ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

部屋の模様替え、木村さんのパラリンピック快挙を知る

2016年09月14日 | 日記
○7時20分起床、起床時24℃。6時に目が覚めたが、今日一日の行動予定をあいまいにもつかめず、無気力に布団のままで時を過ごした。いかんぞ、ボケの始まりだぞ!目当てを持って一日の朝を迎えよう。
○午前中は部屋の模様替え件掃除。読書スタンドを机上から撤去し、昨日購入したライトを頭上に設置。机面が広くなったのでプリンターを移動、論文読み等はマッサージチェアーで、机上から撤去した読書灯を翳して行う。その後、書籍の整理、書類の整理などなど。
*狭い自室の整理に疲れて、DVD鑑賞。作品は『レ・ミゼラブル』。ビレ・アウグスト監督作品。遠景右の林を透かして見える小さな赤い夕陽がこの物語の始まり画面として、強く印象に残る。数多くある同主題映画の中ではよく鑑賞する作品である。
 それはさておき―
 小学校5年の時の学芸会のクラス演目が「銀の燭台」であった。全員出演方式ではなく、担任が、出演する生徒を決め配役を割り振る。ぼくは、「神父の付き人」という役を割り振られた。後に原作『レ・ミゼラブル』を読み、またいくつかの同題目映画を鑑賞して分かったことは、「神父の付き人」はどの作品にも登場しないということ。じつを言うと、台本をもらったが、「神父の付き人」の文言はない、従って、セリフは一言一句たりとも無し、所作も書かれていない。ぼくは、ぼく自身の頭を一切使うことなく、教師の命じるままに、神父の動きの後姿を追って舞台を移動しただけだ。首からは女子のテニスウエアーのスカートをかぶらされて。
 当時(60余年前。教育史上では「戦後新教育」とか「戦後民主教育」の時期に重なり、「子ども中心主義」であったと特徴づけられる年代と重なる)、ぼくが経験した学校文化行事は、すべて、教師主導であった。子どもは演目やその内容や方法総てにおいて、教師の命じるままに行動した。
 『レ・ミゼラブル』を鑑賞するたびに、この噴飯モノの学芸会演目のことを思い出し、何故にあの担任は、嫌われ者、いじめられっ子のぼくに、原作にない役割、かつ教師が子どもたちに与えた台本にさえ書かれていない〔登場人物一覧にも書かれていない〕「神父の付き人」の役を与えたのであろうか、と思う。
 はっきりしたことは、学芸会後の、クラスメイトによるぼくに対するいじめがさらに強まり、授業中でさえ、「いじめの出前」がなされた、ということである。
 指導力のない教師に当たると、本当にろくでもないことになる。おかげで、「学校」というところを心底信頼することのないその後の人生史の展開、ということになるのだけれど。
○パラリンピック、水泳50メートル自由形2位入賞、平泳ぎで3位入賞の木村さんの、4年前、こんなことを学習院の教職課程自主ゼミ(川口ゼミ)で、語ってくれていた。彼は、ぼくが開いていた障害者ゼミ(課外ゼミ)の学外参加者だった。学習院の数学科の視覚障害学生と一緒に学び、釜山旅行などもなした仲だ。
「4年後のパラリンピックへの展望と希望を尋ねたところ、それは語ることができない、という返事。今は大学生だから時間に恵まれているが社会人となると、障害者スポーツを助成する態勢がほとんど整っていない、この点が諸外国と大いに異なるところ、残念だけれどこれが現実だと、語ってくれた。」(2012年9月㏻プログ日記より)
 卒業後どうしているのかと気にしていたが、新聞で快挙を知り、水泳ができるところに身を落ち着けることが出来ていたんだね。
 おめでとう!
*4年前、我らがトドチャンは、学習院で臨時雇用で働いていただいていたが、ぼくの開く自主ゼミにもごくたまに顔を出してくださっていた。「障害者ゼミ」もその一つ。だから、今回の木村君の快挙のこともよくご承知。ぼくの知らない情報もメールで伝えてくださった。「すっかりたくましい青年になってるわよ。」と。それもまた素晴らしいことです。