![]() | 天神さんの商店街―街いかし人いかし東方出版このアイテムの詳細を見る |

今回なぜ土居年樹さんを千里山人(ちさとのやまひと)に採り上げたかといいますと、一昨日の産経新聞夕刊の「街商人(あきんど)のつぶやき」というコラムで、「千里山商店街の活性化に一肌脱ぐ」という土居年樹さんの一文が載っているからです。全文を引用させて頂きます。
昨年の暮れのこと。私が地元・天神橋筋商店街を歩いていると、後ろから二、三人の人がついてきはるんです。「誰かな」と思っていると、その中のひとりの女性が声をかけてくれたんです。ちなみに、この怖いもの知らずの女性達は「カフェ・ド・ゴーシュ」の智江子ママと、前回紹介させて頂いた「ペイフォワード倶楽部」の田川純子さん達のことに間違いありません。
「土居さんですか?私、千里山から来た田中といいます」
聞いてみると話はこうだ。千里山の商店街の一角で喫茶店をやっているが、この歴史ある駅前商店街も衰退気味である。女性仲間と語り合ううちに、この街の活活性化に役立つことがあれば自主的にやろうと、いろいろ実践している。一度千里山に足を運んで欲しい。ええ知恵があったら教えて欲しい、というのです。
「ここまで言われたら行かんと男がすたる」
大阪万博が開かれるまで阪急千里山は終点駅でした。JR環状線の天満駅から天神橋筋商店街を天六まで歩いて千里山線に乗る。そのおかげで天神橋筋もにぎわっていたんです。
ところがいつのまにか千里山は北千里まで、天六は天下茶屋まで阪急と地下鉄が相互乗り入れして、千里山も天六も通過駅になってしもた。アクセスの利便さによって都市の中心地へ人が流れる要因になったことは否めない事実やと思います。
おまけに天六は駅が地下へ潜ってしもたんです。駅は地上にないと賑わいに寄与しないんです。
こんな不満も持ちながら、私は久しぶりに千里山へ行き、二、三百メートルほどの駅前商店街を久しぶりに歩きました。