goo blog サービス終了のお知らせ 

横浜焼売(シウマイ)物語2025

ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛落語らぶ晴れ時々ランニング、更新随時

ビアズリー

2025-04-23 | 旅行、おでかけ
うん
まだ学生の頃ちょっと背伸びをして洋書コーナーの美術本のコーナーを覗くのが楽しかったな。
言葉はわからなくても絵はダイレクトに心の扉を叩く。
お小遣いを貯めて買ったのはビアズリーのイラスト集『アーサ王の死』でした。



それから半世紀(うっそー!!!)
お江戸でビアズリー展があるというので出掛けてみました。

会場は東京・丸の内にある三菱一号館



ビアズリーが活躍したのは19世紀末、日本は明治時代。徳川幕府の肝煎りでパリ万博へ参加したことでヨーロッパに日本ブームが起こっていた頃。
ビアズリーは学校を卒業後、事務員として働きながら独学で絵を描いていました。仲の良かった姉と共に当時の人気画家エドワード・バーン=ジョーンズの元にアポなし凸をするという思い切った行動に出ます。幸いこの老作家は、怒りもせず自宅に招き入れビズリーの才能を認め絵描きとして生計を立てることを勧めたそうです。この言葉に勇気を得て初めて美術学校に通うことになりました。
経済的な理由で学校は中途断念せざるを得なくなったのですが、ビアズリーは仕事が終わってから夜は蝋燭の灯りのもとで絵を描き続けました。時には書き上げた作品と引き換えに欲しい書籍を手に入れていたといいます。
彼が10代の頃からよく通っていたのが金融街の一角にあるフレデリック・エヴァンスの書店。写真家でもあった店主のエヴァンスはビアズリーの才能を見抜き、出版業者のデントに紹介します。挿絵画家を探していたデントは、ビアズリーの作品を見て仕事を依頼。その結果出来上がったのが、冒頭に書いた『アーサー王の死』。350点以上の挿画を書き上げました。
納期日が決められていてクライアントの注文に忠実に応じるという生活は、金銭的な余裕をもたらしましたが、ビアズリーにとっては精神的にも肉体的にも厳しいものだったらしく、
デントはこの仕事以外でビアズリーにより自由な制作の場を設けるなどしてサポートしたといいます。ビアズリーは、デビュー当初良い大人に恵まれていたんですね。
ビアズリーのイメージは耽美と退廃ミステリアス
ちょっと皮肉っぽくて時に不気味
白黒の配分が実にスマート繊細な線と構図が今あっても違和感がありません。



原画は意外にも小さいのに驚きました。ハガキサイズのものから画用紙くらい。
雑誌の創刊にも関わっていて、面白いなと思ったのは、
タイトル多キャプションの入るところを空けて書いているところ。


これはこの部分だけ開けておけば表紙の使い回しができるし、文字情報を差し替えれば他の用途にも使えるというわけ。
ビアズリーは独特の考え方を持っていて、物語の挿絵一つでも自分の解釈をとり入れて意訳するところがあって、そのことで原作者の反感を買うこともあったそうです。
オスカー・ワイルドとは、英語版『サロメ』の挿絵をめぐって対立。

こちらはエドガー・アラン=ポーの代表作の挿画
『モルグ街の殺人』


『黒猫』

『アッシャー家の崩壊』

ストーリーをご存知の方はお気づきだと思いますが、作品の内容を斜め上から解釈したようなイラストです。これが作家エドガー・アラン=ポーのきげんを損ね、出版は見送られることになりました。
ビアズリーの絵は時に物議を醸したり反感を買ったりしていますが、それらの声と同じくらいビアズリーの作品を歓迎する声もあったのです。
ビアズリーが現役で活躍したのは20歳から25歳までのわずか5年間。
にもかかわらず彼の作品は現在のグラフックデザインやイラスト、コミックスとあらゆるところに影響を残しています。

撮影許可のあったところ以外初めて目にする作品も多く、その上同時代の生活雑貨や家具、同時代の作家の作品もたっぷり。じっくりみていたら2時間くらいかかってしまいました。
丸の内三菱一号館で。5月11日まで。


私の東京タワー

2025-04-09 | 旅行、おでかけ


なんか映画のタイトルみたいね。
先日東京タワーに行く機会がありました。
子供の頃に行って以来だからもうン十年ぶりぶり。
エントランスにびっくり
こんなに広くて明るかったっけ??

え?この子誰??


のっポンくん、お兄ちゃんの方(設定は双子だそうです)
今やどこも公式キャラがお出迎え。

エレベーターでメインデッキ一階へ。



メインデッキ一階の神社
こんなおおっぴらに解放されてるのが令和
ここは地上150Mです。東京タワーのほぼ真ん中あたりね。
窓ガラスも大きくてこの高さなら望遠鏡もいらない






足元もよく見えます。

さらにこの上にも行けるのですが
ツアーの時間の都合で大急ぎでメインデッキ一階をグルリ

あれ?あれ?そういえば、
私が初めて東京タワーにのぼった頃は、ここまでしか入れなかったような気がする。
妹が生まれる前?かあるいは生まれたばかり?この時は私と母だけ。
私は幼稚園に入ったか入らないかの頃です。
母とふたりでお出かけということで物凄くテンションが上がっていたのは確か。
そしてこの日エレベーターが故障したか混んでいたかで、係の人の誘導でこの階から階段で下の階まで降りたのですよ。
母と。
赤い鉄骨が交差していてまるで檻の中をぐるぐると一段一段降りていったのを憶えてます。反射で周りは赤く染まって見えました。
クレヨンしんちゃんの映画『モーレツオトナ帝国の逆襲』でしんちゃんが20世紀タワーを駆け登っていくシーンがありましたが、まさにそんな感じ。駆け下りはしませんでしたが、ゆっくりと降りて行きました。
はじめ怖くてぐずったのですが、母の手がしっかりと自分を繋いでくれて。
いつの間にか恐怖もなくなり、ひたすら階段を降りていったのでした。

…というわけで、私の東京タワーは母との手繋ぎ階段降り。

あ、今回はもちろん下りはエレベーターで地上に降りましたよ。

サンライズサンセット

2025-03-29 | 旅行、おでかけ

明治座にかかっていたミュージカル
『屋根の上のバイオリン弾き』を観る機会がありました。
かれこれ、半世紀前にブロードウェイで上演され、その後映画化されて『サンライズサンセット』という挿入歌が日本でも大ヒットしました。深夜放送ラジオのリクエストには必ずオンエアされたほど。
しかし、私は曲は知っていても実際に作品に触れる機会はありませんでした。

日本での舞台公演は1967年!!帝国劇場で。
以来57年もの長きにわたるロングランだそうです。主役は初演から19年務めた
故・森繁久彌さんから、故・西田敏行さん経て、2004年から市川正親さんが務めています。相方は、元タカラジェンヌ鳳蘭さん!

実は妹が、学生時代に演劇鑑賞という校外学習で一度この公演を見に来たことがあるらしいのです。その当時はまだ森繁久彌さんが主人公をで曲のテンポも歌詞も微妙に記憶と違っているとのこと。
おそらく時代に合わせて演出や言葉など変わっていったのだと思います。
で、肝心の内容はというと、当時の妹は途中居眠りをしたりでほとんど覚えていなくて……とニヤニヤ。
確かに内容はとても深くて重いものがあり、中高生にはちょっと難しい?かも。
けれど今はこの年齢になったからこそわかる部分もあり、同時に学生時代だったからこそ感動した部分もあったのは確か。
設定や演出はその時代によって変化します。普遍的なテーマを伝えるために上演されるたびに舞台も成長していくのでしょう。
(例えば主人公の一家が故郷を追われ旅立つ先ですが、この舞台ではアメリカ合衆国となっています。発表当初はイスラエルに帰還するという設定でした)
歌詞もタイトルも同じく。
初めて私が曲を聴いたときは『サンライズ・サンセット』と原文そのままでしたが、今回では『陽はのぼり.陽は沈む』と日本語訳になっていました。
初めて知った本編。
とても理不尽な理由で、本来ならごく当たり前に進むそれぞれの人生が、試練に満ちたものになる。ひとりひとりは皆善意の人なのに、向き合おうとすれば対立し、憎み合うことになる。何が正しいのか幸せなのか、誰にも答えは分からないままひと筋の希望を残して幕が降ります。4時間の長編でしたが、息つく間も無く見入っていました。プロジェクションマッピングを使わないでみせる舞台の作りもこのお話にはピッタリで、あの舞台の奥に別の世界が広がる面白さ。
この日もかつての妹たちのような学生さんのグループが観劇に参加していました。この学生たちが社会人になり大切な人ができ、人の親になりした時に、また見てもらいたい。今はなんだかよく分からなかったことも、興味を持ったことも心のどこかに留め置いてもらいたいなあ。
それにしても市川正親さんも鳳蘭さんも朗々たる歌声にしなやかな身のこなし。
いかに研鑽を積まれてきたかと頭が下がります。デュエットが圧巻で泣きそうになっちゃった。何度も何度もアンコールに答えてくださった出演者の皆さんが素敵でした。ありがとうございます。ロングランがる続くことも大事ですが、こうして名作に触れることが普通にできる世界であってほしいな、と思います。

ところで明治座の座席に

これ実は私も愛用してまして。あまりに座骨神経痛がひどくて、もういっそヘミングウェィのように立って描いたろうか!!!って考えていた時に勧められました。
マジ。神。です。
今回の観劇4時間もとても楽に過ごせました。明治座グッジョブ!

もろもろ
本日が明治座公演千秋楽だったので、カキコ。

トンネルを抜けるとそこは雪国 別冊:軽井沢ミッション

2025-03-27 | 旅行、おでかけ
トンネルシリーズの後日談
楽しい旅行の後一週間ほどして
私たちはなぜか再び軽井沢に向かっていました。
目的地は、ここさ!
ジャーン!!
軽井沢警察署〜

え?いよいよシャチョーさんがお縄に…なったではなく

実はあの白馬ツアーの初日、立ち寄ったレストランのパーキングで、某車にぶつけられていたんですよ、
ホイールが凹んで傷ついてしまい、ペンションに着いてから気がつきました。
ドライブレコーダーを確認したらしっかりと録画済み。
黙って立ち去られてしまったことがどうにもモヤモヤするので所轄署に相談。
レコーダーのデータと当該車両を持って?被害届を出すことに。
え?なぜおまえが一緒かって?
いやいやわたしだけではなく、もちろん妹もワンコも同行しましたよ。
だーーーって、シャチョーさん1人じゃ心細いでしょ?
付き添い♪付き添い♪

ところが、休みを取ったこの日は雪。
関東地方にも警報が出ていて高速道路が通行止めになるかも?というハードな天気。
しかし前進あるのみ、GO!GO!

あの日とは全く景色が違います。
カーラジオからは午後から高速の通行止め案内が。果たして今日中に帰って来られるか?って心配してもお腹は空きます。
件の事故現場のパーキングがあるレストランで休憩&ランチ❣️


前回はこんなでしたよ。


わんこ大喜び






ごはんも美味しい❣️





ここで重要情報が❗️
前回サービスしてくれたレストラン若いギャルソン(昭和のダジャレにやたら詳しい)が、私たちのこと覚えていました。
シャチョーさんが世間話などしつつ車の件を愚痴ったら、
『え?うちのパーキングでですか?!だったら車の出入りの確認をナンバープレートで管理してますよ。パーキングのカメラにデータは一ヵ月くらい保存してますから残っているはず』
といって、管理会社の連絡先を教えてくれたのです。
なんと心強い!
早速問い合わせると、
残っていました。
ただし、個人情報なので、警察から正式な依頼があれば、管理会社が所轄署と連携してくれるとのこと。

そんなわけで軽井沢警察署到着。
早々に
軽井沢署のマスコットみっけ!

こっちがカリスくんで
こっちがカリスちゃん

ここにもマスコット!
長野県警察のマスコットのライボくんだそうです。
なんかマスコットがいっぱいいる❣️

実況検分で車の現状写真を撮られて
シャチョーさんが調書作成のため会議室(取調室にもなるらしい)へ。
オマケの私と妹は別室で待機。
キョロキョロなんてしてませんよ。してませんとも!!
でもまたまたここでもご当地キャラ発見

この部屋は録音撮影禁止だったので画像はホームページからお借りしました。
新旧のキャラクターが一緒になってるカレンダー

リニューアルしたシンあさまマン

へー(いろいろ思う)
軽井沢は浅間山がアイコンなんだなあ。
なんて感慨に耽っている間に調書作成終了。被害届を提出して来ました。

天気予報を気にしながら、、まだ動いている高速を乗り継いで
横川経由で帰路に着きます。
ラジオからは道路通行止めの予報が。気温はどんどん下がっています。



おめあては横川名物の峠の釜飯
ここにはかつての急行あさま189系?車両を使った休憩所があります。
車両まで詳しくないのでリンク貼っておきます。
釜飯弁当を私たちが買おうと右往左往している間に
いつの間にか車内でひとり釜飯弁当を食べているシャチョーさんが…。
しゅ、瞬間移動?!!
お土産買うのにうろうろしていると、お店の人が
「今日は15時でサービスエリアが閉鎖になるから急いだほうがいいよ。』と教えてくてました。
わー、大雪警報発令中。
いよいよ首都高も止まりそうだとちょっと心配になってきます。
天気予報と道路交通情報とシャチョーさんのドライバー経験値をフル稼働。
時折ぱらつく雪の中を進みました。

幸いなことに、
首都圏に入ると、あそこもここも閉鎖というアナウンスとは裏腹に道路は流れています。雪は雨に変わっていました。
高速出口で混雑はあったものの、ほぼ順調に進み、本日中にキタック。

事故がなくてよかった!!
というわけで軽井沢ミッションは完了です。
シャチョーさんお疲れ様でした。ありがとうございます!
妹ちゃんシン空海くんお疲れ様でした。

めでたしめでたし。





トンネルを抜けるとそこは雪国 急:白川郷GO

2025-03-19 | 旅行、おでかけ

なんだかんだで無事に白川郷に到着しました。

駐車場から吊り橋を渡って
雪道を進みます。


8年前、まだ母が元気な頃訪ねた白川郷。その時は5月でした。

その同じ場所

こんな風景が
こんな感じ
初夏と早春では別世界。
白川郷の合掌造住宅がいつごろから建てられ始めたのかははっきりしませんが、江戸時代から明治にかけてほぼ現在の形が出来上がっていったと言われています。
独特の多層構造と屋根の傾斜は、豪雪地帯での暮らしに合理的なスタイルです。
雪下ろしだけでなく、狭い土地で稲作は難しくその代わりに発達した養蚕業や林業、家内制手工業の作業効率が考え抜かれていると評されています。

その修復維持にあたるのはその集落の全員。これは浄土真宗の教えに基づく『結(ゆい)』という共同体あればこそ。1995年に、この生活思想と建築学的に珍しい合掌造りの集落ということが認められて、ユネスコの世界遺産に登録されました。
その前年には国の重要建築物群保存保存地区に指定されて、本格的な保護保全
が始まっています。
その中の一つが『明善寺(みょうぜんじ)郷土館』です。


梯子段を上って屋根裏二階へ



農機具や機織り機、生活雑貨などが置かれています。
意外と天井が高くて、広い。火の気はないのにほんのり暖かくて、香ばしい匂いがしています。
さらに三階へ
がらんとしていますが、ここにはお蚕の棚があったようです。
障子を開けると
眼下に雪の村!
階段を戻り、一階奥の本堂へ
こちらでは実際にご住職が生活されているため、途中の襖や障子は開けることができません。
お参りして、最後に入ったのが
居間
先ほど屋根裏で香ったのは、この囲炉裏で燃えている薪でした!
囲炉裏の上は竹材が網状に組まれていて、煤が上の階まで運ばれ天井の梁や柱をコーティングして強度を保ってくれる仕組みだそうです。
近年は過疎化が進み、この囲炉裏を使う頻度も少なくなっているため、以前は藁葺きや名の吹き替えは4、50年に一度だったものが、2、30年周期に早まっているとのことでした。人でも資材も確保が難しい昨今。世界遺産を維持するためにみなさんが苦労工夫をされています。

ところでシン空海くんは?と気にされている方いらっしゃいますか?
まさか、車の中で??
いえいえちゃんと一緒に白川郷見学しましたよ。
明善寺見学の時は、特製のバッグに入りました。
雪の中ではいちばん元気!

雪の壁を登る登る

どや!!


駆け足て堪能しました。白川郷。

ということで
今回の旅はおわりで‥

…はなかったのですがそれまた後日。

楽しかったね!!
浮かれた私の画像も貼っておきます。



トンネルを抜けるとそこは雪国 破:安曇野ありがとう

2025-03-15 | 旅行、おでかけ
わたしたちの泊まったペンションはわんこOK
入り口にフロントロッジとドッグラン。

続く敷地内に一棟建のお家が何件かあって、そこが各部屋。という配置になっています。

オーナーご夫妻の話によると、今年は雪が多くて、それも一度にたくさん降るのだそう。除雪したと思うとまた積雪の繰り返し。その言葉を実感したのは翌朝でした。
カーテンを開けてビックリ‼️
昨日着いた時は、生垣ほどの高さの雪でしたが、
その上にさらに新しい雪が落ちて壁のよう。
夜中に雪が降り出したことは知っていましたがこんなに積もるとは!
つらら~!!
実はちょっと気になることが。
夜半物音で目を覚ますと、妹がゴソゴソ起き出していました。
早朝空海くんの散歩に行くことは知っていたのですが、時間を見るとまだ3時
いくらなんでも早すぎ、トイレかな?と思いつつそのままウトウト。
次に目が覚めたのは6時前でちょうど妹が着替えて空海くんと出かけるところ
『散歩?』と聞くと
『うん、オネエも行く?』
と言われたのですが、まだ半分寝ぼけていた私は
『もうちょっと寝る、行ってらっしゃい』
といって布団の中へ。
その後散歩から戻った空海くんと入れ替わる形でぺンション周りを散歩。
こんなたくさんの雪雪雪

昨日入ってきた道も

ドッグランも雪のプール

ここを空海くんは上って走り抜けようとしたらしいです。


今日はこれから飛騨高山に寄って、白川郷を通り帰宅予定…
…………の予定

だったのですが…
写真を間違えたわけではありません。

この写真から時間を少し戻します。
朝食後9時過ぎにペンションを出発。天気は晴れ

若かりしころ、スキーや山歩きでたびたびこの地を訪れていたシャチョーさんの解説を聞きながら、車は順調に飛騨高山を目指します。
安曇野に入ったあたりで
ん?
私ではなく助手席の妹の様子がおかしい…というか
長年の付き合いでわかるのですがこれはちょっとまずい…
それにあの夜中の二度起き
この感じは昔家族で旅行に行った時にも何度かあったぞ、と身構えた時
妹が『ごめん、ちょっと気持ち悪い…』
とにかくトイレのあるところとコンビニに滑り込み
私は妹を抱えてトイレに
ちょうど清掃時間に入るところだったのに、事情を話したら快く使わせていただきました。

運の良いことにトイレはバリアフリーで車椅子も入れる広めの作り。
一人でも大丈夫ということで一旦私は出てドア前で待機。
さらにさらに事情を察した店長さんが、
こちらのトイレだけに清掃中のサインを出して、他の人が入ってこないようにしてくれたのです。本当にありがたかったです。
15分ほどするとまだ青い顔の妹がなんとか出てきたので一旦車に。
白湯を買って妹に飲ませている間に社長さんはナビで病院を探していました。
が、ここはコンビニ。ここで聞いたほうが土地の情報がある!
運転する人が直接聞いた方が早い!
『シャチョーさん、コンビニ。コンビニで聞いて』みたいな言い方して申し訳なかったけど、このシチュエーションの過去を思い出した私の失礼お許しを(汗)
今思えばシャチョーさんも心配で、だけどどうしていいか混乱していたのね。
だって普段なら、コンビニに駆け込んだ時点でそうしていたはずだもの。

実は私たちにとっては子どもの頃からの予定調和?
例えば、家族旅行に出かける。
行った先で妹具合悪くなる→母が地元の病院に付き添う→父心配で不機嫌になる→私その父と一緒に旅程をこなす→その間緊張で私はどこに行ったかほとんど覚えていない→母と妹と旅館で合流→父の機嫌直るがその翌日は帰路なので家族旅行の思い出は前半しか記憶がない。私がぼんやりだと言われる所以。
ここ数年は母の介助や、ワンコの介護でお互いが一緒に旅行をする機会がなかったのでちょっと忘れていました。理由はわかっていて大人になってからは対応できるようになりましたし、私たちこう見えても仲が良いんです(ふふふ)
え?理由?それは長くなるので割愛。いつか機会があれば。

程なく私たちはコンビニで教えてもらった町の病院へ。
診察してくださった先生はどこか子供の頃お世話になった町内のW先生に似ていました。
丁寧な診察と優しい口調の問診。
妹は元々胃腸が弱く、今も通院中ということで
『急な寒さで体が冷えちゃったんですね。普段の疲れも出たのかもしれません。点滴で安静にしていれば良くなりますよ。お腹は冷やさないようにしてね。』と先生。
処方箋も出していただき、点滴40分。
とりあえずシャチョーさんに報告すると、ホッとしたのか
ケージで待っていたシン空海くんを連れて駐車場の周りを散歩して、ついでにガソリンも入れて来ると言って出かけて行きました。
シン空海くんここまでトイレ我慢させちゃってたから、ごめんね。
私は再び「診察室に戻って待機。妹は点滴中。顔色もだいぶ良くなってました。
看護師さんが途中で湯たんぽを持ってきてくれて体もあったまったのかウトウト。
その時ふと思ったの。
子供の頃は母はこうして妹に付き添っていたのかな…と。
大丈夫
点滴も順調。程なく妹は自分で歩けるくらいに回復しました。

コンビニの店長さん、病院の先生、看護師さん、本当にお世話になりました。
安曇野に感謝。シャチョーさん、ありがとうございました。

さてさて再び出発進行。
時間の関係で飛騨高山は断念、白川郷に向かうこととなりました。
続く、です。
なんか文字ばかりになったので私とシン空海くんの写真貼っておく


トンネルを越えるとそこは雪国 序:軽井沢素敵テラス

2025-03-12 | 旅行、おでかけ
さて昨年暮れに萩子さんが虹の橋を渡り天国病院に旅立ってしまい、
仕事にも追われて引きこもり生活が続いていた私。
すっかりペットロス…。

ある日、妹から
『白馬いかな〜〜い?(今日ケンタッキーにしな〜〜〜いな、カンジで)』
と、声をかけられました。
同行するのはシャチョーさん、妹、シン空海くん。
シン空海くんは、去年萩子さんを残し先に虹の橋を渡って行った空海くんの転生わんこ
なので「シン空海」
無事天国病院で治療してもらって超特急リハビリを済ませて帰ってきた元気な子。
かかりつけの動物病院の先生も、ワクチン接種に初めて連れて行った時思わず
「お、空海❗️」と叫んだほど。
細かいことはさておきワンコも泊まれるというペンションに出発!

普段は鉄道移動なのでドライブは久しぶりです。

心配されていたお天気ですが、前日の寒さはどこへ行った?の快晴、ポカポカ。
車は首都高を抜けて群馬方面へゴーゴー
途中空海くんのトイレ休憩(人間もね)を挟みながら
3時間ほどで軽井沢


お昼は軽井沢でオサレに、ということで
ここならわんこ連れでも遠慮なく過ごせます
お食事の前にわんこ散歩
本当に雪がない。
チビ空海くんは人気者です。
台湾から観光に来たご家族。犬が大好きなんだって。
お天気が良くて絶好の観光日和
インバウンドも含めて、わんこ連れ、家族連れ、カップルが多い

秋田犬のお兄さんにも遭遇。優しい子でした。

お食事はこんな感じで



大盛りサラダとカジキのソテー
ベーカリー併設なのでパンは食べ放題でとっても美味しい!!!
腹ごしらえ終了、
再び車中に。
見えてきたのは道の駅・松代(まつしろ)

六文銭の真田紋。長野県に入ったのね。
次は中条

シンボルは道祖神
トンネルを抜けるたびに周囲に雪が増える。



雪雪

雪国来たー、
ステンドグラスの馬がステキ...

...と思ったら
シャチョーさんの似顔絵が??
こっちがシャチョーさんの似顔絵

気を取り直して、車は進むよ。山道を。
雪雪雪
そしてようやく




白馬のペンションに到着しました。

しかしこのあとちょっとしたアクシデントが…?
続きは明後日


岸辺露伴はここにいた

2024-07-29 | 旅行、おでかけ


1ヶ月ほど前のこと
NHKドラマの岸辺露伴シリーズが好きで、あの岸辺露伴邸に行ってみたい!と
願っていたら本当に見学できたお話。

なんと露伴邸のロケ地は見学可能。
やんごとなき事情から、
勿体無くも御福わけをいただくことになりました。
Kさん、Nちゃんありがとうございます!

場所は葉山
最寄のバス停からトコトコと山道へ
あの露伴邸が見えてきました!

露伴邸と呼んでますが
本当は加地邸


昭和初期の注文住宅。
それもただの注文住宅などではなく
かの帝国ホテル(旧館)をデザインした
フランクロイドライトの愛弟子、遠藤新(えんどうあらた)の設計。


依頼主は、当時の三井不動産ロンドン支店長のちに頭取、加地利夫氏で、
白金の本邸とともに葉山の別荘として建てられました。

ここはサンルームですって!奥様!

今風にいうとデザイナーズなんちゃら
調度も特注、

用途に合わせたお部屋は人が使うことを前提に
そこでどう過ごせるかまでを想定していました。
もちろんデザインも素敵で
遊び心もありどこか懐かしい雰囲気が漂います。
どの部屋にいても心地よく過ごせること間違いなし
いつまでもそこにいたいと思わせる空間が
積み重なり複雑な階段と繋がって
人はそこを循環する水のように動くことができます。
どこを取っても絵になるのでロケ地に選ばれるのもっともだ!

ちなみに岸辺露伴の仕事部屋はここ↓

人がそこに入ると、部屋がさらにいきいきするような感じがします。

特注の調度品を生かしつつセットを変えることで
空間が自由に変化するのですが
独特の品格のようなものがあって常に個性的なカットが撮れる。

こちら図書室。
こんな図書室ならいつまでも本を呼んでいられそう

一番気に入ったのが
展望室

窓からの眺めが最高でした


加地邸について詳しく知りたい人はこちら
見学ツアーの詳細こちら
おまけ;
葉山の加地邸は岸辺露伴だけでなく、ドラマやCMのロケによく利用されているので、
あ!見たことある!っていう人多いと思います。(ラストマン=全盲の捜査官でも大泉洋さん演じる刑事の実家っていう設定でちょこちょこ登場します)
なんでもテレビ朝日系の『じゅん散歩』でも7月末に放送されるようですよ。
あ、もう明日か、明後日だ!!!



盛岡はわんこそばと宮沢賢治、石川啄木だけじゃなかった!急編

2024-04-25 | 旅行、おでかけ

結構なスピードで移動したおかげで予定のコースもほぼ終了
最後にやっぱりその土地の神様にご挨拶をしようと
城址公園内にある桜山神社

この神社はかつて盛岡城の淡路丸に建立(1742年)されました。当時は淡路丸大明神という名称だったそうです。
明治新政府によって盛岡城が接収されると場外へ遷座、その後何度か遷座させられました。
が、明治32(1900年)盛岡城跡地が南部家に払い下げとなり再び城址公園内に遷座、今日に至っています。
桜が見事に咲き誇るということで桜山神社
訪問の時期は3月でしたから桜はまだまだ硬い蕾
「そうだ、石割桜が近くにあるはず」とNちゃん
「え?かちわり?」と私が言ったとか言わないとか
…ごめんなさい、揶揄してるわけではありません

有名な石割桜が近くの裁判所の敷地内にあるというので
早速


すごい!強い!
このブログを書いている頃にはきっと見事に花を咲かせているはず
北国の強さの片鱗を垣間見た気がします
初めての盛岡弾丸ツアーはNちゃんの高速ネット検索と高速移動スケジュールによって間もなく終了に向かいます
盛岡は宝箱のような都市
わんこそばと宮沢賢治、石川啄木はいわば氷山の一角だと。それも特大級の一角
まだまだたくさんの宝が眠っている予感
!そうだ!!忘れてはならない『宝』がもう一つ

これよ!県庁…ではなくて

世界の大谷翔平!!
やっぱり、わんこそばと宮沢賢治、石川啄木だけじゃなかった!!

終わり

余談:この後帰りの新幹線が予定の指定が取れなくて(東京駅での失われた2時間半のせいで!!)ありゃま!だったけどウェブの魔術師天才Nちゃんの魔法のアクセス技術でクリア!全てのダンジョンを攻略して帰路につきましたとさ。歩いた距離は約18,000歩。楽しかった!!また行きたい!

盛岡はわんこそばに宮沢賢治、石川啄木…だけじゃなかった!破編

2024-04-23 | 旅行、おでかけ

盛岡は北国だった!
北上川が街の中を流れて遠くに岩手山
太平洋戦争中空襲に遭っていない希少な城下町の象徴を見ながら
開運橋を渡ってまずは光原社




宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』を出版した会社
現在は全国の民藝作品の販売や作家の展示会、ワークショップなどを展開しています。

東京駅で失われた2時間半を取り戻すべくてくてくと歩いて
石川啄木新婚の家へ

この日は定休日で中は見学できず。周囲をグルリ
平屋ですがかなり大きい作り
ここに新婚時代の啄木夫妻が愛の巣を‥と思ったら
啄木はほとんど家に帰らず放浪三昧だったとか
ちなみに借りていたのはこの家の4畳半一間だそうです。

その後ちょっと寄り道
福田パン

ガイドブックで見て美味しそうだなと
Nちゃんも感じていたらしく
行列に並んで購入。
でかいよ、わらじみたいだ。美味しかった!!

さて、道を戻ってレトロ洋館代表
旧岩手銀行本店に向かってバス移動開始
Suicaがどこのバスでも使えるようになって嬉しい

目的地の手前で降りて敷石レトロな通りに入り





ここでちょうど同じ時代を生きた二人とその関わりがあった作家学者の年表に
しばし釘付け
岩手は知識人の宝庫なのよ、原敬、新渡戸稲造、野村胡堂…
特に宮沢賢治や石川啄木と同世代の国語辞典の金田一京介先生ってば何度も啄木の借金の肩代わりやら
金銭的援助やらを惜しまなかったんですってよ、奥様
金田一先生いい人すぎる!!
石川啄木さんは繊細すぎて僻みっこで人間社会に適合できないまま亡くなったけど、
いまだに読み継がれる名作を残せたのは金田一先生あってのことだったし、こういう人物と親交を深められたことが才能だったのか…
そう考えると石川啄木をもう一度読み直してみようかと思ったのでした。
二人でしみじみと通りに戻り、てくてくと。
パッと開けた通りの向こうに

旧岩手銀行本店!
東京駅みたいだと思ったら、建築家が同じ辰野金吾氏でした

メインはこの入り口の吹き抜けドーム天井

真下にテーブルがあって、ここにスマホを置いて撮影するとドーム天井が綺麗に撮れます、と、受付のおじさまが教えてくださいました。

第二次大戦中空襲を受けなかったために明治の建物が現存しているという盛岡市
この赤煉瓦館も然り


さらに2001年まで岩手銀行本店として稼働していたそうです。








金庫室の入り口

大きな鍵は創建当時のまま
面白いのは扉の上にある小さな扉
これは、金庫内で作業中に
うっかり閉じ込められてしまった時の脱出口
実際に使われたことがあるのかどうかわかりませんが、なんとも人間臭いです。
<続く!>
盛岡はわんこそばに宮沢賢治、石川啄木…だけじゃなかった!序編はこちら