『アンネの日記』が世に出たのは1947年ですが、それから半世紀も経って未公開の記述を補完し新たに出版されたのが本書。597ページもの厚みがあるので最後まで読みきるには忍耐力が必要ですが、男女を問わず早熟を自覚している悩める10代にお勧めしたい1冊です。
ユダヤ人虐待の被害者、若くして亡くなった悲劇の少女・・・世間が勝手に思い描くアンネ・フランク像を見事に裏切って「母親に対する辛辣な批判」「女性性器の描写」など学校推薦図書はおろか、うっかり子供に読ませられない内容。当時わずか15歳だった少女が見たこと、感じたことが赤裸々に綴られています。以下は本文からの抜粋。
じっさい、ファン・ダーンのおばさんというのは、すばらしいひとです! 模範的なお手本を示してくれます・・・・・・・見習うべきです、反面教師として。おばさんがすごくでしゃばりで、わがままで、こすからくて、打算的で、欲深だということ、これは隠れもない事実です。そのうえ、虚栄心が強くて、浮気なたちだとつけくわえてもいいでしょう。とにかく、たとえようもなく不愉快な人間であることは確かです。おばさんについてなら、一冊のノートを埋めつくすこともできるほど。ひょっとすると、いつかほんとうにそうするかもしれません。どんなひとでも、うわべを飾ることくらいはできます。おばさんも、知らないひと、とくに男性には親切ですから、短期間つきあっただけだと、うっかり思いちがいをしかねないんですけど。
そこへゆくと、うちのママなんかはおばさんを、あんまり愚劣で、語るにあたいしないと見なしていますし、マルゴーは、つまらないひとだと思っています。
1943年7月29日の日記より抜粋
喧嘩の原因も知らずに、パパが一方的にわたしを悪いと決めつけるなんて、正当じゃありません。パパやママが口出ししなかったら、わたしだって、とうに自分から本を返していたでしょう。なのにふたりとも、マルゴーがなにか大きな不正の犠牲者ででもあるみたいに、すぐさまマルゴーの肩を持つんです。
ママはなにかというとマルゴーの味方をします。それはだれの目にも明らかです。いつだってふたりしてかばいあってるんですから。もうそれには慣れっこなので、ママがごちゃごちゃお説教しても、マルゴーがふくれていても、ぜんぜん気になりません。もちろんふたりのことは愛していますけど、それはふたりがわたしのおかあさんであり、お姉さんであるからにすぎず、一個の人間としては、ふたりともくたばれと言ってやりたい。
1943年10月30日の日記より抜粋
ああ、それにしても、とてもむずかしいのは、ペーターにもなにも言わずにいること。でもやっぱり糸口をつくるとすれば、彼のほうからでなくちゃなりますまい。言いたいこと、したいことは山ほどありますし、それはみんな夢のなかで実行していますけど、なによりもつらいのは、またも一日たってしまったのに、それらのどれひとつとして実現していない、と気づかされるとき。そうですとも、キティー、アンネはクレージーな子。でも、わたしの生きてるのは異常な時代、暮らしているのは、もっともっと異常な環境なのです。
とはいえ、こういう状況のなかでのせめてもの救いは、こうして考えることや感じることを紙に書きしるすことができるということです。そうでなかったら、完全に窒息していたでしょう 。ペーターはこういう状況をどんなふうに考えているのでしょうか。
1944年3月16日の日記より抜粋
これまであなたには、わたし自身について、ほかのだれにも打ち明けられなかったことまで、いろいろお聞かせしてきました。ですから、セックスについても、いくらか話題に含めたっていいんじゃないかと思います。
両親といわず、ほかのだれといわず、この問題になると、総じておとなはひどく奇妙な態度をとります。子供が十二歳になるころ、息子だけでなく、娘にもいっさいを話してやればいいと思うのに、逆にその話が出るなり、子供を部屋から追いだしてしまう親が大部分です。あとは子供たちが自分で事実をさぐりだすしかありません。あとになって、どっちにしろ子供がそれを知ってしまっていることに気がつくと、今度は親たちは、子供が実際以上に詳しく知っているか、実際よりもわずかしか知らないか、どっちかだと頭から決めこみます。どうしてそのときに正確なところをつきとめて、まちがった知識を持っていれば、それを正してやるなりなんりしないのでしょうか。
おとなたちはここで、ある重大な障害にぶつかります。もっともわたしに言わせれば、そんな障害なんて、じつはほんのちっぽけなものでしかないんですけど。つまり親たちはこう考えるのです。結婚生活において、純潔というものが多くの場合、たんなるたわごとでしかないということを子供たちが知ってしまうと、彼らは結婚を神聖なもの、純粋なものとしてあがめるのをやめてしまうんじゃないか、って。わたしとしては、男性が結婚生活に多少の経験を持ちこむことは、必ずしも悪いことだとは思いません。それは結婚そのものとは関係のないことですから。でしょう ?
1944年3月18日の日記より抜粋
※以下は『<完全版>への訳者あとがき』からの抜粋
アンネは『日記』のなかで、ユダヤ人であることの“栄光と悲惨”を縷々述べていますが、それ以外にも、彼女自身意識しないところで、日記の叙述から、この人たちの心情を推し量ることかできます。 たとえば、《隠れ家》における八人の日常の生活態度。狭い密室で、さまざまな不自由と恐怖とにさいなまれつつ隠れ暮らすのですから、これが日本人だったら、まずはおたがい同士の和を保ち、毎日をなごやかに暮らすことを旨として、個人的な不満や言い分は、なるべく自分の胸ひとつにおさめようとしたでしょう。ところがアンネたちは正反対。どんな問題でも、各自がそれぞれ言い分を主張して侃々諤々(かんかんがくがく)とやりあい、一歩も退きません。たとえ階下や隣の建物が無人になる夜間であっても、声や物音が外にもれることをなにより恐れねばならない立場だというのに。わたしたち日本人にはとても理解できない心理構造ですし、逆にこの人たちから見れば、日本人はうわべを丸くおさめることばかり重視して、腹の底ではなにを考えているかわからない、異質な人種だということになるでしょう。近ごろ国際社会において、“日本人異質論”が横行していますが、その根もおおかたはここらへんにあるようです。
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