおねいさんも神だとおもったけど、今回はそれ以上だった。)ごちゃごちゃの接続だけでなく、更にごちゃごちゃの私の脳内までしっかり整理してもらい、問題もスッキリ解決。感謝で、あります。







再録・MY HOMEギジェ…って大げさですが。

2011-03-08 | こんなの描いてた
先日の原稿の続きです。
なにぶん昔のアナログ原稿なので、ネームがところどころはがれていたり、糊が変色したりしているところがあって、少々修正しています。
ベタも上手く塗れない私が良く色を塗っていたなあ……。





残りはまた、今度。


そこで、My Home(マイホーム)ギジェのこと、など、少々。

2011-02-15 | こんなの描いてた
昔の話で申し訳ありません。
OUT編集部が解散する少し前に、当時編集部にいたLさんが、わたしの原稿をきちんと整理してそっくり送り返してくださいました。当時はわからなかったのですが、これってすごい手間と時間がかかることで、原稿そのものがもどってくることは稀なのだと、あとになって知りました。本当に編集部のみなさまには感謝します。
My Homeギジェというのは、当時描いていた漫画です。カテゴリーでいうと、アニパロ(アニメーションのパロディ)で、元ネタは、伝説巨神イデオンというアニメーション。
本編では全く家庭的ではないシェリルとこれまた家庭的とはいえない男のギジェを夫婦にして、ほのぼのとしたホームドラマにしちゃった、無謀なお話。最後は子どもまで生まれて楽しいフォルモッサ一家に…。

その中の一枚。貼り込みネームの接着剤が変色していたので、フォトショップで少々手直しをしました。今は本当に便利よねえ、こうした直しもチョコチョコっとできる。

着色に使ったのはカラーインク。一部にカラートーンを使用。ケントボードに肉筆ですな。

ところで当時の私の色塗りは、印刷で発色し難い色ばかり使ってくるというので、印刷屋さん泣かせだったらしいです。
カラー原稿を入稿するたびに、総編集長のTさんには「また『セツ色』だぁ』と、言われてました。ほほほのほ。


教育奨励隊ショーレンジャー

2010-12-07 | こんなの描いてた

子どもの通っていた小学校は横浜市でも旧い公立校です。この学校には保護者(近年は父兄、父母とはいわない)の組織が2つ並立していました。
それが「PTA」と「教育奨励会」です。このうんちくは長くなるので興味のある方だけどうぞ。反転してます。

PTA(parents & teachers association)は,第二次大戦後、日本の民主化を掲げた当時の文部省と戦後の日本を統治していたGHQによって日本全国の公立校に組織されたものです。文字通り、保護者と教師の会合組織。ドラマなどで、眼鏡をかけてスーツを着た『子どもの教育に良くない』が口癖のエラそうな集団として描かれる、あのPTAです。ほとんどの公立校では、子どもが入学すると毎月給食費と一緒にPTA会費も一口単位でおさめる仕組みになっている、あのPTAです。参加は在校生の保護者と教職員に限られます。

「教育奨励会」は、PTAが組織されるはるか以前、明治新政府が公立の小学校中学校(高等中学校)を開設したころにそれぞれの地区で組織された制度です。もともと日本には成績優秀な子どもをその地域のみんなで応援しようという気風がありました。戦後、PTAが組織されると同時に、各地の奨励会は自然消滅あるいはその役割をPTAに吸収され、横浜市内でも「教育奨励会」が残っている学校は2,3校だとききました。今は当時より少子化や、学校の統合廃止でもっと少なくなっているかもしれません。参加は原則在校生の保護者ですが、教職員や卒業生の保護者、近隣町内の役員、住人もオブザーバーとして参加することができます。




縁があって、子どもの在校中に双方に関わる機会がありました。その時,奨励会から、これまでの会計報告だけでなく、奨励会の役割についてできるだけわかり易く(子どもが読んでも理解できるよう)開示告知したいと持ちかけられ、描いたのがこの『教育奨励隊ショーレンジャー』でした。
第1話では、PTAともっとも違う予算の使い道について紹介しています。
ざっくりいえば、直接子どものために使える予算を持っているのが奨励会。保護者と教職員の協力活動に対しての予算を持っているのがPTAです。(PTAの会費というのは,子どものためにつかわらるわけではありません。子どものための活動をする保護者と教職員にた対して、つかわれます。)
どちらも会費制、ただし,任意。納めないという選択肢もあり、です。学校によってちがうかもしれません。

ちなみにタイトルロゴは今手元にないのですでご紹介できませんが、同じく在校生のパパのグラフィックデザイナ-さん(ウクレレ弾いてるキャラのモデル)がカッチョイイのを作りました。この時、なぜかお酒とおつまみのある部屋で当時の奨励会のメンバーと合宿みたいにして入稿した記憶があります。彼らとはいまも、ちょこちょこ遊んでもらってます。威張ったところもなければ、閉鎖的でもなく、『子どもの教育に良くないから規制しよう,禁止しよう』などといわない・いえない・いわせない?

漫画は裏面。表は開会報告や活動レポートなど。(カラー紙に墨版一色。今回はブログ用にチョコっと着色)保護者には子どもたちを通じてお手紙として配布しました。
ショーレンレッドは当時の会長。あまりにそっくりで、このプリントを配った教室で『あ!これ○○ちゃんのパパだ!』と声が上がったらしいです。うふふふ…。
学級崩壊も、某未成年何とか法案もなく、平和な時代でありました。(ほんの数年前だけどさ)



旧・横浜焼売物語2

2010-10-26 | こんなの描いてた
*旧・横浜焼売物語


=余談=
嘉永5年(1852)にペリーが浦賀沖に来航。彼らは幕府に開港を要求し、安政5年(1858)、横浜で日米修好通商条約が結ばれます。
その後、徳川15代将軍慶喜が大政奉還をして、年号が明治となるまで10年。この間、日本人による外国人殺傷事件は歴史に残っているだけで10件。しかし、急進的攘夷派による外国人暗殺事件というより、双方が互いの風俗習慣、文化を理解していれば避けられたであろう事件が意外に多いといいます。
事件の大半は被害者の国から要求されるがままに多額の賠償金を支払わされることになったり、主犯を切腹させたりという形で処理されました。処刑を見届けるように要求され(あるいは、先方から要求して)立ち会ったもののあまりの悲惨さに途中退座をした外国公使もいたようです。この時の様子は通訳によって母国に配信されました。『harakiri』『seppuku』という言葉が欧米広く紹介されたのも、この頃だそうです。