goo blog サービス終了のお知らせ 

ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

「セガン」をパワポで表現してみる④

2018年10月27日 | 研究余話
 特級コレージュ、サン=ルイ校での教育・学習・生活の姿はどのようであったのか?サン=ルイ校は「監獄」との異名を持っていることは調べた。フランスにおけるエリート養成は、明日の将校をモデルにしているから、規律厳しく、画一的で、強制・脅迫的であることは間違いない。それをセガンの言葉で語らせる必要がある…、。
 1846年著書の末尾部に「万力」という表現を使って教育批判をしているし、1875年著書に、フランスのコレージュ全体に見れる傾向として、自由性なき管理教区を批判している。それの具体をどこにどのように見出すか。
 寄宿学校である特級コレージュの全体傾向を見るには、共同寝室(ドミトリー)に対するセガンの記述を見出せばいい…。
 次のようなパワポ頁となる。

「セガン」をパワポで表現してみる③

2018年10月26日 | 研究余話
 「第2の誕生j」とタイトルに定めたが、ありきたりの青年期論として語ればどうなるか、あるいは、えっと思う青年期を語ればどうなるか、そういう選択になる。私は、やはり、父親によって方向づけられた人生行路から意識的に離れて、自身を構築する、という青年期を論じる。
 その選択の分かれ路はいつのことか。
 財産もあり社会的地位も高いブルジョア家庭の長子として生まれ、非常に頭脳明晰であるとなれば、親としては、自分をはるかに超える社会的活動ができる人間になることを、願うだろう。それが、パリの特級王立コレージュ、サン=ルイ校に我が子を進めさせたことにつながる。セガンはその願いにこたえ、第1年次は、ここでも非常に優秀な成績を収めた。数学特別進学クラスの第4次席賞を得ている。国防省付属の理工科学校進学の予科。フランス社会のトップエリート養成校だ。
 コレージュはどこでもそう形容されていたはずだが、とりわけ、ここサン=ルイ校は、「監獄」。「コレージュは親たちがそうされてきたことと同じことをしている。」と痛烈に批判しているように、管理、束縛、体罰、記憶暗記主義、隷従、という「万力で絞り上げるような教育」あってこそのエリートとなりうるという教育観が伝統的なフランスならではの経験だ。
 パワポ表現はあっさりと。

「セガン」をパワポで表現してみる②

2018年10月25日 | 研究余話
 「セガン」パワポの第2ページは、セガンの業績、報告主題と絡む時代について紹介。フランス革命の後のナポレオン帝政下に生まれ、第2共和政出発の頃アメリカに移住したセガンは、復古王政、立憲王政、第2共和政の樹立のための革命を直接経験している、混乱に混乱を重ねたフランス近代化初期の時代の人だ。これを見ても、「人権の国フランスで生まれ育った人」という大方のセガン研究者の「おつむ」が偏向していたことが分かるというもの。
 せっかくのことだから、自著扉もパワポデザインを一役買わせることにした。

 この自著に対しては、いろんな人が書評をくださったが、新聞あかはた書評欄の清水寛氏のそれと『生活教育』誌の拙著紹介欄のそれとを除き、ありがたいことだと思った。

「セガン」をパワポで表現してみる①

2018年10月24日 | 研究余話
 12月9日に、さる情報研究会からの依頼を受け、ボランティア講演をすることになった。しゃべる仕事を40年続けてきたから、ホイホイ、と気軽に引き受けたが、しゃべくりオンリーじゃダメ!という注文が付いた。じゃあ、簡単な文書レジメを用意すればいいかと思ったが、参加人数はまったく確定できないし、面白くないだろう。で、ぼくがもっとも忌み嫌ってきたパワポ・プレゼンと相成った。
 原案さえ示してもらえば、パワポ作成はする、と主宰の先生はおっしゃったけれど、パワポ作成経験は皆無ではないし、あっちこっちで見せらたパワポはぼくにとっては魅力がなかった。それで、独自作成をすることにした。
 まず、今日は、タイトル頁。

 一応動きのあるページだけれど、動きは少なくした。
 継続作成中。

チップス先生、さようなら視聴でセガンのコレージュ生活を想起する

2018年10月22日 | 研究余話
 39夜のロバート・ドーナット主演、ミニヴァー夫人のグリア・ガースン助演の、「チップス先生、さようなら」(1939年制作)の舞台はイギリス・パブリックスクール。男子寄宿学校だ。手段の礼拝、食事風景など、圧巻。大人数の統制の取れた言動ぶり。伝統のあるエリート校の19世紀の姿を見ることができる。そして、生徒たちの日常の姿の中に見られる騒ぎ様。
 セガンのコレージュ経験もかくありなんだったのだろうことをあれこれ考えながら視聴した。

講演草稿「第二の誕生を訊ねて」 いただいたご感想

2018年10月21日 | 研究余話
元愛知教育大学特別支援学校長船尾先生より拝受した読後感

「第2の誕生を訊ねる」を読ませていただきました。
 本来的には、わたしなどには感想を述べる資格はないことは分かっておりますが、先生のご講演を聴かせていただいた市民になったつもりで一言だけ述べさせていただきます。
 先生が長年にわたって全身全霊で取り組んでこられたご研究の一端を「歴史を切り開いた人の青年期の実相」という観点から、分かりやすく論じてくださいました。  
 (第2の誕生の意義は理念としては分かっていても)わたしなどはつい、就学前教育・初等教育から中等教育・高等教育への流れを連続的に捉えがちです。しかも社会の変転も視野の外におきがちです。子どもから大人への発達過程における質的飛躍の局面にもっと目を向けるべきだと思いました。その際、特に重要なのは「寄宿舎内の『馬鹿騒ぎ』が思春期・青年期の抑圧からくる鬱積したエネルギーの発散でこそあって、本質的な人格形成にはつながらない。結局『猿』なのである」という先生のご指摘だと思いました。
 サン・シモン教のスローガン化された言葉、「あらゆる社会制度は最大多数の者ともっとも貧しき者のしっかりした道徳、身体及び知性の向上を目的としなければならない」という言葉にセガンの心がひきつけられ、そのことがかれを白痴教育に向かわせたという事実が重要だと思いました。そのようなセガンがどう育ったのかを、川口先生のご講演から教えていただいたのです。
 2003年以降の先生の調査活動も一つの引き金になって、フランスの行政当局をしてセガンに関心をもたせ、研究資料を整えさせ、そして国際的なシンポジウムを実施させたという事実、素晴らしいことだと思います。  
 ご講演の大成功をお祈り申し上げます。

パリの朝市にはいろんな「ドラマ」があった。

2018年10月20日 | 研究余話

 住まいを構えていた近くの「リシャ―ル・ルノアール大通りの朝市」は、大きい。いろんなものが売られているだけではない、演説も聞くことができる、新聞の立ち売り、署名活動もされている。その日の「朝市」で、ぼくの在仏研究という本来の滞在目的の具体が開かれた。

 フランス共産党機関紙ウマニテはキヨスクでもスタンド売りされているが、朝市で、党機関紙の宣伝隊が出ており、興味を持って聞き耳を立て、ウマニテを一部購入した。
 宣伝隊の一人の男性が、「日本人か?私は日本に10か月滞在したことがあり、とても懐かしい。」と、声をかけてきた。観光に来たのか?仕事できたのか?と問う。大学の仕事の一環、研究のためだ、と答えると、何の研究か、手伝うことがあるか、と親切をくださった。
 タクシードラバー労働組合の書記長を務めているという彼に、パリ・コミューン研究とフレネ教育研究のために史料探索をしているが、なかなか難しい、と答えた。
 その場では住所交換、メアド交換、電話番号交換をして別れた。
 数日後、彼からメール、続いて電話。研究のアシストができそうだ、ついては自分の住むアパートを訪ねられたし、という。初のフランス人宅訪問となった。
1.パリ・コミューン史料の復刻をしている古書店の紹介。
2.生前のセレスタン・フレネと交流があった元中学校教師の聞き取り可能な手続き紹介。

 いや・・・関係する日本の某研究者は、ぼくから関係研究情報と資料を収奪する知恵と技しかないから、懇切丁寧な研究案内と手続きの具体をいただいて、感激したものだ。
 
 研究を実らせることが、彼への恩返しになる。

パリの自炊話 長話、怨念話

2018年10月19日 | 研究余話

 わがアパルトマン(世帯向けアパート)を旅先のねぐらにしようという「俄か友人」は結構多くいた。そういう人との会話から漏れてくる言葉「宿泊代飯代を浮かして、その分パリ土産にする」。他人様の懐のことなど興味がないので、あ、そう、と聞き置くだけだが、そういう言葉を吐くヤツに限って、無礼千万な態度をとったものだ。

 インコウと自称する、私と年齢差がほとんどない、初老の日本の中学校男性教師、生徒指導が得意だと、あっちこっちで吹聴しておられた。午前4時に「今ドゴール空港についた。すぐ迎えに来い。」という第一声から、インコウ先生の腐りきった生活ぶりが、わがアパルトマンで2か月間、続いた。
 パリ到着の日の夕食希望。
 「フランス料理を頼む!」
 「あのですね、ここはフランスですから、ふつうフランス料理になります、それがたとえ和食と言われるものであっても。で、どのようなメニューがご希望ですか?」
「フルコース!」
「お金渡しますから、適当なレストランに行って、召し上がってください。私は宿泊は請け負いましたが、料理人ではありません、先生。」
 典型的な内弁慶先生。とても怖くて外食できない、頼むからここで食べさせてくれ、という。オレの親父は○○という有名人と同期だった!という他人の褌を巻いて、これが自分だと自慢なさる方に限って、自分では何もできない。
 召し上がった数々の人たちにとても評判の良かったラパンスープ、ソテーでオ・モ・テ・ナ・シ。私は飲まないけれど来客用に保存しておいた赤ワインをサービス。一本(小瓶じゃないよ)全部、飲み切りやがった、その食事で!
 「うまい!こんなうまいものを食ったのは初めてだ!明日も頼む。」(「はいよっ!お安い御用で。」)

 数日後、何の肉だ?と尋ねるので、ラパンだと申し上げましたが、と答える。日本でも食えるか?普通の肉屋には並ばなくなりましたね、私の子どもの頃は安くておいしいので低所得者層の常食品でしたよ、私は、我が家で飼育していましたし、来客があるとつぶしてさばきました。毛皮は私の襟巻などにしました。」
 彼の「借りてきた褌」にはそのような情報はまったくなかったようで、同じ時代を同じ日本で生きてきたとは思えない、頓珍漢な会話になった次第。で、朝市にお連れ申して、陳列されている「ラパン」をお目にかけた次第。



 ラパンが「ウサギ」であることを知ってから、「褌」先生、まったく手を付けなくなった。ヘン!上流階級ぶるんじゃねえよ!

「第二の誕生」-「親殺し」

2018年10月17日 | 研究余話
「親殺し」という発達課題がある。殺人ではない。子どもが親の庇護の手から離れようとする心理的状況であり、また実際に離れることを意味する。
 生活指導運動と研究の世界に生きていた時に、竹内常一先生がよく語っていた。そして、「川口君は親殺しができていないからなあ。」と、私の精神的未熟さを指摘してくださった。1980年ごろの、埼玉大学勤務時の話だ。
 思春期・青年期のムカツキ等を通して「親」を相対視する。そのことは通過儀礼をしていたが、「親」の「保護」を結局は当てにして生き続ける。親の「羽包み」(はねくるみ→はぐくみ→育み)の温かさから離れられない。30代後半に入っていた私を、竹内先生は、そのように評価しておられた。なんだかんだ言っても、結局、「親を殺し切れていないぞ、お前」というわけだ。

 「セガン」をこのような目線を通して評価してみよう。果たしてセガンは「親殺し」をしたのか?こういう問題意識を2003年以来、持ち続けている。先輩研究者は「セガンの悪口を言うことは、私が許しません!」と、強い怒りを私に見せたのだが‥‥。
 「親殺し」とは、「親を乗り越える」ではない。「親と別の世界を生きる」こと。そのことのシンボルはセガンにあるのだろうか?そう、「第二の誕生」だ。

「セガン教具」に思うこと

2018年10月16日 | 研究余話
 映画「筆子その愛ー天使のピアノ」(常盤貴子主演)の主舞台となっている日本初の知的障害児施設「滝乃川学園」の創設者石井亮一が、アメリカのセガン創設になる生理学的学校を訪問し、セガン亡き後同学校を運営していたセガン夫人から「セガン教具」を譲り受けた。我が国初の「セガン教具」導入の知的障害教育の出発であった。
 だが、その「本物のセガン教具」は学園の不幸な火災によって焼失してしまった。わが国には、それ以降、「本物のセガン教具」は存在しない。レプリカのようなものはあるのだろうか?私は知らない。
(以上前置き)

 私が「セガン教具」と対面したのは、2004年秋。フランスの知的障害教育史にかかわる歴史展示の会場片隅にひっそりと置かれていた。セガンの扱いも小さかった。そのころの私は、セガン研究を進める意志はほぼなく、単なる興味本位でその会場にいただけだ。だけれど、「セガン教具が常時展示されている、それはパリ医学史博物館だ。」という情報は頭に入っていた。
 2009年、同博物館を訪問し、ガラスの向こうに展示されているのをリアルに知った。それで、同館の係員に直接撮影の願いをした。幸い、「手で触ってもいいわよ。」とのプレミアムまでついた撮影ができた。撮影結果は公開してもいい、ということだった。
 帰国後、すぐ、「セガン教具」写真を勤務大学のサーバーに置いている我がHPで公表した。私自身は研究をそこまで進める意志はまったくないので、どなたかが利活用してくださるといいなあ、と願っていた。何せ、今やわが日本では目にすることができない実物「セガン教具」なのだから。
 思わぬ方面から問い合わせがあり、研究に使いたいとの申し出をいただいた。とてもうれしいことだった。セガン研究者からは何のリアクションもないのが不思議であり、セガン研究の底の浅さを知った瞬間でもある。
 問い合わせをいただいた方は、私の公開をきっかけに、ご自身がさらにセガン教具の存在を求めて渡仏され、新たな教具存在を明らかにされ、博士論文の一節にまとめられた。
 こういう研究発展こそ、望ましい姿だと、心の底から思う。この方は、なおもセガン教具の実際を追い求めたいと考えておられ、三度、渡仏される。付いていきたいなあ、と思う。

 この方は、セガン研究者ではない。なのにこの探究欲!「セガン研究の権威者」たちはいったいどうしてるのだ!私はセガン教育そのものを追求する能力がないので、別の課題を設定して、セガンを学んでいるのだけれど。