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まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

一昔前の牛めし「松屋」のロゴマークって…

2012-01-29 01:23:39 | 昔話あれこれ

空前のバブルが弾けた直後の1990年代初頭。

 

私は、新宿・歌舞伎町を中心にパチンコ・パチスロを打つダメ学生であった。

 

特に、1991年末に北電子3号機「アポロン」の5連チャンVerが猛威を振るった頃は、西武新宿駅前の「N拓」チェーンに連日入り浸っていた。

西武新宿駅前では、当時N拓チェーン3店舗がアポロンを導入。焼き海老の香り漂う「エビ通り」沿いの各店をハシゴした記憶が蘇る。

(当時、西武新宿駅界隈では、「N拓3号店」「N拓ジャックポット(旧2号店)」が5連アポロンを設置。アメリカンクリスタル並びに新規オープンしたスロ専「ビッグポット」にも設置されていた。3号店並びの割烹「勇駒」の焼海老の香りが懐かしい…)

 

5連Verアポロンは、ハマリの後にビッグボーナスが5連チャンするという、大変判り易い裏モノだった。ハマリ台のハイエナで約1500枚のコインがゲット出来る訳で、誰かがアツく金を入れた後釜狙いに徹していた。時には、同じハイエナ狙いのアジア人達と、台取り合戦になる事もあった。

 

こうしたイヤラシイ立ち回りで勝つと、他に狙い台がなければ一旦食事を取る事にしていた。食事の間に次の狙い台が出来る可能性もあり、一石二鳥だったからだ。

 

食事にあまり金を掛けない主義だったので、大抵はラーメン屋か牛丼屋で済ませていた。当時、アポロンを設置するN拓に程近い「西武新宿駅前通り」に、牛めしチェーン「松屋」があり、味噌汁付き牛めし(390円)が定番メニューだった。

(西武新宿駅前「新宿医院」付近。1990年代初頭には、この界隈で松屋が営業、店内は逆L字型で非常に狭かった。左側「桜すし」の所には、大きな喫茶店「ロビー」があった。)

 

松屋の牛めしの価格をHPでチェックした所、やはり値段は大きく変わっていた。現在は、牛めし並盛一杯が「280円」という事で、20年前よりも100円以上下がっている。

 

ただ、それ以上に気になったのが、お店の「ロゴマーク」である。

今では、当たり前のように各地で見かける松屋のロゴマーク(お盆と牛めし、味噌汁をモチーフにしたものらしい)。

 

しかし、私が新宿でアポロンを打っていた1991~92年頃、松屋のマークは少し趣が異なっていた記憶がある。

 

松屋のロゴマークの歴史に関するネット情報は皆無に近く、残念ながら確認の術はない。私の拙い記憶を頼りに当時のマークを再現すると、こんな感じだ。

イメージ通りのデザインを再現できたと思う。現在のカラフルなマークとは異なり、「牛めし」の文字をデザイン化した渋いロゴである。

 

ひょっとすると、単に私の記憶違いで、このロゴマークは全く別の牛丼店のものかもしれない。しかし、新宿でアポロンと対決していた頃の記憶では、松屋の看板にはこんな味のある昭和チックなロゴが付いていた筈だが…。

まぁ、私の記憶が正しいかどうかは、いずれ全国の牛丼マニア達によって解明されよう。

 

因みに、松屋以外の食事場所では、喜多方ラーメン「坂内」歌舞伎町店が思い出深い。新宿に通い始めた1990年にちょうどオープンした店で、「ネギチャーシュー麺・大盛」を食べるのが楽しみだった。

 

それから、西口しょんべん横丁(思い出横丁)では、立ち食いそば屋「かめや」の定番「天玉そば」。立ち食いそばとは思えぬ出汁の味わいが、いつも体に染み渡った。

 

また、しょんべん横丁では、大ガード交差点付近のラーメン屋「ふじしん」のチャーハンも懐かしい。イカツイ顔の職人が、豪快に鍋を振って作るチャーハンの何と美味かったことか。1999年の横丁大火災で店が焼失したのは、あまりにも悲しい出来事だった。確か、隣のラーメン店「カワチ」が火元だったと記憶しているが…。

(1991年当時の「ふじしん」店内の様子)



2 コメント

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ロゴマーク (毒天使)
2012-08-31 13:00:41
まさか自作だったとは。
吹いたわっ!

色んなことを事細かに書いてあるので当時を思い出させてもらってるよ。すごい記憶力だ。
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はじめまして〓 ()
2015-10-11 15:47:56
食欲をそそるような写真があって一度、口にしてみたいと思いました(^∇^)
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