背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

写楽論(その17)~先人たちの写楽研究について

2014年05月05日 23時01分39秒 | 写楽論
 写楽に関する研究は、これまで主に三つの方面からなされてきました。

 第一は、残された写楽の版画(これに加えて数点の版下絵と肉筆画)の、絵そのものの分析と解明です。美術史学的な検証が行われ、作画上の特徴がいろいろと指摘されてきました。
 第二は、歌舞伎関係からの研究です。写楽の絵の大部分は、扮装した歌舞伎役者の上半身または全身を描いた役者絵なので、着物に描かれた紋(余白に屋号や俳号が書かれている絵もあります)と容貌から、その役者が誰かを判定し、さらに衣裳や小道具、役者の表情や容姿から、歌舞伎の演目と役名、そしてどの場面での役者の様子を描いたのかを特定していきました。
 第三は、写楽という絵師は誰なのかという人物の解明に関する研究です。これは、書物や口伝といった文献史料に基づいて行われてきました。その周辺をめぐる研究として、写楽の絵が出された当時の出版状況や写楽の絵に対する評価、版元の蔦屋重三郎についての研究が加わっていきました。

 第一と第二の方面からの研究は、美術研究者や歌舞伎研究者の多くが携わり、かなり詳しい調査が行われてきたので、成果も上がり、現在、ほぼ出尽くした感があります。とはいえ、まだ判定できていないことや疑問の余地も残されています。

 これまでに私がざっと読んだ著書ないし論文(戦前のものに限る)は、以下の通りです。発行が古い順に並べ、簡単な私のコメントも加えておきます。



 ユリウス・クルト「写楽」(ドイツ語版原書:明治43年初版 大正11年再版 日本語版:平成6年発行 アダチ版画)
*学術的考察とイマジネーション豊かな叙述とが一体化した読み応えのある著書でした。苦悩する能役者の写楽が描かれている章が圧巻。だだし、訳文が直訳調で読みにくく、誤訳も多い印象を受けました。日本美術研究家の山口桂三郎が序文を書いていますが、前半に訂正すべき事項が3箇所ほどあります。

 橋口五葉編「浮世風俗 やまと錦絵――錦絵全盛時代 中巻」(大正7年 日本風俗絵刊行会) 写楽の画風および図版の解説。
*日本画家の目から見た写楽観は、言いえて妙。橋口五葉は、漱石の本の装丁者としても有名ですが、大正期はじめに浮世絵の研究をして、歌麿風の木版美人画を制作し、傑作を何点も残した画家です。


橋口五葉・画 「手拭い持てる女」

 野口米次郎「六代浮世絵師」(大正8年 岩波書店)所収の『驚異の大写楽』*詩人らしい独特な文章で、写楽を賛美するこうした文章も一読に値するものです。学者の味わいのない生硬な文章より、魅力的です。

 藤懸静也「浮世絵」(大正13年 雄山閣)の『写楽』の章
*これぞ学者の文章。ただし、藤懸静也という碩学は、尊敬に値する美術史家です。

 仲田勝之助「写楽」(大正14年 アルス美術叢書)
*写楽について1冊の本として書かれた、日本で最初のものです。仲田勝之助は、学者というよりジャーナリストで、興味本位で書いている面が目立ちます。

 藤懸静也「松方浮世絵版画集解説」(大正14年 太陽出版社) 写楽の絵4点の解説。
*大正7年、松方幸次郎がフランスの宝石商アンリ・ヴェヴェールの浮世絵コレクションを一括購入し、約8000点が里帰りしました。その中に写楽の絵が70数枚あったといいます。数年後、松方コレクション100点の展覧会が、日本橋の高島屋で催され、その際に画集と目録解説書が作られました。藤懸静也がそれぞれの出品浮世絵について学者らしい解説を書いています。

 渡辺庄三郎校・井上和雄編「浮世絵師伝」(昭和6年 渡辺版画店)の『写楽』の項。
*この本は、浮世絵師事典としては画期的なものだと思いました。写楽のところなど百科事典の記述のようです。

 高見沢版「浮世絵十五大家集 第一冊 歌麿 写楽 北斎」(昭和15年 高見沢木版社)所収の井上和雄「写楽の輪郭」
*井上和雄という在野の浮世絵研究者は、雑誌「浮世絵」の編集をしたり、渡辺庄三郎主催の浮世絵研究会を支援したり、大変功績のあった人です。写楽の絵の年代考証と役名の特定は、彼の研究によるところが多いと思われます。

 吉田暎二「東洲斎寫楽」(昭和18年 北光書房)
*写楽研究の集大成本です。昭和32年に復刊されています。歌舞伎と浮世絵の研究をリンクさせた第一人者だったと思います。

 これで、私も第一、第二の方面からの写楽研究の概要と研究者たちの努力の跡がつかめました。
 しかし、第三の方面からの研究は、写楽について、写楽と同時代ないしはその時代に近い頃の文献史料がほとんどないために、進展もなく、成果を得られない状態が続いてきました。それについては、次回に述べたいと思います。