横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

旧・横浜焼売物語2

2010-10-26 | こんなの描いてた
*旧・横浜焼売物語


=余談=
嘉永5年(1852)にペリーが浦賀沖に来航。彼らは幕府に開港を要求し、安政5年(1858)、横浜で日米修好通商条約が結ばれます。
その後、徳川15代将軍慶喜が大政奉還をして、年号が明治となるまで10年。この間、日本人による外国人殺傷事件は歴史に残っているだけで10件。しかし、急進的攘夷派による外国人暗殺事件というより、双方が互いの風俗習慣、文化を理解していれば避けられたであろう事件が意外に多いといいます。
事件の大半は被害者の国から要求されるがままに多額の賠償金を支払わされることになったり、主犯を切腹させたりという形で処理されました。処刑を見届けるように要求され(あるいは、先方から要求して)立ち会ったもののあまりの悲惨さに途中退座をした外国公使もいたようです。この時の様子は通訳によって母国に配信されました。『harakiri』『seppuku』という言葉が欧米広く紹介されたのも、この頃だそうです。

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