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横浜焼売(シウマイ)物語2025

ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛落語らぶ晴れ時々ランニング、更新随時

遅夏休みin長野・了(真田邸編)

2016-11-11 | 旅行、おでかけ
遅夏休みin長野・後、はこちら

真田宝物館では近隣の真田邸文武学校の3館共通券で入場できます。



真田邸、と言っても信之さんの時代から遡り9代藩主幸教が、お母さんのために作った館です。
ここで気がついた方もおられるでしょうが、この頃になると、藩主の名前にも『幸』の字が復活。
江戸末期になると、幕藩体制もだいぶ緩やかになってきたようです。
あれほど厳しかった参勤交代制度もその例に漏れず、
大名の妻子は終生江戸詰という決まりも、年に三ヶ月は国許に戻っても良いことに。
真田邸は、それに合わせて建設され昭和40年代まで真田家の私邸として使われていました。
その後家伝の宝物とともに長野市に寄贈。
修復と改修を経て一般に公開されています。
江戸末期の武家屋敷の造りを知ることができ、実際に大河でもロケ地として使用されたそうです。

当主居室。

書斎。元は9代藩主のお母さんのための部屋だったそうです。壁と天井の意匠が素晴らしいです。



寝室、展示上の演出とはいえ、日本の寝具は出しっ放しではありませんが、そのての説明がなく、おそらく多くの外国人観光客は一時誤った知識をインプットされる可能性あり。

厠(主人専用)。


ともかくまあ広いこと!!





戸袋もこの大きさ!!

お庭も広い!


写真がたくさんあるので、最終回は3回に分けます。次回は
遅夏休みin長野・了(文武学校と象山神社編)

前回の話はこちら

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<お知らせ>
年賀状にも使えます。

遅夏休みin長野・後

2016-11-07 | 旅行、おでかけ
遅夏休みin長野・中はこちら

夢のような一夜が明けました。

朝からあいにくの空模様だったので、初め美術館へ行こうかとどうしようか…
迷いながら朝ごはんを食べていると、そこへ突然何かが降ってきました。

そうだ!真田丸に行こう!!!…いや、松代に行こう!!!


松代は長野駅からバスで約30分。
今をときめく真田一族の里、お兄ちゃんの信之さんが治めた城下町です。

バスから見ると、山の雲がどんどん晴れていきました。


目的地の松代は旧松代駅舎の前。
松代には長野電鉄松代線が走っていましたが、2012(平成24)年に廃線。
駅舎だけ当時のまま保存されて、観光案内所になっています。



この駅の背後に松代城(跡),

つまり町は城を要に放射状に広がる形態をとっています。

今、町をあげて、大河ドラマの公開に合わせ真田大博覧会を開催中。こんなところににも真田六文銭が!

まずは、真田宝物館へ。

実は同じく長野県上田市にも真田家のお宝が公開展示されていますが、それはこの松代城に残されたもののレプリカだそうです。
松代には真田幸村(信繁)が大坂夏の陣の最中、ふたりと仲の良かった姉、村松殿に残した書簡も多数残っていて当時の様子を垣間見ることができます。
図らずも敵味方に分かれた信之は、実際には一度も弟と刃を交えることなく、体調不良を理由に不参戦。
(晩年は病気がちだったと伝わっていますが、本音を言えば、心底戦うのが嫌だった!と推察します。)
徳川の命で(しぶしぶ)代理に出陣させた息子も叔父である幸村の軍と相対することなく無事帰還。
信之は息子に随行した古参の武将たち一人一人に労いの手紙を送っています。
その後信之はよく領地を治め、家督を息子に譲り一時引退。
ところがその息子が数年で病死して再び政治の舞台に呼び戻されます。
2歳の孫を真田の次代当主と認めてもらうために奔走し(幕府の許可が必要)、
孫の当主襲名許可を見届けて93歳の長寿を全うしました。
この人は12代当主の幸治さん。

宝物館開設の立役者。真田家所蔵の大名道具を松代町に寄贈しました。

真田家は現在も家系が途絶えることなく続いていて、16代当主はなんと横浜で大学の先生をしています。

小さな地方の豪族だった真田家が激動の乱世を生き残り、江戸、明治大正昭和平成と続くとは当時誰も考えもしなかったでしょう。
一族が内輪で揉めたり身内同士で裏切ったりと、殺伐としていたと考えられる戦国時代にあってなおこの結束力は秀逸。

実は本当に仲が良かったからこそ、兄弟が西と東に別れることができた、のかもしれません。

次回は最終回「遅夏休みin長野・了」
横浜に縁がある場所にも行きました。

遅夏休みin長野・中はこちら
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<お知らせ>
年賀状にも使えます。

飛騨のもてなしの粋を見た!<中部北陸旅行file.4>

2016-06-24 | 旅行、おでかけ
富山県から南に下り、岐阜に。

木曽路は全て山の中にある、と読まれた飛騨高山に到着。

この日の食事は伝統茶席、宗和流のコースをいただきました。

料亭「州さき」は岐阜県最古の料亭です。創業1794(寛政6)年。


吹き抜けの天井を見上げると、大きな鯉のぼり。

土間の横に設えられた上り框には季節の飾り。



鰻の寝床のような土間の先に客室があります。
長い廊下の途中にも5月のお節句飾り。


この地方では、節句の祝いは一月遅れで丸一ヶ月続くそうです。

通された部屋は和室のテーブル席。
事前に母の膝が悪いことを伝えてあったのですが、これは嬉しかった!


正式な食事は「宗和流本膳」として10数時間かけて30種類の膳が供されるとのこと。
今も、宗和流の本膳はこの地で同様に冠婚葬祭時に提供されています。
さすがに今回は時間の限られた旅行中のこと、
いただいたのは「本膳崩し」と呼ばれる略式コース。

お品書き





これは生盛膾(なます)です。

全部混ぜてお召し上がり下さいとのことで


小平は五月の盛り付け

お膳はまるで誰かがすぐ近くで見ているかのように絶妙のタイミングで供されます。

紙敷も五月の節句バージョン。


お肉ではありません。湊楊(みなとあげ)という豆腐を使った精進揚です。お魚の照り焼きに見立てています。


丼、器のふたを開けると、菖蒲。







味も盛り付けも素晴らしいのですが、器もまた素敵です。

飛騨高山は木曾路、中山道の宿場。関東と関西の中間にあって、交通の要所。
豊富な木材資源を生かした木材産業と木材加工の匠の技で全国を席巻しました。

かつてこの地を治めていたのが、高山藩金森家。
藩主は初代二代を通じて京都で千利休に師事した茶武人でした。
その縁で、京で千利休が自刃した際に利休の長男を城下に匿います。
そこで京千家の流れをくむ宗和流作法を確立したとされています。

京都と江戸の中間地点に位置する飛騨高山で東西の風習をほど良くブレンドさせつつ、
雪深い山あいの地での限られた食材を生かし、訪問者をもてなすことを旨とする宗和流は、
やがて現代に伝わる食事の作法、食卓の原型として日本中に広がります。
戦前(第二次世界大戦前)の日本の家庭での食事作法もここに始まったと言われているそうです。

料亭「洲さき」は、今は途絶えた宗和流本家の作法と茶懐石を200年以上の間守り続けてきたのでした。
(金沢には加賀藩に伝わった加賀宗和流が現在も残っています。)

他の部屋にもお客様がいるらしく、時折賑やかな歓声が漏れてきます。
しかしその音は木造の広い家屋の中で吸収され、柔らかな音質に変わっていてほとんど気になりません。
BGMなどの人工音は一切ないので、供される料理に五感を集中できます。
気がつけばあっという間に2時間が経っていました。
堪能。
ごちそうさまでした。

「洲さき」ホームページ http://www.ryoutei-susaki.com/shop_info/shop_info.html

世界遺産の里を見た!<中部北陸旅行file.3>は、こちら
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世界遺産の里を見た!<中部北陸旅行file.3>

2016-06-21 | 旅行、おでかけ
金沢から富山に向かいます。



桜も終わり、山は山頭火の俳句にも出てきそうな緑の洪水。
どこまでも深い山中にぽっかりとその里がありました。


世界遺産の五箇山・菅沼集落

なんと美しい!!


合掌作りの集落で世界遺産として登録されているのは
白川郷、相倉、そして菅沼の三集落。
中でも菅沼集落はもっとも山奥にあって、秘境と言われています。


冬はすっぽりと雪に埋もれてしまい、その独特のたたずまいが多くの観光客を惹きつけているそうです。
とはいえ、春も冬もともかく合掌作りを実際に目にするのは初めて。
この緑の季節の小さな村ほど美しいところはないのではないかと思うくらいでした。


水の音、鳥の声、カエルの鳴き声、水面を跳ねるアメンボの輪。

現在八世帯が実際に生活をしていると聞いてまたびっくり。
<お土産やさんのディスプレー>

これから観光シーズンはピークになるそうですが、自分の生活圏を観光客がカメラ片手に歩き回るってどんな気分なんでしょう。

それでも住民の方たちはあくまでおっとりと優しかったのが印象的でした。

実際に車両はここで暮らす八世帯のもの以外は、集落の上の駐車場までしか入れません。
観光客はエレベーターか徒歩で山中を下って行きます。

エレベーターの到着階は、その名もずばり『遺産駅』


エレベーターは楽ですが、お天気さえ許せばちょっと遠回りでも徒歩がオススメ。
木々の香りに包まれて、

日本昔話の世界へようこそ。


*百万石の知恵を見た!<中部北陸旅行file.2>は、こちら


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百万石の知恵を見た!<中部北陸旅行file.2>

2016-06-19 | 旅行、おでかけ


金沢駅から繁華街香林坊に向かう途中に、不思議な建物を見つけたので早朝再び出かけました。

尾山神社

神門の上にはステンドグラスといういわゆる神社らしくない佇まい。
ちょっと昔の海外の人が描く日本の風景のよう。
長崎の出島あたりにならあってもおかしくないようなデザインです。


神社というのは元来が天照大御神を筆頭に八百万の神様を祀りする社ですが、こちらの主祭神は

加賀藩主、前田利家公。<袋を背負っているのではありません、戦場を駆け抜けるときに敵の矢の狙いを外すための母衣(ほろ)です。>

神社のあちこちに加賀藩の紋が施されています。






本殿は和風。そして天照大御神の神殿と異なるのは太陽の昇る東を背に建てられているところ。でしょうか。


神様ではなく藩主をお祀りする神社建立がブームになったのは、幕末から明治時代。
元来徳川幕府の手前、藩主を公然と公然とお祭りすることは憚られていました。
加賀の前田家も、当初は金沢城の東南東(卯辰)に八幡神をお招きし、宇田津神社を建立。そこに故藩主利家公を合祀という形で祀っていたのです。

ところが、幕末になると藩御財政も困窮し、神社の維持管理もままならず、荒廃。

危機感を募らせた旧藩臣が集まり、明治政府に改めて神社の移築を申請して許可され、藩主神像を遷座、尾山神社として創建。現代に至ります。

ステンドグラスの神門は明治の棟梁、津田吉之助の作。
最上階のステンドグラスは当初灯台の役割も担っていたということ。
神社の門としては奇抜なデザインは、創建当時から「悪趣味vs.斬新」と物議を醸し出したそうです。
実はこれも計算済みで、幕末以来減少し続けた神社の参拝客を増やすための話題つくり、という説もあるそう。

さすが、加賀百万石の知恵?

当該の神門は昭和10年国の重要文化財に指定され、明治より続く物議はこれをもって収束いたしております。


尾山神社公式ホームページ http://www.oyama-jinja.or.jp

*百万石の庭を見た!<中部北陸旅行file.1>は、こちら
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百万石の庭を見た!<中部北陸旅行file.1>

2016-06-13 | 旅行、おでかけ
先月末、北陸新幹線(長野経由)でお出かけしてきました。
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初夏の兼六園です。
兼六園のシンボル「微軫(ことじ)灯篭」


加賀百万石の前田家が長い年月をかけて作り上げた廻遊式日本庭園です。




廻遊式庭園とは字のごとく、実際に園内の様々なしつらえに立ち寄りながら庭全体を堪能することができる庭のこと。
<その反対が、座観式。座って見る、つまりお寺や御殿の中から眺めて楽しむ庭園です。>

今回はその半分を1時間ほどかけて回りました、

なるでシナリオでもあるかのように、鷺がどこからともなくやってきて、悠々と目の前を歩いていきました。るんるん♪


「唐崎松」冬は枝が雪の重みで折れないように、雪吊りを施します。


「霞が池」は園の中心にあります。その広さはなんと5,800㎡!(アメフトの競技場面積よりちょっと大きいくらい)





かつて金沢大学のキャンパスがこの敷地内にあったとか。(1949~79年)

こういう広い庭園は、季節の変わり目になると、
枯れた枝や葉が見えないところで落ち放題だったりしていることがあります。
が、
こうして歩いている間もそこここで作業員が下草を刈っていたり水面のゴミを救っていたり。
隙なく手入れが行き届いていています。気持ち良い!!
さらにその姿が風景に溶け込んでいて違和感もありません。

余談ですが、
兼六園は日本で唯一、入園料だけで年間維持管理費を賄っている会計的にも優等生の日本庭園、
だそうです。さすが、加賀藩(謎)

しかし、北陸新幹線はすごい経済効果をもたらしているようです。
この日も平日でしたが、観光客、特に海外からのお客様が多いこと多いこと。
江戸の遺産で平成が潤っています。
平成の遺産で300年先の時代も潤いますように、などと考えながらも…


「根上松」
値上げに通じ、その価値が上がるということから、
株や金融業にみならず、金運、人運全般、人気運アップのご利益があるというパワースポットについ心奪われる庶民なのでした。
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群馬の薔薇

2015-11-25 | 旅行、おでかけ
敷島公園の中にあるバラ園は、昭和461(1971)年開園。
当初は薔薇の他にツツジや花菖蒲などが植えられていたそうです。

平成20(2008)年の緑化フェア会場に指定されたことを機にリニューアル。いまは前橋市だけでなく群馬県外からも観光客が訪れるバラの名所です。






フランス大統領のバラ。シャルル・ドゴール(20世紀フランスの18代大統領)

いわゆる、ブルーローズの代表種のひとつだそうです。

王妃のバラ、プリンセス・ドゥ・モナコ。




プリマドンナのバラ、マリア・カラス


スターのバラ。
オードリー・ヘプバーン

マリリン・モンロー


群馬のバラ『輝き』


オールドローズ、一重咲きのバラ





入場は無料。

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<お知らせ>


赤城神社とコイ伝説

2015-11-19 | 旅行、おでかけ
女の人の願いなら何でも叶えてくれるという赤城神社
関東の北,群馬県前橋市のカルデラ湖。大沼(おのこ)のほとりに鎮座しています。



カルデラ湖というのは噴火口の後にできた湖なので、この神社はけっこう標高が高いところにあるのです。



それもそのはず、御神体は赤城山。そして、全国各地に散らばる『赤城神社』の総本山だとか。

もとは、赤城山頂にまつられていた社。そこが長年の風雪で老朽化したため、1970年に大沼の湖畔に移築されました。

それがいつしか大沼に伝わる赤城姫伝説と重なって、
女の人の願いを何でもききとどけてくれる神様の社としても信仰をあつめています。
で、この伝説をざっくりいうと、

この地の国の守には美しい姉妹がいた。
ふたりの生母が突然の病で亡くなった。
新しい母が来て、やがてふたりの女の子が生まれた。
国の守が京都に単身赴任した。
継母は前妻の娘ふたりを殺してしまおうと計画。
姉が先に殺され、命からがら逃げた妹もこの湖のほとりで力つき入水。
赤城の神様が哀れんで、二人を大沼のヒゴイにした。
この大沼のコイを大切にするものは姫のご利益があり、
とって食べるものは逆に祟られるといわれている。

だからこの神社にお参りすると、二人の姫が女性の願いを後押ししてくれる⇒叶えてくれる。
となった、らしいです。

それはともかく


上州赤城は一足早く秋が通り過ぎて、お山の紅葉は冬枯れ木立。



かえって稜線の美しさが際立って、大沼(おのこ)とのコントラストがたいそう美しいこと!!


そして
コイの餌をまくと、

なぜかカモがやってきて

そのあと真っ黒い鯉の群れ。

湖の底から湧くようにやってきます。

餌がなくなったころ

ゆるりと上がってきたのがこの白い鯉。

そして
そのあとを辿るように見事な錦鯉が。



なんとも不思議な光景でした。


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<お知らせ>



蔵。いま、ふたたびの奈良へ

2015-10-25 | 旅行、おでかけ
奈良へ行ったら必ず行くと決めているのが、蔵。

お店はこの商店街の中程です。


前回寄らせてもらった時に、お店のおにいさんから
「週末は混み合うから、おひとりでも予約いただく方が確実ですよ。」と教わっていたので、前日に予約して行きました。

これが本当に大正解。
わたしたちが到着してひといきついたとたん、次々と客が来店。
あっという間に満席になってしまいました。

カウンターについてすぐに頼んだのはこれ


と、これ。


お隣に相席になったご夫婦は、奈良が大好きで大阪から引っ越してきたそうで、蔵の常連さん。
ご夫婦おすすめの鳥の唐揚げ

同じく相席になった男子ふたりは奈良にIターンして地域活性化に奮闘している好漢でした。
彼らに
「なぜ、京都ではなく奈良なんでしょうか」と問われ、
奈良の魅力は、おヘソの奥にじんわり響くような懐かしさ、安心感ではないかと改めて考えさせられました。

彼らが頼んでいたもろきゅうが美味しそうでこれも追加。

話が弾み思いがけず楽しい宴になりました。

ありがとうございました。
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酒処 蔵
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<お知らせ2件>
1.自分キャラをつくろう!を始めました。ご依頼、お問い合わせは info@fourseason-2008.jp(@を半角変換してご使用ください)

*画像をクリックすると拡大されます。

2.馬車道祭り2015、に、今年も出ますよ愛媛ミカン売り。
清五郎農園の上野早稲。
関東には出回らない希少な早生みかんです。

10月31日(土)~11月3日(火・祝)
関内ホールの向かい側あたりのワゴンです。
愛媛みかんの赤いのぼりとトナ・カイ氏が目印です。
みなさん、遊びにきてくださーい♪

御開廟:いま、ふたたびの奈良へ

2015-10-23 | 旅行、おでかけ
10月17日は奈良興福寺の南円堂の御開廟でした。
                                                                             
いつもは閉じている南円堂の扉がすべて開き、仏師康慶(運慶の父)作の不空羂索観音様と四天王像を間近に拝観できるのです。

南円堂は興福寺境内の南西にあります。
二年前の3月に訪れた時は北西にある北円堂共々、まだ改修工事の最中。

そして二年ぶりの興福寺、南円堂。




水煙の美しいこと!




受付をすませて堂内へ
この風景は、南円堂の外廊に上がらなければ見ることはできません。


そして御簾の奥には観音様が…。


内部は撮影禁止です、
たおやかでおおらかな優しい観音様でした。
周囲を囲む四天王の美しいこと!!!
戒壇院のそれが男性的でいてユーモアもありどこかファンタジックなのに比べ
ずっと人間に近づいて臨場感に溢れています。
不覚にも、涙がでそうでした。

いま、ふたたびの奈良へ-興福寺 南円堂・北円堂 2013年4月


<お知らせ2件>
1.自分キャラをつくろう!を始めました。ご依頼、お問い合わせは info@fourseason-2008.jp(@を半角変換してご使用ください)

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2.馬車道祭り2015、に、今年も出ますよ愛媛ミカン売り。
清五郎農園の上野早稲。
関東には出回らない希少な早生みかんです。

10月31日(土)~11月3日(火・祝)
関内ホールの向かい側あたりのワゴンです。
愛媛みかんの赤いのぼりとトナ・カイ氏が目印です。
みなさん、遊びにきてくださーい♪