特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

探し物

2007-12-20 23:39:27 | 時事問題
 晴れ.最低気温5.0度 最高気温11.7度.

 見つからない.どこを探しても見つからない.
 昨日(12/19)から探しているのに見つからない.

 私が必死に探しているのは李明博(イ・ミョンバク)氏の直筆サインである.
 そう,昨日(2007/12/19)投票が行われたお隣の国の大統領選で他候補を圧倒し,見事当選を果たしたハンナラ党選出の李明博(イ・ミョンバク)氏のサインだ.

 お隣の国で暮らしていた時にソウル市内を流れる「清渓川(チョンゲチョン)」の復元工事が行われ,その工事完工を祝う市民イベントがあった(詳細はこちら).ソウル市庁舎から「清渓川(チョンゲチョン)」の川沿いを散策するという「市民ウォーキング大会」である.

 その当時,ソウル市長だったのが李明博(イ・ミョンバク)氏で,市長自身も市民とともにウォーキング大会に参加したのである.そして大会終了後,市長の即席サイン会が行われた.市民が並ぶ長い列に私も加わりサインを頂いた.それ以来大切に保管していのに,しまっておいたはずの場所になかったのだ.

【写真上】お隣の国の次期大統領選挙で勝利した元ソウル市長の李明博(イ・ミョンバク)氏


 李明博(イ・ミョンバク)氏を日本の首相に例えるなら,カリスマ的存在で言うべきことを簡潔,明瞭に伝えるすべに長けていた小泉純一郎 元首相に近い.さまざまなスキャンダルが雨後のタケノコのように出てくる点は異なるが,それは小泉首相の運が良かっただけのこと.庶民の絶大な支持を得ているという点は同じである.

 それにしてもどこに行っちゃったの?直筆サイン.

改めて自己紹介

2007-12-19 21:16:32 | 自己紹介
 晴れ.最低気温5.3度 最高気温9.4度.天気と気温は気象庁発表の資料に基づいていますが,主観的な要素が多分に含まれるため信憑性は低いです.悪しからず.

 『特上カルビの記のみ気のまま』がまもなく再開されます!

 新年(2008年)の更新再開を前に,改めて自己紹介申し上げます.

 お隣の国を愛して止まない,1968年東京生まれ.
 
 血液型:A型と信じて疑わないB型人間.

 セロトニンノルアドレナリンの分泌若干少なめ.

 大学卒業後,韓国大手財閥企業日本法人で10年間勤務.

 ひょんなことから教会に通い始め,2001年9月に受洗.信仰は篤(あつ)いが「猫舌」なのが難.

 アメリカで起きた同時多発テロ事件の衝撃もさめやらぬ2001年9月16日にソウル暮らしを開始.延世(ヨンセ)大学韓国語学堂(ハングゴハクタン)に編入し韓国語を学ぶ.
 2002年3月に語学堂を修了後,同じく延世大学で韓国語教師研修過程(15期)を受講,修了する(なぜか同期会の副会長を任ぜられる).
 
 2002年9月からはソウルにある某大学教育大学院修士課程で“外国語としての韓国語教育”を専攻.研究テーマは『日本語話者のためのビジネス韓国語教材開発』.“究極のビジネス韓国語教材”を開発すべく研鑽を積み,2006年6月24日に帰国.

 韓国語は大学時代に第二外国語として1987年から四年間履修.
 20年前は「韓流」の「か」の字もなかったので,「韓国語なんか勉強してどうするの?」と周囲から言われ続けた.
 当時,池袋サンシャイン60にあった韓国文化院での韓国語講座や映画上映会,講演会などにも通い「奇特な人」と呼ばれる.しかし本人は“特に優れて珍しいこと.心がけや行いが優れて褒めるべきものであること”という本来の意味と勘違いし天狗になる.ちなみに大学での専攻は政治学.

 韓国を初めて訪れたのは1988年大学2年の夏.9月にソウルオリンピックを控え韓国中がヒートアップ.やたらと暑かった.

 皆様,改めましてどうぞご贔屓に

  

【写真左】2001年のGWに神戸から浦賀までセイル・トレーニング(Sail Training)で乗船した帆船「海星」(絵葉書より)
【写真右】帆船「海星」の上から二番目の帆桁(ほげた)に登って畳帆(じょうはん)作業中のカルビ.かなり怖いです


ブログ再開予告

2007-12-18 23:20:40 | ブログ再開準備中!
晴れ.最低気温3.5度。最高気温12.6度.

 親愛なる「記のみ気のまま」ファンのみなさんへ.

 みなさまご機嫌いかがでしょうか?クリスマスを目前に控えた東京よりご挨拶申し上げます.
 さて,長いこと放置・休眠状態にありました私のブログ『特上カルビの記のみ気のまま』を新年(2008年)を目処に再開します
 
 2006年6月末に日本へ帰国を果たしてから1年半が経ちました.どこかの国ではバブル景気崩壊後の“失われた10年”という言葉を耳にしますが,私にとっては帰国後の“失われた1年半”というよりは“忘れたい1年半”でありました.過去に囚われていては何も始まりません.未来に目を向けて新たなるスタートを切りたいと思います.
 
 申年(さるどし)生まれのわたくし“特上カルビ”が,子年(ねどし)に贈る“プレリュード”.二〇〇八年ということで末広がり縁起良く再開します.乞うご期待!