背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

映画『少年H』

2013年08月06日 05時23分55秒 | 日本映画


 8月5日(月)、午後3時半より日比谷の東宝本社の試写室で新作の『少年H』を見る。なかなか良い映画だった。原作は舞台美術家の妹尾河童の自伝小説(戦前から敗戦後まで)で、監督は降旗康男。つい最近、高倉健主演の映画『あなたへ』を撮ったばかりで、それに続く作品だ。降旗監督はその前に何年かブランクがあって、もう映画は撮らないのかと思っていたが、喜寿(77歳)を過ぎてからの連作である。降旗さんとは二度ほど、ほんのちょっとだけ話したことがあるが、物静かで寡黙な人だった。四年前と二年前で、一度目は、池袋の居酒屋で酔っ払っていたことしか覚えていない。二度目は、内田有作さんのお別れの会でお会いしたが、ちょうど『あなたへ』がアップして編集中の頃だった。デジタル映像の編集は全部若い人に任せているとおっしゃっていた。
 さて、『少年H』。Hとは、妹尾河童の本名の妹尾肇(はじめ)のイニシャルで、ヘンタイのHとは無関係。映画の初めに、母親が手編みの真っ赤なセーターに大きくHの文字を入れたものを主人公の妹尾少年に渡して着せるシーンがあり、前半は少年がずっとこのセーターを着て登場するのだが、それが大変印象的だった。この映画は、ひと言で言えば、戦争中の家族愛を描いたもので、ヒューマンな作品として成功作と評価して良いと思う。
 妹尾少年の父親は、神戸で洋服の仕立て屋をやっていて、クリスチャン。母親もクリスチャンで、両親ともしっかりとした考え方を持つ人として描かれている。父親は水谷豊、母親は元キャンディーズの伊藤蘭が演じていた。二人とも良かったが、しばらく見ないうちに、老けたなあ!水谷豊は私と同年齢。ランちゃんは、二つか三つ年下だと思うが、なんだか夏川静江みたいになってきたと思う。(私がこの映画の伊藤蘭を夏川静江のようだと言うのは、大変な褒め言葉で、夏川静江は戦前は大スター、戦後は主に母親役を務めた名女優で、私が尊敬する大女優の一人である)
 私はこの30年間ほどの芸能界についてかなり疎いので、映画を見終わって、パンフレットを読んで知ったのだが、水谷豊と伊藤蘭は実際にも夫婦だとのこと。二人が結婚したことは、そういえば聞いたような気もするが、もうすっかり忘れてしまっている。水谷豊の最初の奥さんはアメリカ人だったと思うが、その後離婚して、ランちゃんと再婚したようだ。確かテレビドラマで共演したアメリカ人で、そのドラマを私はずっと見ていた記憶があるが、内容もそのアメリカ人の顔もすっかり忘れてしまった。私の脳細胞もどんどん死滅して、記憶がずいぶん喪失したようで、物忘れが激しい。芸能人の顔だけ浮かんで、名前が出てこないことが度々ある。(一年ほど前に青山のレストランで女性の芸能人を見かけて、その名前が一週間出てこなかったことがある。藤原紀香だった)。伊藤蘭は、キャンディーズの「ランちゃん」時代、私は好きだった時期もある。今でもカラオケの持ち歌の一曲は、彼女の歌った「小さな悪魔」、いや違う、「私の悪魔」だったか?「小さな悪魔」は確かニール・セダカのヒット曲で、ランちゃんがキャンディーズ時代、スーちゃんを押しのけて、メインボーカルになった記念すべきヒット曲は?といった具合で、ネットを調べて、この続きを書くといった羽目になる。その結果、「やさしい悪魔」と判明。それから、ランちゃんがメインボーカルを務めた最初の大ヒット曲は「年下の男の子」で、これまた勘違いしたのは、私のカラオケの持ち歌は「やさしい悪魔」ではなく「年下の男の子」だった。思い出せば、あれは確か昭和48年か49年だったと思うが、キャンディーズが売り出したばかりの頃、東大の駒場祭に出演したことがあった。パニックになるほどの大変な騒ぎで、ミーハー的な連中を馬鹿にして私は見に行かなかったのだが、その時ファンになった東大生が大勢いたのを覚えている。キャンディーズは大学の学園祭を回って、大学生の間で圧倒的な人気を博したが、人気の中心はなんと言ってもランちゃんだった。
 『少年H』の話に戻ろう。主役の妹尾少年を演じた吉岡君という子役が非常に良かった。妹役の女の子もうまく、この二人に、水谷豊と伊藤蘭が父母役となって、愛情ある良き家族を構成して映画が展開していく。初めの20分で映画の世界に引きずり込まれ、あとはところどころ感心しながら、またいくつかの場面で描き方に疑問を感じながら、映画を見た。二時間をちょっと超える作品だったが、決して長いとは感じなかった。全体的な印象は、良い映画で、見て満足のいくものだった。
 最後に、感心したところと疑問を感じたところなどに触れておきたい。
 妹尾少年が決していじけず、終始しっかりした男の子として描かれているのが大変良かった。周りの友達の描き方も陰湿でなく、好感が持てた。父親と母親のわが子に対する接し方もよく描けていた。ちょっと教科書的、模範的すぎるような気もしたが、水谷豊が噛んで含めるようにゆっくりと話すのはいいのだが、もっと彼の個性を出して、元不良少年が社会的に更生したといった面が現れるように演技してほしかった。悟りきったようで、落ち着きすぎていたのが、逆に人間的な魅力をなくしてしまったと思う。父親にも時々ガキっぽさが出る場面があれば良かったのにと感じた。ランちゃんも同じで、自分のポリシーを持っているのは良いのだが、控え目に演じすぎていた。時にはもっと強い母親になっても良かったと思う。感情的に抑えすぎているのだ。家庭内では、もう少し喜怒哀楽が出るのが普通だし、あんな平穏な家庭も珍しいのではなかろうか。
 パンフを読むと、降旗監督は、水谷豊と伊藤蘭には演技上の注文を出さず、二人に任せたらしいが、二人の個性を引き出すように演出するのも監督の役目ではなかろうか。父と子の場面で疑問に思ったところが二箇所あった。空襲で焼け野原となったあとに、生死の分からなかった二人が全焼した家の跡地で再会するシーン。一人佇む妹尾少年に父親がゆっくり近づいていくのだが、あそこはわざとそのように演出したと思うのだが、どう見ても不自然。セリフも変だった。息子が生きているのを見て、駆け寄るべきであるし、妻の安否をすぐに尋ねるべきだろう。折れたフォークが出て来たり、焼けたミシンを見せたりするよりも、もっと重要なことをおろそかにしてはダメだ。もう一箇所は、敗戦後、妹尾少年が自信を失くした父親を難詰する場面。水谷豊がずっと黙っているのだが、どうもこのあたりの父親の描き方が中途半端だった。
 この映画を見て、疑問を感じたり、不満を覚えたのは、すべて脇役のからむエピソードの場面だった。うどん屋で働くおにいちゃんが赤狩りで検挙されたり、入隊した女形の役者が脱走して首吊り自殺したり、特高に連れて行かれた父親が拷問されたり、中学の軍事教官が二人出て来て妹尾少年への対応がまったく違ったり、すべて登場人物が類型的で、リアリティを感じなかった。警察官の演技はひどすぎる。あれじゃ、東映のヤクザ映画ではないか。
 この試写会のハガキは岸部一徳さんの事務所アンヌフの佐藤さんからいただいたのだが、一徳さんの役は近所のオジサンで、つまらない役だなあと思った。『上京ものがたり』は、印象的な良い役だったが、『少年H』の役は、妹尾一家とのからみもなく、外野にいる傍観者にすぎなかった。『天地明察』の役もひどかったが、顔見世だけで出演するのは惜しいし、考えものである。

 夕方の5時半過ぎに映画を見終わって、久しぶりに銀ブラをした。新しい歌舞伎座を外から眺める。壁が新しくなって、全体的に白っぽく見える。建物の構えは以前と変わっていない。取り壊して、まったく違った感じの建物になるかと思っていたので、期待はずれだった。もう客足も少なくなったらしいので、今度、中に入ってみようと思う。晴海通りをそのまま真っ直ぐ歩いて、松竹本社ビルを眺め、勝どき橋まで行って、隅田川の日暮れ時の景色を楽しむ。潮のにおいがする。橋の上から眺めると、下流の方にも上流の方にも両岸に高いビルが立ち並んでいて、新しい東京を実感する。私は、進化するモダンな東京も好きだ。築地の鮨屋街を散策する。まだ三、四十軒の鮨屋が営業しているが、どこも中を覗くと、客の数はまばらだった。回転寿司のような安っぽい鮨屋には結構客がいたが、老舗の高級そうな鮨屋はガラガラのようだ。
 築地においしい玉子焼き屋さんがあったのを思い出し、探してみたが見つからず。店の名前も忘れてしまったのだから、分かるわけがない。
 明大前のツタヤで邦画のDVDを4本借りる。ジャス喫茶マイルスへ寄って、1時間半ほどジャズ鑑賞。リー・モーガンの若い頃のアルバムをリクエスト。ほかにジョニー・グリフィン、シェリー・マン、サラ・ボーンなどを聴く。11時頃帰宅。




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