背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『シンシナティ・キッド』(追記)

2012年05月03日 22時07分54秒 | アメリカ映画
 この映画のデータは以下の通り。(他の代表作)

シンシナティ・キッド The Cincinnati Kid
1965年10月公開 103分カラー 配給M・G・M
製作:マーティン・ランソホフ
監督:ノーマン・ジュイソン(『夜の大捜査線』『華麗なる賭け』『屋根の上のバイオリン弾き』『ジーザス・クライスト・スーパースター』)
原作:リチャード・ジェサップ
脚本:リング・ラードナー・JR (『M・A・S・H』)
   テリー・サザーン(『博士の異常な愛情』『バーバレラ』『イージーライダー』)
撮影:フィリップ・ラスロップ(『ピンクの豹』『ひとりぼっちの青春』)

 気がついたこと、ちょっと調べてみたことをいくつか補足しておきたい。
 この映画の製作時、シンシナティ・キッドを演じたマックィーンは何歳だったのか――1930年3月24日生まれだから35歳。意外と年をとっていたんだなと思う。彼は1980年11月7日、肺がんで死去。50歳だった。
 この映画のテーマは何か――実績も積み自信満々の若い男が百戦錬磨のベテランに自慢の鼻をへし折られ、まだ年季が足りないことを思い知る。キッドが靴磨きの少年とコイン投げをして、少年を負かすたびに「まだ年季が足りないよ(You just are not ready for me yet!)」と言っていたが、この警句が最後は自分に跳ね返ってくるという結末。そして、男が仕事に人生を賭けて一流になるためには、女は障害になり得る。ランシー・ハワード(エドワード・G・ロビンソン)がキッドに忠告する場面があって、そんなことを言っていたことが妙に耳に残る。
 大勝負に負けてキッドの今後はどうなるのか――すっからかんになってランシーに5000ドル(180万円くらいか)の借金が残ってしまったわけで、またギャンブラーとして再起するのだろう。確かラストだったと思うが、公開時に観た時には、恋人のテューズデイ・ウェルドがレインコートを着て泣きじゃくりながらキッドを待っているシーンがあったはずで、ここが大変印象に残っていたのだが、なぜかビデオにはなく、不思議に思う。記憶違いなのか?


(『シンシナティ・キッド』のビデオジャケット)

 キッドがどういう人間なのか、今ひとつ曖昧だった――原作の小説を読んでいないので分らないが、映画を観る限りキッドの経歴はナゾで、これは脚本家が意図的にそうしたのだと思う。両親のことも生い立ちのことも不明で、多分シンシナティで貧しく育ったのだろう。三度登場する黒人の靴磨きの少年のように負けず嫌いで、ポーカーの腕を磨いていったことを暗示するだけだった。また、恋人のクリスチャンとどのように出会ったのかも不明のまま。孤独な一匹狼的ギャンブラーなので、それで良いのかもしれないが、恋人のクリスチャン(テューズデイ・ウェルド)が単にセックスの対象のようでもあり、キッドの気持ちはつかめず。メルバ(アン・マーグレット)に迫られて、キッドは関係を持ってしまうが、二人だけでいる現場をクリスチャンに目撃されて、その後どうなったかは割り切れないままに終った。キッドがクリスチャンの肩を抱いて慰めるシーンがあったような気がしてならない。ビデオではカットされたのではないかという疑問が残る。
 真面目なシューター(カール・マルデン)が、地元の有力者スレードに脅され、キッドが勝つように八百長を試みるが、妻のメルバになじられた上、またキッドにも問いただされて告白するという筋立ては、どうも説得力を欠き、安易な感じがした。シューターという男の人物描写が破綻していたように思う。
 ディーラーのレディ・フィンガーズ(ジョーン・ブロンデル)が年寄りの知人ギャンブラーたちの名を挙げ、次々に死んでいるといった不吉な話ばかりを旧友のランシーに言うところが楽屋噺のようで面白い。
 ビデオの付録にある解説(日野康一)によれば、製作者のマーティン・ランソホフは、当初、監督にはサム・ペキンパー、相手の大物ギャンブラーにはスペンサー・トレーシーを予定していたとのこと。が、ペキンパーとはそりが合わず、撮影開始3日目で衝突、急遽ノーマン・ジュイソンに替えたという。また、スペンサー・トレーシーは病気で降り、エドワード・G・ロビンソンになったといういきさつ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿