背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

写楽論(その14)~雑感

2014年05月01日 18時22分06秒 | 写楽論
 雑誌「太陽」(昭和51年2月号)の写楽特集号に、向井信夫氏(近世文学研究者、故人。厖大なコレクションを専修大学図書館に寄贈したことで有名)が参考になることを書いています。
 それによると、錦絵1枚の値段は二十文から三十二文。役者絵は二十四文だったそうです。(当時かけそばが一杯十六文です。一文を今の30円ほどと考えると錦絵一枚が600円から1000円くらいだったのではないかと思われます)
 また、制作費については、製版(下絵から板木を作るまで)までの総費用が銀八十匁(一両一分二朱)ほど。印刷に入って、紙代、摺り賃を一枚あたり十文と見ると、550枚くらい売れて収支がトントンで、1000枚売らないと店をやっていけなかったのではないかと推測しています。
 そして、版元の蔦屋重三郎は、写楽の役者絵を出す頃、かなりの経営難だったので、入銀(にゅうぎん)といって、出版資金を提供してくれるところがあったのではないかと付け加えています。
 浮世絵の販売方法は、二通りあって、出版社(版元)の直営店や一般の小売店(絵草紙屋ないし錦絵屋)で普通に小売りする場合と、今で言うオン・デマンド方式、すなわち予約注文による限定販売の場合です。
 前者の方式だと1000枚くらい売らないと割が合わないし、儲からないわけです。まあ、これも1枚の値段によるでしょうが、写楽の大首絵は、大判で黒雲母摺の豪華版だったので、五十文くらい(約1500円)にしたとすれば、500枚売れれば採算が取れたようにも思います。3枚セットで百文(3000円)といった売り方もあります。
 後者の場合は、損をしないように出版できるわけです。たとえば、都座興行の役者絵10枚セット、五百文(15000円)といった具合です。ただ、この場合は発行枚数が少なくなります。100部から200部ではないでしょうか。時代を遡れば、鈴木春信の絵は、こういう方式で売られたと言われています。春信の絵は金持ちに人気があったそうで、スポンサーも多く、3枚セットが数万円(今の価格で言えば)で売られたようです。
 写楽は新人なので、一流中の一流絵師・春信のようにはいかなかったと思います。もしかすると、版元の蔦屋は両方の販売方法を併用して、売ったかもしれません。

 発売枚数の話はこのくらいにしましょう。
 写楽の勉強を始めてからいろいろな本や文章をを読み、私にもいろいろなことが分かってきました。それを箇条書きに列記してみます。

 一、写楽の絵は、世界に約500枚現存していて、日本にあるのは約100枚である。
 二、写楽に限らず、江戸時代の浮世絵師に関しては不明なことばかりである。
 三、浮世絵ないし浮世絵師について書かれた江戸時代の文献は、ほとんどない。「浮世絵類考」だけである。
 四、写楽についての本格的な研究が日本で始まったのは、大正時代に入ってからで、戦争前(昭和18年ごろ)に、ほぼその研究成果がまとまっている。
 五、戦後、昭和30年以前は、ほとんど研究が進まず、昭和30年代半ばから新たな展開をむかえる。写楽別人説が次から次へと現れ、迷走する。
 六、平成5年以降、写楽=能役者斎藤十郎兵衛説(昭和30年代半ばまで定説に近かった)が復活し、これが主流になり始めて、写楽別人説は以前ほど盛んでなくなる。
 七、しかし、今でも写楽=能役者斎藤十郎兵衛説を疑問視する研究者は多い。写楽=北斎説、写楽=十返舎一九説は、まだ根強くあり、それを力説している研究者もいる。
 八、信頼できる学究的な浮世絵研究者がほとんど死んでしまった。昭和生まれの権威(?)ある浮世絵研究者は、写楽に関して(他の浮世絵師に関しても)、これまでの成果を利用、解説しているだけで、学問的にほとんど何の貢献もしていない。
 九、彼らの多くは、写楽の絵とされている錦絵約140枚、版下絵10数枚、肉筆画3,4枚について、真贋を厳密に検討する努力を放棄している。誰かが問題点を指摘しても無視しているように思われる。