まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

「ふしぎばなし」(幼年みんわ10、岸なみ、偕成社)

2017-04-15 05:07:09 | 昔話あれこれ

前記事で小学校低学年の頃を振り返ったら、別の事も思い出したので
備忘録として記す。

その記事では「当時、あまり勉強が好きでなかった」と書いたが、別に
「文章に接する事」自体が嫌いではなかった事を、一応申し添えておく。

むしろ、日本の昔話とか世界童話(グリム、イソップ、アンデルセンetc)などは、
好きだったクチである。

前回触れた「8時だよ!全員集合」のある土曜日などは、1時間前の夜7時から同じ
TBSで「まんが日本昔ばなし」(声:市原悦子、常田富士男)を楽しみにしていた。

また、その頃、自宅には世界文化社「日本の民話」シリーズや「少年少女世界の名作」
シリーズ、「ドレミファブック」(朗読レコード付き童話絵本)なんかが並んでいた。
そうそう、小学館の「世界の童話」シリーズもあった。教科書嫌いでも、そんな類の
童話を読むのがとにかく好きで、妙に正義感が強くなってしまった。「勧善懲悪」を
教訓とする昔話に傾倒しすぎた「副作用」だろうか。

ともかくも、童話や民話を好んだ幼少期の自分には、特にお気に入りの一冊があった。

それが、記事タイトルでも紹介した「ふしぎばなし」という絵本。残念だが、手元に
現物は残っていない。毎晩、枕元で寝落ちするまで読みふけるくらい好きだったが、
大掃除か引っ越しかで誤って捨てたらしく、いつの間にやら無くなってしまった。
実に惜しい事をした。

内容は、「ぶんぶく茶釜」「一寸法師」「王様の耳はろばの耳」など定番の昔話の他、
「隣の家の鶏の卵を盗み食いする悪童が、こっ酷い罰を受ける話」とか、「爺さまに
助けられた小ネズミが恩返しする、浦島太郎に似た話」とか、そんなのも入っていた。

早速、「ふしぎばなし」や収録内容であれこれとキーワード検索をかけた所、運よく
その本の「概要」をまとめたサイトを発掘。但し、無断リンクは怒られそうなので、
興味のある方は自身でお調べ頂きたい。脳裏に焼き付いた表紙のさし絵(「ぶんぶく
茶釜」のタヌキ)も載っていて、懐かしく拝見させて頂いた(「まんが日本昔ばなし
~データベース~」という素敵なサイトである)。ただ、本の現物を手に入れようと
思ったが、あまりに古い本の為か、アマゾンやオークションで中古本を見つける事は
出来なかった。

(因みに、「ふしぎばなし 岸なみ 偕成社」でググると、上記サイトが上位ヒットする)

件のまとめサイトによれば、「ふしぎばなし」は偕成社から昭和48年に初版が出たとの
ことだが、自分は小学校に上がる前後の、昭和51~53年頃に読み始めた記憶がある。
日本のみならず、中国や朝鮮の昔話も収録されていて、子供ながらに読み応えのある
内容だった。因みに、「幼年みんわ10」とあるのは、当時、偕成社から「幼年みんわ
シリーズ」が出ていて、その10作目が「ふしぎばなし」だったという事である。

ただ惜しい事に、そのサイトでは収録された各話のタイトルや物語の背景が短く紹介
されているのみで、各話の具体的な内容や概要には、あまり触れていなかった。幸い、
私は幼少期に繰り返しその本を読んでおり、今も全話の内容をあらかた覚えている。
良い機会だから、今回は各話の「概要」を振り返ってみたい。無論、40年近く前の古い
記憶に基づくので、話の細かい設定などは記憶違いしているかもしれない。どうか、
ご理解の程を。


 「ふしぎばなし」(幼年みんわ10、岸なみ、偕成社、1973年)各話概要(古い記憶に基づく)


(1)一寸ぼうし

子供がいない爺さん婆さんが「小さくてもいいから子供が欲しい」と願うと、一寸ほどの
小さな男の赤ちゃんを授かった。二人は「一寸ぼうし」と呼んで大切に育てる。しかし、
いつまで経っても小さいままの一寸ぼうしは、周りの子供達から馬鹿にされて、爺さん
婆さんは悲しむ。そんな一寸ぼうしだが、ある時一人前になるべく「京に出る」と宣言。
腰には針の刀を差し、お椀の舟と箸のかいで川を下って京に向かう。京で大きな屋敷を
見つけて「家来にしてくれ」と頼むと、そこのお嬢さんが気に入って、家来にして貰う。
一寸ぼうしは喜んで、お嬢さんの手習いの世話をする。ある日、お嬢さんが外出すると、
山中で鬼に襲われる。周りの者は逃げてしまったが、一寸ぼうしは恐れず戦う。途中で
鬼に食われてしまうが、針の刀で腹の中をチクチク刺すと、鬼はたまらず一寸ぼうしを
ペッと吐き出して逃走。慌てた鬼が置いて行った「うちでの小槌」をお嬢さんが振って
「大きくなれ」と言うと、一寸ぼうしはグングン大きくなって、立派で美しい若武者に。
無事一人前になった一寸ぼうしは、お嬢さんと結婚して身分も上がり、田舎の爺さんと
婆さんを京に呼んで幸せに暮らした。



(2)とっくりじいさん

酒好きな爺さんがいたが、貧乏で腹いっぱい飲むことができない。せめて、自分が死んだら
土になって、「とっくり」に生まれ変わって酒を一杯入れて欲しいと願う。その願いが叶い、
旅先で死んで土に返り、大どっくりになる。だが、それを買った寺の小僧は「しょう油」を
入れて戸棚にしまった。酒どころか
しょう油を飲まされたから、しょっぱくてたまらない。
すっかりアテが外れたとっくり爺さん、毎晩戸棚から抜け出しては、水をガブガブ飲んだ。
気味悪がった小僧にそう告げられた住職は、夜中に一人待ち構える。すると、戸棚の中の
とっくりが勝手に抜け出して、水を飲んでいる。訳を聞いた聞いた住職は哀れに思って、
とっくりの中のしょう油を捨てると、代わりに美味しい酒を並々注いでやった。やっと
本当の望みが叶って、とっくりじいさんも満足だった。


(3)文ぶくちゃがま

ある村に一人の貧乏な男がいた。一文無しで、食べるものもない。そこへ顔なじみのタヌキが
やって来て「俺が茶釜に化けるから、それを売って足しにしろ」という。男は言われた通り、
タヌキが化けた茶釜を持って近くの寺に行くと、住職に高値で売った。住職は、その茶釜を
小僧に磨くよう命じる。小僧が思いっきり強く磨くと、タヌキは痛がり「やさしく磨け」と
言う。小僧は気味悪くがって住職に告げる。そこで住職が茶釜をやんわり磨くと、タヌキは
くすぐったいのを必死に我慢する。磨いた茶釜に小僧が水を入れて、囲炉裏にかけてお湯を
沸かすと、熱がったタヌキが思わず尻尾や手足を出して、大ヤケドで命からがら逃げだした。



(4)しおふきうす

お人よしの兄と、ケチで意地悪な弟がいた。兄は、家の食べ物を貧しい人達に分け
与えたから、自分も貧乏になってしまった。そこで、裕福な弟に食べ物を恵んで
貰いに行くが、ケチな弟は「食べ物をやってしまう兄さんが悪い」と突っぱねる。
兄が途方にくれていると、老人が出現。老人も空腹な様子だが、兄は「あげる
ものは何もない」と悲しむ。唯一残っていた「石うす」も、食べる足しに
ならない。すると、老人が石うすに不思議な力を与える。不思議な呪文を
唱えると、石うすが勝手に回り出して、米をザンザカ吐き出す。驚いた兄が
「豆を出せ」というと、今度は石うすから豆がザクザク出てくる。老人は、
石うすを止める呪文も兄に教えると、「欲張ってはいけない」と釘をさす。
兄は、その石うすで村の人々に御馳走を振る舞い、村中が元気になった。
そして、兄も金持ちになった。それを聞いた弟は羨ましがり、「俺にも
石うすを貸せ」と強引に奪って逃げる。海まで行き小舟に乗り込んだ弟は、
試しに「塩を出せ」と言って石うすを回す。塩がザンザカ出てきたが、肝心の
うすの止め方が判らない。そのうち舟は塩で一杯になり、欲深い弟は石うすと
一緒に海中深く沈んでいった。海水が塩辛いのは、その石うすが今でも海底で
回り続けているからだ。




(5)金のおうぎ銀のおうぎ

グータラな男が「遊んで暮らしたい」と神様に頼むと、「金のおうぎ」と「銀のおうぎ」
を授かった。金をあおぐと鼻が伸び、銀をあおぐと伸びた鼻が縮んで元に戻るという。
二本のおうぎを手にした男、町でとびきり美人の娘とすれ違うと、すかさず金のおうぎで
あおいだ。すると、娘の鼻は天狗の如く伸びてしまい、一緒にいた金持ちの両親も大騒ぎ。
どんな名医や祈祷師を呼んでも治らないので、両親は「娘の鼻を元に戻したら、娘の婿に
迎えて遊んで暮せるようにする」と張り紙を出す。それを見た男が「鼻を治して差し上げ
よう」と白々しく出向くと、娘も親も大喜び。男は治療のフリをして、銀のおうぎでパタ
パタ煽ぐと、娘の鼻も元通り。念願叶って金持ちの婿になった男。のんびり寝ながらパタ
パタとおうぎで煽ぐが、間違って金のおうぎを使ってしまう。たちまち男の鼻は伸びて、
雲の上で雷様が住む家の囲炉裏にズブリと突き刺さる。「なんだ、これは!」と不審に
思った雷様、火箸で鼻の先をブスっと突き刺してしまった。ひどく痛がった男は慌てて
銀のおうぎであおいだが、火箸で鼻先を刺されているから、鼻が縮むたびに自分の体が
浮き上がり、雲に向って上がったまま見えなくなってしまった。



(6)ふしぎなうり

果物のウリ(瓜)を京まで運ぶ行商人の一行は、あまりにも暑いので、喉の渇きを
癒そうと背中に背負ったウリを食べ始める。それを羨ましそうに眺める周りの人々。
そこへ一人の老人が現れて、「わしにも一つくれ」と言って近づくが、「売り物だ。
ただではやれぬ」と拒む。すると老人は彼らが吐き捨てたウリの種をかき集めると、
地面に埋めてしまった。すると、たちまち芽が出て茎がのびると、あっという間に
立派なウリが沢山の実をつけた。それを美味そうに食べる老人。周りの人々にも、
ただで分け与える。あまりに美味そうで、行商人らも老人にウリを貰って食べる。
満足げに立ち去る老人。行商人たちも休憩を終えてカゴを背負うが、何とカゴの
中は空っぽだった。老人の不思議な術で、かごのウリは皆に食べられてしまった
のだ。「あの老人は神様だったか」「あの時、1つでも老人にウリをあげれば…」
と後悔するが遅かった。 


(7)天にとどいた竹

ある所に正直な爺さんがいた。爺さんは、子ねずみが子供たちに苛められている所を助ける。
すると後日、その子ねずみの案内で立派な屋敷に招かれる。親ねずみに感謝されて御馳走に
なった爺さん。帰り際に竹の根をもらって、親ねずみから「
台所の裏に埋めろ」と言われる。
爺さんがその通りにして根を埋めると、竹はグングン伸びて天まで届いた。翌朝、台所から
チャリチャリ音がして爺さんが行ってみると、竹の中をつたって小判がザクザク流れ出して
いる。「あれは雲の上の蔵に竹が刺さって、蔵の小判が流れ落ちたに違いない」と村人たち。
たちまち爺さんは大金持ちに。それを見た隣のひねくれ爺さん、「自分も金持ちになりたい」
と子ねずみを踏ん捕まえて、脅して竹の根を手に入れる。それを台所の裏に埋めると、やはり
グングン伸びて天まで届いた。「これで俺も金持ちだ」と喜んでいたが、翌朝、竹をつたって
中から泥水が流れてきた。「雲の上のどぶ川に竹が刺さって、泥水が流れてきたに違いない」
と村人たち。欲張って人のマネをしても、ロクな事にはならない。




(8)王さまの耳はろばの耳

朝鮮を治める王様は、たいへん立派な人だったが、ある秘密があった。それは、耳がロバの
ように長いこと。恥ずかしくて、人にも言えない王様は、耳を隠す為に帽子職人を呼び寄せ、
自分専用の帽子を作らせた。立派な帽子をあつらえて王様は満足だが、職人は王様の秘密を
握ってしまって、誰かに喋りたくて仕方がなかった。しかし、喋れば殺されるかもしれない。
一人思い出し笑いをしていると、家族に不審がられるが、「何でもないよ」とごまかすしか
ない。そのうち、職人はすっかり歳をとってしまった。このまま秘密を腹に秘めて死ぬのは
嫌だから、一度は大きな声で誰かに喋ってスッキリしたいと思った。そこで、竹林に入って
竹に向かって「王様の耳は、ろばの耳!」と叫んだ。胸のつかえがとれた職人は、安心して
この世を去った。すると、竹林がソヨソヨと風で揺れるたびに、「王様の耳はろばの耳」と
聞こえるように。怒った王様は、「そんな竹など、刈り取ってしまえ」と、全て刈り取って
山椒を植えた。だが、山椒が大きくなって葉をソヨソヨと揺らすと、やっぱり「王様の耳は
ろばの耳」と聞こえた。結局、国中の人々が王様の秘密を知った。でも、人々は「良い政治
さえすれば、耳の大きさなんて関係ない」と言った。それを聞いた王様は安心して、帽子を
とって耳を出すと「この大きな耳で国民の話をよく聞き、良い政治をしよう」と心に決めた。



(9)誰もいない町

昔、中国のとある村に「しよ」という少年がいた。「しよ」は大変ないたずら者で、毎日
隣の鶏小屋にそっと忍び込んで、卵を盗んで熱い灰に埋めてmゆで卵にして食べていた。
自分の鶏が卵を産まなくなったと思い込む隣人を、陰で笑う「しよ」。ある日、役人風の
男が「しよ」の家にやって来て、一緒に役所までくるよう言った。「しよ」が食べかけの
卵を懐に隠して後をついていくと、「隠しているものを当ててやろうか」と言われる。
「しよ」が「ゆで卵です」というと、役人は「熱い灰の中で作ったゆで卵だな」と笑う。
やがて、大きな城門が見えてきた。「しよ」は、「ここは畑だったが、いつの間に城が
出来たのか」と不思議がる。役人に「中に入れ」と言われて進むと、城門がガシャンと
閉ざされる。その足元はなぜか熱い灰で覆われて、靴の裏がどんどん焦げていく。城の
中には人っ子一人いない。「しよ」は怖くなって反対の門に駆け寄ったが、「しよ」が
近づいた瞬間、バタンと門が閉まる。そこで、別の門に走っていったが、やはり寸前で
閉まってしまう。靴は焼け焦げて素足なので熱くてたまらない。「しよ」は苦しそうに
走り回り、最後の城門に向かうがバタリと閉ざされる。その様子を見ていた村人たちは、
「「しよ」が畑で走り回って一人で遊んでいるよ」と笑うだけで、助けず行ってしまう。
確かに村人達にはそう見えたのだ。そこへ、姿を消した息子を探していた父親が現れる。
狂ったように喚いて走り回る「しよ」を父が呼び止めると、そのまま気を失って倒れる。
父が近寄り「しよ」の両足を見ると、真っ黒に焼け焦げていた。畑を走り回っただけで、
どういうことか…と不審に思う父親。だが、「しよ」だけは分かっていたのだ。隣宅の
卵を毎日盗み出しては、熱い灰に埋めてゆで卵を食べていたから、自分が灰に焼かれる
「罰」を受けたのだと…。



(「ふしぎばなし」(幼年みんわ10、岸なみ、偕成社、1973年)の項、了)